第二話「軍師、法国の動向を聞く」
統一暦一二一五年四月十四日。
グランツフート共和国西部ズィークホーフ城。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
二日前の四月十二日、東方教会領軍を主力とする六万五千の兵が、領都キルステンを出発したという情報が入ってきた。これについては事前の情報通りであるため驚きはないが、ヴァルケンカンプにいる共和国軍幹部に情報を転送し共有を図っている。
そして、今日新たな情報が入ってきた。
私に与えられた会議室で作戦を練っていると、叡智の守護者の情報分析室に属する影が入ってきた。
「報告いたします。去る四月一日、レヒト法国北方教会領の領都クライスボルンにて、ヴェストエッケ攻略作戦が発動されました。神狼騎士団二万を主力とし、世俗騎士軍一万、獣人族の義勇兵団、餓狼兵団五千の計三万五千が出陣いたしました」
予想はしていたが、思ったより規模が大きく、驚きを隠せない。
「三万五千ですか……王国騎士団本部とヴェストエッケ守備兵団には連絡済みでしょうか?」
「私はクライスボルンから直接、ここにまいりましたので、確認しておりません。ですが、ヴェストエッケに直接向かった影がおりますので、一週間ほど前には守備兵団に伝達されているはずです」
「そうですか……」
北方教会の領都クライスボルンから王国の西の要衝ヴェストエッケまでは約四百キロメートル。行軍が順調なら四月二十日頃に攻撃が始まるはずだ。
しかし、ここズィークホーフ城は遠すぎ、私にやれることはほとんどない。
「餓狼兵団について何か情報はありますか?」
気になった単語について聞いてみた。
「マルシャルク団長が集めた“名誉普人族”とされる獣人族からなる義勇兵団だそうです。能力などの詳細は不明ですが、以前の獣人奴隷部隊とは異なり、マルシャルク団長個人に忠誠を誓っているそうで、士気は高いとのことです」
法国軍は以前から獣人族の奴隷兵を決死隊として使っていた。獣人たちは家族を人質に取られ、過酷な命令に従わざるを得なかった。
獣人族がそのような境遇にあったのは、トゥテラリィ教は普人族至上主義であり、彼らは人として認められていなかったためだ。そのため、獣人族は森の奥深くに隠れ住むしかなかった。
白狼騎士団長のニコラウス・マルシャルクは教団に忠誠を誓う獣人族に“名誉普人族”という身分を与え、彼らの生活を改善させた。その結果、団長個人に忠誠を誓うようになったらしい。
「噂ではあり、正確性に欠ける情報ですが、マルシャルク団長はマティアス様が獣人族を救出したことを知り、それを参考にしたと言っているそうです」
私が法国の戦力ダウンを目論んで獣人族を氏族ごと救出し、それに感謝した獣人族が私に忠誠を誓い、義勇兵となったことは有名だ。それを逆手に取ったようだ。
「分かりました。敵国の中を通りながらも、これほど短期間で情報を届けていただき、ありがとうございました。ヴェストエッケにいらっしゃる情報分析室関係者には撤退準備をお願いしてください。具体的には法国軍に占領される前に長距離通信の魔導具の無効化と機密書類の処分をお願いします」
「承りました」
影は表情を変えることなく、頭を下げる。
「ヴェストエッケが陥落するとお考えですか?」
情報分析室の影が去った後、護衛として控えていたユーダ・カーンが聞いてきた。
「守備兵団は義勇兵を合わせても一万二千です。身体強化が使える二万の神狼騎士団と五千の餓狼兵団がいますから、兵団長のニーデルマイヤー伯爵が適切に対応できたとしても、ケッセルシュラガー侯爵軍が到着するまで耐えることはできないでしょう。それ以前に伯爵にまともな対応ができるとは思えませんが」
ギーゼルヘール・フォン・ニーデルマイヤー伯爵はマルクトホーフェン侯爵派の武人だ。年齢は三十代後半だが、これまで実戦経験はほとんどなく、その能力に期待はできない。
また、守備兵団を掌握できていないという情報を聞いており、恐らくだが一戦も交えることなく、降伏するだろう。
「フランケル将軍とケッセルシュラガー侯爵には時間稼ぎをお願いしていますから、そちらに期待するしかないでしょう」
ライムント・フランケル将軍は先代の守備兵団長だ。平民上がりの叩き上げで、守備兵団や義勇兵の信頼が厚い。六十歳になったのを機に兵団長を辞したが、ヴェストエッケに住んでいるため、義勇兵への影響力は大きい。
二年前に家督を相続したユストゥス・フォン・ケッセルシュラガー侯爵は私より二歳上の三十三歳。
先代のエドヴァルト卿は王国騎士団改革に理解を示すなど、ケッセルシュラガー騎士団の強化を図っており、当代のユストゥス卿もマルクトホーフェン侯爵派の台頭に危機感を持ち、騎士団の強化を継続している。
但し、ケッセルシュラガー侯爵軍の常備兵力は、配下の貴族軍を合わせても一万人ほどしかいない。北方教会領軍三万五千に比べて圧倒的に少数であるため、大きな期待はできないだろう。
「王国騎士団には期待されていないということでしょうか?」
「そうですね。距離の問題もありますし、第一、野戦で法国軍に勝てるとは思えません」
グライフトゥルム王国軍の主力、王国騎士団は帝国軍や共和国軍を参考に再編した軍だが、マルクトホーフェン侯爵派に侵食され、その実力は下落の一途を辿っている。
また、個々の兵士の能力で言えば、身体強化が使える法国軍兵士と一般的な能力しか持たない王国騎士団の兵士では比較にならない。城塞を利用した防衛戦ならともかく、野戦で法国軍と戦えば、壊滅させられる可能性が高い。
「いずれにしても、ここでできることはほとんどありません。東方教会領と西方教会領の連合軍を迎え撃つことに注力しましょう」
ラウシェンバッハ騎士団を主力とするグライフトゥルム王国軍がヴァルケンカンプに到着したという報告を受けており、問題がなければ二日前にここに向けて出発しているはずだ。予定では十日後の二十五日頃にここに到着する。
ちなみに共和国軍の中央機動軍は王国軍の前日までに師団ごとに分けて出発している。
王国軍も合わせれば四万二千人にもなるため、行軍をスムーズに行うために分散している。
(こちらは順調だが、王国は厳しそうだ。それにしてもマルシャルク団長は優秀な将だな。十万人の軍を計画通りに動かしている……)
これまでレヒト法国では二万人以上の軍を興すことは稀だった。
理由は簡単で、それ以上の数に対応できるだけの兵站力がなかったためだ。
補給はどの国でも大きな課題だが、これまで三万人を超える軍をまともに運用できたのはゾルダート帝国のみだ。
帝国の場合、三個軍団九万人であっても運用が可能だが、これは物資の確保に当たる軍務府が帝国内の各所に物資の集積所を整備し、その物資を各軍団に付随する優秀な輜重隊が運ぶという体制ができているからだ。
一方、他の国では軍政を担う役所が未整備で、都度補給物資を確保し、送り込む必要があった。問題は物資の輸送計画が杜撰で、必要な時期に必要な量の物資を必要な場所に送り込むことができないことだ。
そのため、軍に随行する輜重隊の限界で軍の規模が決まっていた。
我々王国軍は今回一万二千人という規模の軍を急遽派遣したが、世界一の商人、モーリス商会の全面協力があって、何とか実現できた。事前に準備ができたとはいえ、マルシャルクは我々の十倍近い規模の軍の補給計画を自分だけで立案し、実行させている。
それだけでも驚異的だが、彼の凄いところは他国と言える他の教会領の輸送まで完璧に実行したことだ。
いうなれば、私が共和国軍の輸送を計画し、必要な物資を確保、輸送を実行したに等しい。
そう考えると、彼の優秀さが分かるというものだ。
(優秀な実務家であることは間違いないが、計画の立案・実行と現場での判断が求められる指揮官では要求される能力が違う点だ。漢の三傑である蕭何は勲功第一位とされた後方支援の達人だが、将としては全く活躍していないし、期待もされていなかっただろう。それにあの戦争の天才であるナポレオン・ボナパルトですら補給では失敗している……)
計画を立案し、実行する能力と戦場で求められる能力は根本的に異なる。前者はじっくりと腰を据えて検討できるが、後者は少ない情報から最も有効な手段を見つけ出し、実行することが求められる。
(敵の能力が劣ってくれることを期待するというのは情けない限りだが、今の王国ではそれに期待しないと危機的状況を脱し得ない。こちらも手を抜くわけにはいかないし、時間を掛けすぎれば、今は大人しい帝国が蠢きだす。グレーフェンベルク閣下が存命ならこんな不安を感じなくても済んだのだが……)
前王国騎士団長クリストフ・フォン・グレーフェンベルク伯爵は文官のような見た目に反して剛毅な性格で、マルクトホーフェン侯爵の専横を防ぎ、王国を守ろうと奮闘した。
四十二歳という若さで病に倒れたが、彼が生きていれば、マルクトホーフェン侯爵を排除し、防衛体制を構築できたはずだ。
(ここまでマルクトホーフェン侯爵の力が強くなると、私やラズでは合法的な手段では対抗できない。クーデターで侯爵を排除するという選択肢もないわけではないが、強引な手では国内にしこりが残る。ジークフリート殿下がどこまでやる気になってくれるかがカギになるだろうな……)
私はそんなことを考えていた。
その三日後、ヴェストエッケ奪還に向け、国王フォルクマーク十世が出陣するという情報が入ってきた。
情報ではマルクトホーフェン侯爵が強硬に提案したとあった。
(陛下が出陣してもほとんど意味はない。侯爵は何を考えているのだろうか……)
疑問に思うものの判断材料がなく、困惑するだけだった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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