第二十七話「皇帝、経済について考える」
統一暦一二一六年六月二十三日。
ゾルダート帝国東部帝都ヘルシャーホルスト、白狼宮内。皇帝マクシミリアン
五月の初めに第二軍団を出陣させたものの、帝都の食料事情は一向に改善していない。
これはラウシェンバッハがグライフトゥルム王国海軍を使い、穀倉地帯である帝国西部からの輸送を妨害しているためだ。
そのため、余の要請によってモーリス商会が商船を増やすと約束してくれたものの、それ以上に帝国籍の商船が拿捕されており、供給量は以前より落ち込んでいる。
秘書官が調べたところ、穀物価格は年初に比べて五割近く上昇していた。
更に想定しないことが起きている。
(第二軍団がいなくなった分、食料の消費は抑えられたが、軍関係の仕事が減ったことは想定していなかったな……)
第二軍団の三万の兵がいれば、その分の雇用が生まれる。
これまでは帝都に流入する民の受け皿にしていたが、それがなくなり、再び帝都の周囲に職を失った流民が増え始め、治安が悪化していた。
食料価格の高騰に治安の悪化が重なり、帝都民たちの不満は増大しつつある。
(唯一の朗報は中部総督府から来た若手だな。思った以上に仕事ができる……)
中部総督府から三人の若手官僚を呼び寄せた。
経済官僚のハンス・ゲルト・カーフェン、財務官僚のコンラート・ランゲ、法務官僚のヨハン・ベーベルだ。
この三人を秘書官にしたが、商人や町の顔役と上手く繋がり、的確に情報を得てくるだけでなく、不当に売り渋る帝都の商人を見つけて在庫を放出させるなど、民の不満を上手く解消してくれている。
そんな中、ラウシェンバッハ領の獣人族部隊がグランツフート共和国に向かったという情報と王都シュヴェーレンブルクから主力部隊が東に向かったという情報が入ってきた。
「遂に動いたようですな。共和国に向かった兵は一万から一万五千。獣人族部隊のほとんどを送り込んだようです。王都からは中央軍の第一師団と第二師団の約八千。即応できる軍をすべて動かしておりますな」
ビールのジョッキを持った総参謀長のヨーゼフ・ペテルセンが報告してきた。
余はその報告に疑念を抱いていた。
「シュッツェハーゲンが主戦場と判断したのか……ラウシェンバッハにしては拙速に過ぎる……」
ラウシェンバッハは“千里眼”と呼ばれるほど先を読むことができる。しかし、それでも早すぎると疑念を持ったのだ。
「余はまだシュッツェハーゲン王国に侵攻するか決めていないのだ。それなのに主力の獣人族部隊を送り込んだ。ペテルセンよ、卿はこれをどう見る」
彼も疑問を持っていたようですぐに答えが返ってきた。
「誘っているのでしょう。ですが、その意図が読めません」
「そうだな。グランツフート共和国軍とラウシェンバッハの獣人族部隊と中央軍がグラオザントに向かえば、シュッツェハーゲン王国軍と合わせて十万近い数に達しよう。それだけの兵力を送り込むということは常識的に考えれば決戦を求めているようにしか見えぬ」
シュッツェハーゲン王国軍のうち、西に割けるのは四万から五万と予想している。
グランツフート共和国の中央機動軍は三万であるため、グライフトゥルム王国が二万ほどの兵を投入すれば最大で十万になる。
「陛下のおっしゃる通りですな。ですが、相手はあの千里眼殿。大兵力を送り込むことで抑止力とし、シュヴァーン河方面に引き寄せて戦いを挑むということも充分に考えられます。その際、草原にいるゴットフリート殿下に渡りを付けていれば、我が軍といえども簡単には勝てませんからな」
「だが、動かぬという選択肢はない。これ以上帝都の民に不満が溜まれば、暴動に発展しかねぬ。そうならずとも物価高騰で帝都の経済が落ち込み始めている。帝都で消費が低迷すれば、地方は更に経済が落ち込むだろう。そうなったら、皇国軍の残党どもが更に暴れ、帝国中部から西部で大混乱が発生するはずだ」
これはカーフェンが報告してきたことだ。
カーフェンは秘書官就任からひと月と経たずに帝都経済低迷の危険性を指摘した。
『帝都は帝国経済にとって心臓のようなものでございます。その心臓が弱れば、まず末端である地方が壊死し、その影響が帝都にも及びます。具体的には、東部総督府のあるオストワルト市は木材とそれを加工した木工品が主な産物でございますが、地元での消費は三割にも満たず、ほとんどが帝都に送られております。生活必需品とは言い難い木工品の帝都での取引は既に低迷しており、オストワルトでは困窮に喘いでおります』
『造船や軍関係の需要増加で、木材の消費は増えているはずだが?』
『陛下のご認識の通りですが、素材が売れても加工品が売れなければ、地場産業は衰退いたします。地場産業は裾野が広く、地域経済を支えるものです。例えば、家具であれば、デザインを考える者や職人たちのように直接作る者だけでなく、加工用の工具類や塗料などのその他の素材を売買する者、職人たちに食事を提供する者など、多くの者が関わっています。このように帝都経済の低迷が一都市の問題と考えることは非常に危険であると愚考いたします』
地方経済が帝都に大きく依存していることは当然知っていたが、その度合いが余の想像を遥かに超えていた。
そのようなことを思い出していると、ペテルセンが通貨に関する話を始める。
「商人たちを呼び込むために帝国マルクと組合マルクの交換レートを定めることが、我が国の財政を破綻させるかもしれぬとは全く考えておりませんでした」
ペテルセンが言っているのはランゲが報告してきたことを基にしている。
帝国マルクは我が帝国政府が発行・保証している通貨だ。
一方、組合マルクは商人組合が発行・保証する通貨だが、組合所属の商人たちは大量の資産を持っている。
一方、我が帝国政府だが、現在国家予算の七割に達する借入金があり、予算の一割弱がその利子に当てられている。それだけではなく、借入金は年々増大しており、経済が悪化すれば税収が減ることから、更に財政は悪化する。
『帝国マルクと組合マルクの交換レートを定めましても、財政に不安がある現状では帝国マルクは下落するだけでしょう。そうなれば通貨の価値は下がり、物の価値が相対的に上がります。つまり、物価高騰に更に拍車をかけることになるのです』
最初はランゲの言葉の意味がよく理解できなかった。
『国内で使う分には帝国マルクの価値は下がらぬのではないか?』
『国外と取引をしないのであれば、陛下のおっしゃる通りです。ですが、商務府を設立し、組合所属の商人たちを呼び込むのであれば話は変わります。彼らは帝国マルクではなく、組合マルクでの決済を求めてくるでしょう。その場合、帝国マルクの価値は一気に下落いたします』
『では、交換レートを固定すればよいのではないか?』
ランゲは悲しげな表情で首を横に振る。
『交換レートを固定したとしても、帝国マルクでの決裁をしたいと言えば足元を見られて交換レート以上の金額を請求してくるはずです。そうなれば、実質的なレートが下がった状態になります。帝国マルクでの取引を強制すれば、組合の商人たちは我が国での商売を諦めるでしょう。価値が下がると分かっている通貨を持っていても仕方がないと考えるためです』
確かにその懸念はあると思った。
『防ぐ方法はないのか?』
『二つございます。一つには借入金を減らし、国家の財政を健全化させることです』
常識的な答えだが、現状の借入金を完済するには最低でも二十年は掛かる。現実的ではない。
『今の状況ではあまり意味のない方法だな』
余がそう言うと思っていたのか、ランゲは自信ありげな表情を浮かべている。
『私もそう考えます。ですので、もう一つの方法で解決できるのではないかと思っています』
『その方法とは?』
『我が国がエンデラント大陸を統一すると商人たちに思わせればよいのです。つまり、先ほど説明しました国外との取引自体が存在しなくなれば、通貨は帝国マルクだけになりますから通貨下落という事象自体が発生しません』
『なるほど……我が国が統一すれば、組合マルク自体が存在しなくなるということか……』
ランゲは我が国の実力を商人たちに見せつけろと言ってきたのだ。
なかなか大胆な案を提案してくると、ランゲに対する評価を上げている。
そんなことを考えていると、ペテルセンが問うてきた。
「それでどうされますかな? ラウシェンバッハの誘いに乗ってシュッツェハーゲンに軍を進めるか、それともそれを逆手に取って、グライフトゥルム王国軍を引き込んで撃破するか。小職としましては、シュッツェハーゲンに侵攻し、同盟軍を撃破する戦略が最も合理的と考えますが」
「そうだな……基本的にはその方向でよいだろう。だが、兄上のことを含め、不安要素が多すぎる。まずは第一軍団をエーデルシュタインに向かわせた上、不安要素を取り除きつつ、目標を定めることとする」
余の言葉にペテルセンは恭しく頷いた。
七月に入ったところで、余はシュッツェハーゲン王国への侵攻作戦の発動を発表した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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