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第二十六話「イリス、帝国の状況を聞く」

 統一暦一二一六年六月十三日。

 グランツフート共和国中部ヴァルケンカンプ市、中央機動軍駐屯地内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人


 グランツフート共和国中部の町、ヴァルケンカンプ市に到着し、遊撃軍に合流した。

 初日は司令部や各連隊長の顔見せに近く、本格的な演習は行っていないが、思った以上に練度が高いことに安堵している。


 演習が終わった夕方、兄様とハルトと一緒に明日以降の計画の確認をしようとした時、副官のエルザ・ジルヴァカッツェから来客があると告げられた。


「モーリス商会のフレディ・モーリス殿が、イリス様にお話したいことがあるとここに来られております。いかがされますか?」


 フレディはラウシェンバッハ領の酒造職人たちをリヒトロット市に送り届けた後、エーデルシュタインに入った。そこで情報収集した後、新たに建設された街道を通って戻ると聞いていた。


「すぐにここに通して」


 エルザに命じた後、兄様とハルトに簡単に説明する。


「フレディは帝国軍が作った街道を通ってここに来たはず。二人も最新情報を聞いておいた方がいいわ」


「そうだな。帝国軍の動きにも関係するから直接聞いておいた方がいいだろう」


「俺も賛成だ」


 二人の他に参謀長のディアナ・フックスも同席させる。


 フレディはすぐにやってきた。

 旅装を解いておらず、この町に到着したその足でここに来てくれたようだ


「お忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、情報を持ってきてくれたみたいで助かるわ。それより急いでいるようだけど、何か問題でもあったのかしら?」


「思ったより厳しい状況だと感じましたので、急ぎお伝えした方がよいと思いました」


 彼は私の言葉に頷きながら、持っていたカバンの中から数枚の紙を取り出す。

 その紙にはエーデルシュタインからグラオザント城に至る街道が描かれており、物資の集積所や街道の状況などが書き込まれていた。


「帝国が新たに作った街道、彼らは南部街道と呼んでいますが、既に完成しておりました。そして、私が考えていた以上にしっかりとしたものになっております。物資集積所も私が見る限り、十万の兵に対応できるだけの大規模なもので、すべてを確認したわけではありませんが、既に大量の物資が準備されているように見受けられました」


 その言葉に私たち三人の表情が硬くなる。


「帝国軍の行軍速度はどの程度になると、あなたは見ているのかしら?」


 彼は商人だが、マティから軍事に関する知識も叩きこまれているため、下手な参謀より鋭い見立てをするから聞いてみた。


「軍の規模にもよると思いますが、一個軍団三万人と仮定しても、一日当たり平均二十キロで移動できると思います。その前提で野営地が設定されていました。そして、一日程度ずらして行軍するのであれば、物資集積所の規模から考えると、三個軍団でも同じ速度で行軍が可能と見ています」


 平地であり一万人以下の軍であれば、旧王国軍でも一日当たり二十キロメートルの移動速度は可能だった。しかし、険しい山や砂漠地帯を三万という大軍が同じ速度で移動できることは一応想定していたが、一番厳しい想定だった。


 同じことを考えたのか、兄様が渋い顔で質問する。


「悪天候になってもそれだけの移動が可能ということだろうか? あの辺りの気候は知らないが、急造の街道なら雨で街道が荒れると思うのだが」


 その言葉にフレディは首を横に振る。


「南部街道の幅は狭いところでも五メートルほどですが、ぬかるみそうな場所には砂利が敷き詰めてありました。また、街道の脇には排水路も作られており、大雨でも街道が冠水することはなさそうでした。それに一定間隔で砂利や土が用意されており、道に不具合が出た場合に備えております。第三軍団の補給担当者に聞いた話では、大嵐でも来ない限り、行軍は可能と自信を持っておりました」


 モーリス商会の跡継ぎということで、補給担当者に顔が利く。それを上手く利用して情報を得たみたいだ。


「シュッツェハーゲン王国側はどうだ? ツィーゲホルン山脈の南は荒れ地だと聞いているが?」


 ハルトの質問にフレディは頷く。


「ツィーゲホルン山脈から大陸公路(ラントシュトラーセ)までは二十キロほど荒れ地が続き、馬車一輌が通れるかどうかというほど狭い道になります。ですが、大きな川や深い谷があるわけでもなく、帝国軍なら行軍に支障はありません。それに彼らの能力なら、輜重隊のための道もひと月ほどで簡易なものを、ふた月ほどで立派な街道を作ってしまうでしょう」


「それほどか……シュッツェハーゲン王国が作っている防御拠点は見たか?」


「はい。グラオザント城と山脈の裾野の間に土塁と堀で防御拠点を作っておりますが、素人の私が見ても頼りないものでした。アイゼンシュタイン侯爵閣下にお会いしましたが、野戦用の大規模な防御拠点というものを作った経験がなく、これでよいのか自信がないとおっしゃっておいででした。それに兵たちも荒れ地での土木作業の経験がなく、効率の悪い作業をやっているように見受けられました」


 タンクレート・アイゼンシュタイン侯爵はシュッツェハーゲン王国軍の将軍の一人で、新国王レオナルト三世陛下の側近だ。


 帝国との戦いでは当時王太子であったレオナルト陛下と共に前線で指揮を執り、マティが良将と評している人物だ。


 シュッツェハーゲン王国とゾルダート帝国との国境だが、ゲファール河という大河があり、渡河が難しい。また、渡河できたとしても王国側は森林地帯になっているため、大軍が行動できるルートは限られており、城塞での防御が基本だ。


 そのため、平地に野戦陣地を構築するような戦いは滅多に起きず、歴戦のアイゼンシュタイン将軍でも経験がなかったのだ。


 そこで兄様が顔をしかめる。


「まずい状況だな。イリス、何か対応案はあるか?」


「そうね……ケンプフェルト閣下にお願いしてはどうかしら? 中央機動軍なら防御拠点を作ることに慣れているわ。専門の工兵隊はないけど、そういったことを得意とする指揮官を派遣してもらったら改善できると思うのだけど」


 グランツフート共和国の防衛戦略は攻め込んできたレヒト法国軍を察知した場合、ヴァルケンカンプ市に駐屯する中央機動軍が国境の内側で迎え撃つというものだ。当然、短期間で有効な防御陣地を構築することには慣れている。


 私の案にハルトが大きく頷く。


「それがいいな。それにうちからも参謀を送り込んだらどうだ? 俺かイリスが行ければいいが、今の状況じゃ無理だし、参謀なら士官学校で野戦用の防御拠点の設置の仕方も学んでいるから、手助けにはなるだろう」


 士官学校ではマティの考えた防御施設の構築方法の授業もある。状況や地形で作るべき施設は変わるが、考え方を知っているだけでも役に立つだろう。


「ディアナ、人選を任せていいかしら?」


「承りました。戦闘工兵大隊にいた者がおりますので、その者を派遣します」


 兄様がフレディに質問する。


「帝国軍の補給部隊で目標や出陣の時期について噂は流れていなかったか?」


「物資集積所の駐在部隊に話を聞いておりますが、グラオザントに向かうことになるのではないかと話していました。時期については彼らの意見もバラバラで確定的な情報を得られていません。ですが、大規模な侵攻作戦を前提と考えるのであれば、早くとも八月、恐らく九月に入るのではないかと思います」


「その根拠は何かしら? 集積所に物資は充分にあるという話だったと思うのだけど?」


「第二軍団がエーデルシュタインに向かったという話を聞きましたが、エーデルシュタインにあった物資は南部街道の集積所に送り込まれており、急いで集めている状況でした。我が商会の支店の者に確認しましたが、軍の倉庫には空きが多かったそうです。帝国では補給物資に余力がない状況で大規模な遠征は行いませんので、二個軍団以上を送り込む作戦であれば、恐らく秋播きの麦の収穫が終わった八月くらいになるはずです」


「確かにそうね。そうなると、グラオザントに帝国軍が来るのは早くても九月頃、今から二ヶ月ほど先ということね」


「そうなると思いますが、一個軍団なら今でも動かすことができると思います」


「それはないと思うわ。遊撃軍が動いたという情報がそろそろ帝都に届くはずよ。共和国軍と合わせて四万以上を相手にするのに一個軍団を動かすことはないわ」


 私の意見にハルトが疑問を口にする。


「シュヴァーン河を主目標にしたらどうだ? 俺たちを釘付けにするために、一個軍団を派遣することは充分にあり得ると思うが」


「引き付けておくだけなら、一個軍団を動かす必要はないわ。一個連隊がツィーゲホルン山脈を越えて、姿を見せるだけでも警戒せざるを得ないんだから」


 一個連隊二千五百の兵が現れれば、シュッツェハーゲン王国軍は先遣隊が橋頭堡を作るために来たと考える。エーデルシュタインから本隊が出発したかの情報が王都シュッツェハーゲンに届くには最短でも一ヶ月ほど掛かるため、確かめようがないからだ。


 通常なら我々も同様だ。エーデルシュタインから王都シュヴェーレンブルクに情報が届き、更にここに情報が来るには一ヶ月弱は掛かる。もっとも我が国には長距離通信の魔導具があるため、十日ほどで情報は届くが。


 十日ほどで情報が届いたとしても、エーデルシュタインから南に向けて出陣し、その後にリヒトプレリエ大平原を掠めるように西に進めば、グラオザントに向かったように偽装できる。その動きを察知するまでに時間は掛かるから、ヴァルケンカンプから動くことは難しい。


 そのことを説明すると、ハルトも納得したのか頷いた。


「確かにそうだな。そうなると、ここで二ヶ月ほどは訓練三昧ということか」


 ハルトの言葉に兄様が笑みを浮かべて頷く。


「我々にとっては都合がいい。仮にグラオザントに帝国軍が来ない場合でも、シュヴァーン河での防衛戦になる。遊撃軍ならラウシェンバッハに戻せば、ヴェヒターミュンデでもリッタートゥルムでもどちらへも救援が可能だからな」


 普人族(メンシュ)が主体の軍であれば、行軍速度は一日に二十キロメートル程度、無理をしても三十キロメートルが限界だけど、獣人族(セリアンスロープ)だけで構成された遊撃軍ならその倍は余裕で、三倍の距離でも移動は可能だ。


「そうね」


 そう答えた後、フレディに視線を向ける。


「帝国の状況を探ってくれてありがとう。特に街道の状況は情報部もなかなか知ることができなかったから助かったわ。でも危険じゃなかったの?」


「あの街道にいる帝国軍相手に商売をすると言って通行許可を得ましたから特に危険はありませんでした。それどころか、帝国軍が護衛を付けてくれましたので、魔獣(ウンティーア)に襲われることもなかったです。旧皇国軍の方もマティアス様から連絡が入っていたようで、全く危険はありませんでしたね」


 旧皇国軍の非正規部隊はエーデルシュタイン近辺にも多く展開している。その部隊の指揮官とは情報部を通じて連絡を取り合っており、モーリス商会への攻撃は控えるように伝えてあったのだろう。


 帝国軍が護衛を付けたのは善意だけではないと思っている。恐らく、護衛の傭兵にマティの手の者が紛れることを気にしたんだと思う。

 そのことを彼に言うと、笑いながら頷いた。


「私もそうだと思っています。ただ、最後の一日は護衛なしになってしまったので、少し怖かったですが」


 ツィーゲホルン山脈の裾野から大陸公路までは帝国軍もシュッツェハーゲン王国軍を警戒し護衛できなかったようだ。


 フレディも(シャッテン)に鍛えられているから、普通の兵士より戦えるし、同行した従業員も戦える者を選んでいたらしい。


「ご苦労だけど、マティにもあなたから直接情報を伝えてくれないかしら」


「最初からそのつもりですので問題ありません」


 その後、更に話を聞いていった。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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