第二十五話「イリス、遊撃軍と合流する」
統一暦一二一六年六月十三日。
グランツフート共和国中部ヴァルケンカンプ市、中央機動軍駐屯地内。イリス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵夫人
昨日、兄様たちと共にグランツフート共和国中部の町、ヴァルケンカンプ市に到着した。
市長たちにあいさつを行った後、すぐに遊撃軍がいる共和国軍中央機動軍の駐屯地に入った。
遊撃軍であるラウシェンバッハ領の義勇兵一万、エッフェンベルク領の義勇兵三千、突撃兵旅団二千はハルトが指揮し、先行してヴァルケンカンプに入っている。
遊撃軍とゲルハルト・ケンプフェルト元帥率いる中央機動軍の出迎えを受けた。
その日は以前のような歓迎ムードだったが、今日からは本格的な演習になるため、皆表情を引き締めている。
兄様が演台に立ち、拡声の魔導具のマイクを握る。
『帝国軍が動いているという情報は諸君らも聞いていると思う。今のところ、あのマティアスですら、皇帝マクシミリアンがどこを狙っているのか読めない状況だ。だが、シュッツェハーゲン王国軍は我が軍や共和国軍と異なり、古い軍隊に過ぎず、もし帝国軍が侵攻した場合、大陸公路に拠点を作られる可能性が高い……』
兄様の演説を全員が静かに聞いている。
『それを防ぐために、諸君らがここにいる。諸君らなら帝国軍の常識を超えた速度で救援に向かえるだけでなく、精鋭である帝国軍と互角以上に戦える。そうマティアスは断言した。私もその言葉を全面的に認めている』
その言葉に兵士たちの表情が明るくなる。
マティが評価してくれたことが嬉しいのだ。
『だが、同時に彼は懸念も伝えてきた。それはこの遊撃軍で大きな損害が出るのではないかということだ』
その言葉に兵たちの顔に疑問が浮かぶ。
『確かに諸君らは優秀な戦士だ。そのことはここにいるハルトから聞いているし、義弟のヘルマン、実弟のディートからも同様の報告を受けている。彼らが間違った報告を上げるとは全く思っていない。同時にマティアスが間違えることもないと思っている。では、諸君らの何にマティアスは懸念を持ったのか……』
そこで兄様は言葉を切り、全員を見回していく。
『帝国軍がシュッツェハーゲン王国に向かった場合、シュッツェハーゲン王国軍、共和国軍、そして我が軍が力を合わせて撃退することになる。しかし、それぞれの軍にはそれぞれの特徴があり、自分たちだけが遮二無二戦っても勝利は掴めない。マティアスが懸念していたのはその点なのだ……』
兵士たちはまだ兄様が何を言いたいのか分からないが、マティが懸念しているという言葉に僅かに動揺している。
『諸君らは戦いになると我を忘れることが多い! そして、そうなった場合、指揮官の命令を無視して戦い続けてしまう! 帝国の将には優秀な者が多いのだ。指揮官の命令を聞かずに戦う軍がいると知れば、それを利用しようとするだろう……では、どうすべきなのか。マティアスはそれに対応する具体的な方法を教えてくれた!』
兄様は力強くそう言った後、左手を高く上げ、一本だけ指を伸ばす。
『一つだけ、たった一つだけ命令を覚えるのだ! それは“止まれ!”だ! 隊長の声や太鼓やラッパの音で“止まれ”という命令が聞こえたら、諸君らも“止まれ!”と叫べ! そして、周りが止まったら静かにその場で待つのだ! そこで次の命令に従え! これがマティアスの考えた方策だ! 理解した者は敬礼せよ!』
そこで全員が一斉に敬礼する。
マティが気にしていたのは興奮状態になった後のことだった。兄様が言った通り、ヘルマンやディートが厳しい訓練を行ったから、通常の行動なら問題はない。
しかし、戦闘に入った状況でそれが維持できるのか不安があると、ヘルマンたちから報告を受けている。
レヒト法国との戦いでは突撃兵旅団が暴走気味に戦かったものの上手くいっている。しかし、あれは他の部隊がバックアップしたから戦果を挙げられただけで、全軍があの状態になれば、手が付けられなくなる。そのことを私たちは怖れたのだ。
たった一つの命令なら、興奮状態でも聞き逃さない者は必ずいる。その者が近くで叫び、戦友を止めれば、太鼓やラッパの音が耳に入らなくとも命令に気づく。それを連鎖させれば、とりあえず興奮状態を止めることができると考えたのだ。
もちろん、この方法では軍の勢いを止めることになるが、無秩序な暴走より遥かにマシだ。
『よろしい。それでは我が軍の編成について伝える。ラウシェンバッハ領の第一から第六義勇兵連隊はイリスが指揮し、イリス師団と呼称する。ラウシェンバッハ領の第七から第十義勇兵連隊と突撃兵旅団はハルトが指揮し、ハルト師団と呼称する。そして、エッフェンベルク領の第一から第三義勇兵連隊は私が指揮し、ラザファム師団と呼称する。本日は連隊ごとに連携訓練を行う。以上だ!』
そこで全員が敬礼し、兄様も答礼をしてから演台から降りていく。
私たちの名を付けた師団にしたのは、兵たちが理解しやすいためだ。興奮状態で“遊撃軍第一師団第一連隊”と言われてもピンと来ないが、イリス師団第一連隊と言われれば、気に留めやすい。
これもマティが考えたことだが、私としては恥ずかしいから嫌なのだけど、合理的なので受け入れている。
私の師団は犬人族や狼人族、猫人族など比較的小柄な氏族で構成されている。
ハルトの師団は逆に虎人族や熊人族など大柄な氏族からなる。突撃兵旅団が元々大柄な者が多いことから合わせたのだが、その突破力に期待している。
私の師団のところに行くと、若い義勇兵たちが目を輝かせて待っていた。
「イリス様の下で戦えて嬉しいです!」
「騎士団には入れなかったけど、ここに来られてよかったです!」
基本的に義勇兵は黒獣猟兵団やラウシェンバッハ騎士団に採用されなかった者たちだ。但し、個人の戦闘力に限れば、採用された者と大きな差はない。
「みんなには期待しているわよ!」
私がそう言うと、歓声が上がる。
「各連隊は割り当ての場所に移動しなさい!」
今日は連隊長との顔合わせが目的だ。
本来ならもう少し前から合流させたかったが、連隊長たちの教育に時間が掛かったためだ。
「ラルフ! 第一連隊を整列させなさい!」
第一連隊長のラルフ・ヤークトフントに命令する。
ラルフは二十四歳になったばかりの猟犬族の若者で、ラウシェンバッハ騎士団の元小隊長だ。
遊撃軍の連隊長候補を探している時、ヘルマンが推薦した若手の一人で、沈着冷静で視野も広いことから私が指名した。
ラルフは「了解!」と短く答え、部下たちに命令を出していく。
「第一連隊、大隊長を先頭に整列せよ!」
その命令で兵士たちが走り出す。
この辺りはヘルマンが鍛えてくれているから、ほとんど混乱することなく、すぐにきれいな列を作っていた。
私は参謀長のディアナ・フックスと副官のエルザ・ジルヴァカッツェ、護衛のサンドラ・ティーガーらを引き連れ、彼らの前に立つ。
ディアナは二十三歳の狐人族の女性で、ラルフと同じくラウシェンバッハ騎士団の元小隊長だ。彼女もヘルマンが推薦した連隊長候補の一人だが、細かいところまで気が回ることと観察眼が鋭いことから、参謀長に指名した。
エルザも今年二十三歳になる銀猫族の若い女性だ。彼女もラウシェンバッハ騎士団の元小隊長だが、明るく物怖じしない性格だったため、私の副官にした。
全体に遊撃軍の上層部は二十代前半と非常に若い。私としてはラウシェンバッハ師団から三十代くらいのベテランの連隊長や大隊長を引き抜きたかったが、ラウシェンバッハ師団はマティが直接率いて、危険な任務に就く可能性が高いため諦めている。
また、遊撃軍の兵士は十代後半から二十代前半が多く、年代的に近い者の方が早く馴染めるのではないかと考えたことも理由の一つだ。
私がマイクを握ると、ラルフが「静聴!」と叫ぶ。
「第一連隊は私の直属となる! つまり、最も厳しい状況に対応してもらうということだ!」
あえて厳しい口調で話す。
「諸君らが優秀な戦士であることは理解している! しかし、敵はマティが警戒する帝国軍だ! 個々の戦士の力で勝てるほど甘くない! 私の命令を聞き逃すような者は不要だ! そのような者は即刻帰国させる! 私はその覚悟で演習に挑む! 理解した者は敬礼せよ!」
そこでピシっと言う感じで敬礼する。
「よろしい! 私の名を冠した師団が明日からの合同演習で無様な姿をさらうことは許さない。ラルフ! 第一連隊を早急に掌握しなさい!」
「はっ!」
ラルフが鋭く答え、敬礼する。
「ラザファム師団、ハルト師団はもちろん、共和国の中央機動軍にも我がイリス師団が精鋭であることを見せつけなさい! 諸君らの奮闘に期待する!」
それだけ言うと、マイクをエルザに渡す。
その後、第二から第六連隊でも同じように演説を行い、各連隊で訓練が始まった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。




