第二十二話「国王、政務に励む」
統一暦一二一六年五月十五日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。国王ジークフリート
聖都レヒトシュテットから戻って三ヶ月余り、ようやく落ち着いてきた。
ここ一ヶ月ほどは比較的近い、王国中部から北部の都市を巡り、民たちに顔を見せている。その際、婚約者であるエルミラ殿も同行しており、楽しい時間を過ごすことができた。
しかし、王都では忙しい日々が続いている。
朝六時頃に起床すると、近衛連隊長のアレクサンダー・ハルフォーフと共に鍛錬を行い、七時頃から朝食を摂る。その後、身だしなみを整え、八時頃から政務に当たる。
最初に宮廷官房長のシュテファン・フォン・カウフフェルト男爵からその日の予定を聞いた後、前日の残りや夜のうちに持ち込まれた報告書などの書類を確認し、サインしていく。
九時頃から午前中いっぱい、重臣たちからの報告や提案を受ける。
昼食も基本的には誰かと会食することが多い。相手は家臣だけでなく、有力な商人や同盟国の外交官の時もあり、食事というより仕事と言っていいだろう。
午後はたいてい会議が入っている。
御前会議はそれほど頻繁に行われないが、各省や軍が主催する会議がほぼ毎日入っているのだ。
午後三時頃から一時間ほど、近衛兵たちと一緒に鍛錬に励む。
机仕事ばかりでは気が滅入るということもあるが、マティアス卿から勧められたからだ。
『身体を動かすことで頭もリラックスできますから、適度な運動を行うことで仕事の効率が上がります。それに陛下のご年齢から魔導器を使った鍛錬を行えば、効率よく学べるようです。陛下自らが剣を取るような事態にはならないようにいたしますが、どのような事態にも対処できるようにしておけば、心に余裕ができますので』
彼の言葉に従い、東方系武術の鍛錬を多めにしている。
達人であるアレクもいるし、凄腕の影、ヒルデガルトもいるから、師匠には事欠かない。
午後四時頃に執務室に戻り、再び書類にサインを行う。
私のところに来る書類は重要なものばかりだが、宰相たち重臣が確認したものだ。
それに御前会議などで決定した内容であり、私が確認するのは無駄だと思ったが、そのことをマティアス卿に言うと、真剣な表情で諭された。
『確かに既に決まったことを文書化しただけですから、陛下が見られても修正すべき点は見つからないでしょう。ですが、陛下のところに来る書類は、統治者である国王が認めることで初めて有効になるものばかりです。しっかりと読み、内容を理解してからサインを行うことは王としての義務です』
私が納得した様子がないと思ったマティアス卿は更に言葉を続けた。
『単にサインするだけにしたいと言うのであれば、方法がないわけではありません』
そんなことができるのかと思った。
『それはどのような方法なのだろうか?』
『統治権を放棄すればよいのです。そうすれば責任は生じませんから、国家元首として形式上のサインをするだけでも、何も問題はありませんので』
『統治権を放棄する? 誰が統治することになるのだろうか?』
『貴族、もしくは平民でしょう』
『貴族が統治するのは何となく分かる。以前の我が国がその状態だったからだ。しかし、それでは国が乱れるのではないか? それに平民が統治するということはグランツフート共和国のように王自体が不要になるのではないか?』
『貴族による統治でも国が乱れるとは限りません。以前は法の定めもなく、勝手に権限を奪っていただけですので、明確に貴族による合議制を法で定め、そのルールに則って統治すれば問題はありません。平民の代表が統治する場合も同じです。法による統治のルールを明確に定めさえすれば、君主制を残すことは不可能ではありません』
マティアス卿が言いたいことが何となく分かった。
『我が国は王政の国家であり、それを変えない限りは国王にすべての責任がある。だから、サインをする際もその覚悟をもってせよと卿は言いたいのだな』
私の言葉にマティアス卿は表情を緩めて頷いた。
それから真剣に書類を確認するようになったが、これが思った以上に時間が掛かった。
午後四時から始めても二時間で終わることはなく、酷い時には午後九時くらいになることもあった。
そのため、私の身体を心配したシュテファンがマティアス卿に相談し、書類の決裁権限の明確化を図り、書類の数は半減した。また、書類の優先度を明確にした。
『緊急度の高いものから見ていき、二時間で確認できなかったものは翌日に回すことにしましょう』
この結果、午後六時には政務を終えることができるようになった。
午後六時からは夕食を摂るが、夕食も誰かと会食することが多い。そのため、気が抜けないことが多く、何を食べても美味いと思えなくなった。
これについてもマティアス卿が改善を図ってくれた。
『政治関係の会食は週に三回までとしましょう。あとは陛下がご一緒したい方と食事を摂られてはいかがですか』
シュテファンも大賛成してくれたため、今ではエルミラ殿と食事を摂る日が多い。
こんな感じでこの生活にも慣れてきた。
そして、本日の御前会議でラザファム卿が対帝国戦略について提案を行う。
会議室に入ると、宰相以下の文官とラザファム卿、マティアス卿に加え、イリス卿が同席している。
ラザファム卿が説明を始めた。
「帝国軍の第二軍団がエーデルシュタインに向かったことは先日報告いたしました。現状では帝国軍の目標がどこであるのか判明しておりませんが、シュッツェハーゲン王国に対し、何らかの対応が必要と考えております。その方策として遊撃軍を編成し、グランツフート共和国のヴァルケンカンプに向かわせるべきと考えます」
この作戦は以前から検討されているもので、誰も疑問を口にしない。
「遊撃軍はラウシェンバッハ領義勇兵一万、エッフェンベルク領義勇兵三千、東部方面軍第二旅団、通称突撃兵旅団の計一万五千とし、総司令官に小職、副司令官にラウシェンバッハ中将とイスターツ中将とし、共和国中央機動軍と合同演習を行うと発表したいと考えております」
そこで宰相であるマルクス・フォン・レベンスブルク侯爵が引き取る。
「軍からの提案に対し、意見があれば積極的に発言してもらいたい」
その言葉に法務卿であるベネディクト・フォン・シュッタットフェルト伯爵が発言する。
「一万五千の兵を送り込むことは致し方ないと思うが、王国軍の軍権を預かる司令長官自らが出陣する必要はないのではないか? それに卿とイリス卿、ハルトムート卿という優秀な将を派遣すれば、我が国の防衛体制が弱体化しかねないが、その点はどう考えているのだろうか?」
「今回の作戦では帝国がシュッツェハーゲン王国に侵攻してきた場合、共和国軍と共に救援に向かうことになります。つまり、その判断ができる権限を持つ小職か、ラウシェンバッハ大将が率いねばなりません」
「それは理解する」
「しかしながら、シュッツェハーゲン王国への救援は強行軍となる可能性が高く、それに対応できるのはラウシェンバッハ大将ではなく小職です。また、帝国が我が国に兵を差し向けてきた場合、ラウシェンバッハ大将がシュヴァーン河で指揮を執っていれば、皇帝マクシミリアンが奇策を用いてきたとしても対応できるでしょう。つまり、この配置が最適ということです」
「なるほど。二つ目の点はどうか。遊撃軍司令官であるイリス卿が出陣することは仕方ないが、東部方面軍副司令官のハルトムート卿まで出陣させれば、シュヴァーン河の防衛力を落とすことになりかねぬと思うが」
「法務卿の懸念は理解します。ですが、シュヴァーン河を渡河し、帝国領に打って出ることがなければ、水軍での防衛が主となりますから、イスターツ中将が不在でも影響は小さいでしょう」
ラザファム卿の言葉に法務卿も納得する。
その後、ラザファム卿不在の間の体制の確認や、帝国軍が我が国に進軍してきた場合に遊撃軍がどう動くかなどの確認が行われた。
「意見は出尽くしたようだ。反対意見はないと思うが、それでよいだろうか」
レベンスブルク侯爵の言葉に全員が頷く。
「陛下に申し上げます。軍からの提案に問題がないことを確認いたしました。ご意見はございますでしょうか」
「特にない。私もこの提案を採用すべきだと考えている」
私の言葉に宰相が頷く。
「では、軍の提案を採用し、遊撃軍を編成した後、出陣させることといたします」
会議が終わった後、イリス卿に話しかける。
「また子供たちと離れることになる。まだ法国との戦いが終わってから一年も経っていないのだが」
彼女の子供たちはグライフトゥルム市で一緒に過ごしたこともあり、弟や妹のような存在だ。そのため、母親と引き離すことに少し後ろめたい気持ちがあった。
「仕方がないことですわ。国を守るために軍の重職に就いたのですから」
出陣すれば最低半年は戻って来られないことは分かっているはずだが、思いのほかサバサバしていた。
何となく無理をしている気がしたが、そのことは口にしなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
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