第十五話「モーリス兄弟、総督府の役人を翻弄する:前編」
統一暦一二一六年三月十七日。
ゾルダート帝国中部リヒトロット市、リーデル商会リヒトロット支店内。ダニエル・モーリス
兄フレディがラウシェンバッハ領の酒造職人たちを引き連れて、ここリヒトロット市にやってきた。
昨日も兄や職人たちと共にリヒトロット市周辺のブドウ畑と醸造施設を視察している。
この時期の畑は葉も落ちており寂しい風景だが、それ以上に荒廃した感じがあった。
醸造所とブドウ畑にも投資を行っているが、総督府の妨害にあい、昨年から本格的な整備が始まっている。そのため、手が回っていない場所が多くあり、そこを見てもらったのだ。
その荒廃した様子に、職人たちが憤りを見せていた。
『この畑のブドウは最高品質のものだったはずだ! なんで新しい木ばかりになっているんだよ……』
『古い木に力がない……よい木をラウシェンバッハに移したが、マティアス様はこうなることが分かっていらっしゃったのだな……』
『圧搾機が半数以上朽ちている……これほど使われていないとはな……』
嘆き方は様々だが、帝都であったヨーゼフ・ペテルセン元帥のことを思い出した。
あの時の嘆きと怒りは今の職人たちに通じるものがあった。そう考えると、あの人は本当に酒が好きなのだろう。
その視察中だが、何度か総督軍の兵士が現れ、どのような話をしたのかと聞いてきた。それが何度も繰り返され、ラウシェンバッハ領の職人だけでなく、ここにいる職人たちもうんざりとした表情を見せている。
これは兄たちが来たという話がすぐに広まったことが大きい。
広まった理由だが、到着した当日に地元の関係者も呼んだ歓迎の宴をリヒトロット市内で大々的に開いたからだ。
この他にもジークフリート陛下とエルミラ殿下のご婚約の話が周辺の村にまで広まり、反帝国感情が高まりつつあることも大きな要因だろう。
このタイミングでマティアス様の領地から人が派遣されれば、警戒することは当然と言える。
但し、私が釘を刺しているため、露骨な妨害は行われていない。
それでもマティアス様が旧皇国領の民に同情し、職人たちを派遣したという話は広まっているため、何らかのトラブルが発生するのは時間の問題だと見ていた。
今日も視察が行われるが、場所はリヒトロット市の西にあるゴスラッハ村の蒸留所だ。
このことは総督府にも伝えてあり、何らかのアクションがあると私と兄は考えていた。
朝食を摂った後、支店の前で準備を行っていると、総督府軍の指揮官が現れた。その後ろには完全武装の兵士が五十名ほどおり、私たちを睨みつけている。
「我らは貴殿らの護衛だ。ここ最近、旧皇国兵の山賊どもが暴れているのでな」
事実ではあるが、狙われているのは民間人ではなく、総督府軍の兵士たちだ。それに護衛は商会で雇った傭兵がいるため、無防備というわけでもない。
「総督府軍がいる方が、リスクが大きくなります。護衛は無用に願います」
真正面から拒否する。
もっとも私が絶対的な権力者である皇帝に直接苦情を言ったことを知らぬ者はなく、歯に衣着せぬ物言いをすることは総督府の役人も認識しているため、驚きの色は見えない。
「貴殿が害されれば、計画に大きな支障が出る。それを未然に防ぐ。これは皇帝陛下のご意志に沿ったことだ」
言っていることは間違っていないが、我々を危険視していることは明らかだ。
仕方なく出発しようとした時、若い役人が現れた。
「護民官より護衛は不要という指示が出された。諸君らは直ちに引き上げてくれ。彼らの安全は私ハンス・ゲルト・カーフェン産業振興執政官補佐が責任を持つ!」
カーフェンは二十代半ば、秀才という印象を強く受ける人物だ。
彼は総督府軍の指揮官に命令書らしき文書を渡した。指揮官は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、渋々と言う感じで引き上げを命じた。
「迷惑を掛けたようだな、モーリス殿」
カーフェンとは何度か顔を合わせたことがある。
今回のプロジェクトを担当する産業振興部の官僚だからだ。
彼は帝都にあるテオドール大学を優秀な成績で卒業したらしく、記憶力がよく、学問に関する知識もある程度持っている。ある程度と付けたのは、マティアス様やイリス様と比較にならないのはもちろんだが、私や兄にすら遥かに劣っているためだ。
その割には出世欲が強く、このプロジェクトで注目を浴び、帝都に凱旋したいという思いが透けて見えている。
テオドール大学だが、ヴォルフガング士官学校と並ぶ帝国の最高学府で、内務府や財務府に多くの官僚を輩出している名門校だ。もっとも私が学んだシュヴェーレンブルク王立学院の高等部よりレベル的には低いらしい。
「カーフェン様のお陰で気を遣わずに済みそうです。ありがとうございました」
そう言って頭を下げる。
「なんの、陛下より貴殿に協力するよう命じられておるのだ。当然のことだ」
「そう言っていただけることは大変心強いことです。何と言っても、ご理解いただける方が少ないですから」
そう言って意味ありげな笑みを作る。
このカーフェンだが、皇帝の下に送り込む若手官僚の候補の一人だ。プライドばかり高く、自分が思っているほど能力も知識もなく、混乱を起こさせるには最適だと考えている。
そんな話をしていると、後ろから声が掛かった。
「揉め事があったと聞いたが? カーフェン、なぜお前がここにいる?」
振り返ると目付きが悪い若い小男がカーフェンを睨みつけていた。
カーフェンは勝ち誇ったような顔で、総督府の財務管理官コンラート・ランゲを見つめている。
私はそれに気づかないふりをして、ランゲに説明する。
「ご無沙汰しております、ランゲ様。先ほど総督府軍の方が無理やり同行しようとしてきたのですが、カーフェン様に対処していただき、事なきを得ております」
この二人だが、同じ年に帝国政府に入った同期だ。
学部こそ違うが同じテオドール大学で学び、二人とも成績は優秀で、同期の中では出世頭と言われているらしい。
そのため、互いにライバル視しており、ランゲも皇帝の下に送り込むべく積極的に接触している。
もっともランゲも財政を学んだという割には経済学の基礎すら理解していない。
初等部の頃の私の方が知識はあったと自信を持って言えるほどで、本当に優秀な成績で卒業したのかと首を傾げたくなる人物だ。
「財務部は暇なのか、ランゲ。この計画は産業振興部の所管だと知っているはずだが」
カーフェンがそう言ってランゲを挑発する。
ランゲは言い返せずに悔しげな表情を浮かべている。
「ランゲ様には予算のことでよくしていただいております。そのため、気にしてくださったのでしょう」
私がフォローを入れると、ランゲは大きく頷く。
「その通りだ。何と言ってもこれまでにない額の投資を行うのだ。これ以上、停滞するようなことがあってはならん。産業振興部にももう少しなんとかしてもらいたいものだ」
そう言って嘲笑する。
ちなみにカーフェンとランゲがここに来たのは私が示唆したからだ。
彼らに情報収集能力があれば、そんな必要はないのだが、若くして比較的高い地位にある割には情報の重要性を全く理解しておらず、こちらがお膳立てしなくてはならない。
「以前に比べれば、産業振興部の方々にはよくしていただいておりますよ、ランゲ様」
カーフェンをフォローしてランゲを煽る。
「産業振興部だけでは不安だ。私も同行しよう」
ランゲはカーフェンを無視して私にそう言ってきた。
「財務部が口を挟むな。それで一度失敗したんだろうが!」
険悪な雰囲気になってきたところで、兄フレディが割って入る。
「私はダニエルの兄、フレディ・モーリスと申します。せっかくですので、お二方に来ていただきたいと思いますが、いかがでしょうか?」
私の兄、すなわちモーリス家の長男と知り、二人が驚いている。
兄がリヒトロット市に来ていることは知っていたようだが、ここにいるとは思っていなかったようだ。
「名高いモーリス家の神童二人が揃っているとは思わなかったよ。フレディ殿、ハンス・ゲルト・カーフェンだ。よろしく頼む」
カーフェンは先手を取って兄に握手を求めた。
「弟からお名前は伺っております。こちらこそよろしくお願いします」
そう言ってにこやかに右手を取った。
そこにランゲが強引に割り込む。
「私はコンラート・ランゲ。中部総督府の財務部の管理官を拝命している。商会長であるライナルト殿とも面識がある」
兄はランゲと握手しながら人好きのする笑みを浮かべる。
「父からも聞いております。優秀な財務官僚であり、将来財務尚書になられるのではないかと言っておりました」
ランゲは満面の笑みを浮かべ、カーフェンは不機嫌そうにそれを見ていた。
兄の過剰なリップサービスに苦笑が漏れそうになるが、私は気合でそれを堪えた。
そんなことがあったが、視察は無事に終わった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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