第十四話「フレディ、リヒトロットに到着する」
統一暦一二一六年三月十三日。
ゾルダート帝国中部リヒトロット市、グリューン河船着き場。フレディ・モーリス
ラウシェンバッハ伯爵領から酒造職人二十人を引き連れ、ゾルダート帝国中部のリヒトロット市にやってきた。
船着き場で入国審査が行われたが、名乗った途端、総督府軍の兵士が現れ拘束されてしまう。
「貴様らには不審な点がある。抵抗せずに警邏隊詰所まで同行せよ」
二十代半ばくらいの狡猾そうな笑みを浮かべた役人がそう命じてきた。
「私はモーリス商会のフレディ・モーリスと申します。何かの間違いではありませんか?」
「間違いではない。護民官からグライフトゥルム王国からの入国者は厳しく取り調べるよう通達が出されている。特に貴様らはあのラウシェンバッハのところから来たのだ。我が国に対して謀略を仕掛けてこぬとも限らぬからな」
そう言いながらも兵士たちには“手荒な真似はするな”と命じている。ダニエルの邪魔をしていると思われたくないようだ。
護民官は総督府軍を指揮する役職で、総督府のナンバーツーだ。
(ジークフリート陛下のご婚約の話が届いたようだな。だから我々を拘束したが、この役人はモーリス商会に手を出して叱責されることを怖れている。これは使える……)
そう考え、不満そうな顔の職人たちに抵抗しないように目で制し、役人に目を向けた。
「分かりました。お役人様は話の分かる方のようですので、大人しく取り調べに協力いたします」
「よい心がけだ」
「一つだけお願いがございます。弟のダニエル、リーデル商会のダニエル・モーリスに兄が嫌疑に掛けられているとお伝えいただけないでしょうか」
私がダニエルの兄、すなわちライナルト・モーリスの長男であると聞き、役人は目を見開いている。モーリスと名乗ったが、このような仕事に従事していることから、遠縁の者だと思っていたようだ。
「わ、分かった。私の名、ヨハン・ベーベル統制官の名で直ちに連絡させよう」
私に対して個人的なコネクションを求めるためか、あざとく名乗ってきた。
「ご配慮ありがとうございます。ベーベル様」
あえて名を呼ぶと満足そうに頷いた。
(典型的な小役人だが、やはり使えそうだな……だが、その前にこの状況を何とかしなくてはならない。まあ、ダニエルに任せておけば問題はないだろう……)
こうなることは想定しており、予め弟にはリヒトロット市にいるように伝えてあった。当然、何らかの手を打っているはずで、不安は全くない。
不安そうな職人たちを宥めながら、ベーベルからの形式的な尋問に付き合っていると、弟が走り込んできた。
「兄が逮捕されたと聞きました! それは本当ですか! 手荒な真似はしていないでしょうね! かすり傷一つでも見つかったら、総督閣下に、いえ、皇帝陛下に直接抗議させていただきますよ!」
兄思いの弟が怒りに我を忘れているという感じで早口でまくし立てる。
「落ち着くのだ。尋問はしているが、不審な点はない。このタイミングでラウシェンバッハ領から来たのだから、この程度のことは許してもらいたいものだ」
ベーベルはそう言って興奮しているように見える弟を宥める。
「ダニエル、私は大丈夫だ。ベーベル様は私たちのことを疑っているわけではないようだからな」
「兄さん、ご無事で……」
そう言って感極まったように私に抱き着く。
そして、小声で確認してきた。
「助けは?」
「不要だ」
同じく小声で答えた後、大きな声で笑う。
「ハハハ! 私を心配してくれるのは嬉しいが、何も問題はなかった! そうですね、ベーベル様?」
「そうだな。調書も取れたし、持ち物に不審な点もない。これより法務執政官に報告してくるから待っていてくれ。恐らく一時間も掛からぬと思う」
そう言うと、部下に“嫌疑は晴れたから絶対に手荒な真似はするな”と命じ、詰所を出ていった。
法務執政官は総督府の法務部の責任者だ。ちなみに統制官は現場責任者に当たる。
大人しく待っていると、三十分ほどでベーベルが戻ってきた。
「法務執政官、護民官の承認が得られた。諸君らには不快な思いをさせたが、嫌疑があったことも事実。我らが感情的に動いたわけではないことは理解してもらいたい」
「もちろんでございます。これほど迅速に対応いただきましたこと、父ライナルトにも伝えておきましょう」
私の言葉にベーベルは一瞬だけ満足そうに笑みを浮かべた。
職人たちを引き連れ、リーデル商会のリヒトロット支店に向かう。
街は依然としてギスギスした感じで商人たちの表情も暗く、思った以上に不景気そうだ。大国の首都であった面影は立派な建築物だけで、好景気に沸いていた帝都とは大違いだ。
支店に入ったところで職人たちの世話をリーデル商会の者に任せ、ダニエルと二人だけで話をする。
「予想通り、いきなり拘束されたみたいだね」
「陛下のご婚約の話もあったからな。一日くらいはネチネチと調べられると思ったが、運がよかった」
「ベーベル統制官が上手くやったということかな? 例の計画に使えそうかな?」
例の計画とは中部総督府の若手の役人を、父を通じて皇帝に推薦し、帝国の政治を更に混乱させることだ。
「まだ分からないが、思ったより頭の回転は速いな。頭は回るが、国のことより自分のことを考えるという感じに見受けられた」
「今まで接点はなかったけど、私の方でも調べてみるよ」
「頼む。私は一週間ほどここで様子を見てからエーデルシュタインに向かう。職人たちのことはお前に任せるが、特に問題はないな」
一応、事前に確認しているが、国王陛下とエルミラ殿下の婚約の話がここにも伝わっており、最新の情報を確認したかったのだ。
「問題はないと思う。ただ情報が届いたのが三日前だから、きな臭い噂はあるけど、具体的な動きはまだ見えないと言った感じだね。総督府が反応し始めているから予断は許さないけど、さっきの対応を見る限り、何かが起きるまでは慎重に行くつもりなんだろう」
「マティアス様の予想通りか……シュレーゲル総督の動きはどうだ?」
中部総督マルヴィン・シュレーゲルは五十六歳になるベテランの地方行政官だ。一昨年の九月にダニエルが皇帝に抗議した際、前総督が更迭され、東部総督であった彼が横滑りで就任している。
総督になれるほどの優秀さはあるが、前例第一の官僚主義で、皇帝の要求に応えきれておらず、焦り始めていると聞いていた。
「いい感じに混乱してくれているよ。直属の部下に当たる護民官はともかく、第四軍団長のグラーフェ元帥とは上手くいっていない」
第四軍団は旧リヒトロット皇国領の治安維持のために派遣されている。
軍団長であるクヌート・グラーフェ元帥はリヒトロット皇国攻略作戦で功績を上げ、初代第四軍団長に抜擢された人物だ。
もっとも戦術家としては優秀でも戦略家としての能力は未知数だと、マティアス様は評価している。実際、旧皇国軍の非正規部隊の襲撃に対しては的確に対応しているものの、民衆と非正規部隊に楔を打つような策は講じていない。
総督と軍団長の関係は複雑だ。
軍団長も総督も皇帝直属だが、行政に関しては総督に、軍事については軍団長に権限がある。
治安維持は本来総督の管轄だが、その治安維持のために派遣された軍団への命令権はなく、協力要請しかできないらしい。そのため、二つの組織が別々に動くということが起きており、犯罪者の検挙で無駄に競い合い、民衆の反感を招いている。
「いい兆候。しかし、皇帝は何を考えているのだろうな」
皇帝マクシミリアンがこのような体制にしたことが気になっていた。
「そうだね。同じような目的の組織が複数ある場合、権限と責任の範囲は明確にしておかなければ失敗するとマティアス様から教えてもらった。今の中部総督府と第四軍団がまさにその状態なんだけど、この程度のことは皇帝なら理解しているはずなんだけど」
弟の言う通り、私たちはマティアス様からそのように学んでいる。だから、酒造復興計画についてもダニエルが責任者で私や父ライナルトは協力者に過ぎない。
当然、情報はすべて弟のところに入り、彼からすべての指示が出ているのだ。
もちろん、そのことに全く不満はない。これが合理的であり、私が兄だからと言って介入すれば失敗に終わることが分かっているからだ。
「時間を見てマティアス様に相談した方がいいかもしれない。罠ということはないと思うけど、何らかの策に利用できるとお考えになるかもしれないからな」
一応、マティアス様にもこの情報は入っているが、現地で直接見ているダニエルの意見は貴重だとお考えになるはずだ。
「その件に関しては、モーリス商会のエーデルシュタイン支店に行った時に例の物を使って報告するよ」
例の物とは長距離通信の魔導具のことだ。
その後もいろいろと話をし、翌日から現場に行くことを決めた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。