第十三話「軍師、モーリス商会に依頼する」
統一暦一二一六年三月一日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
御前会議が終わり、司令長官補佐官であるイリスも王国軍本部に戻っていった。
私は王宮内の執務室に残り、ある人物を待っていた。
「モーリス商会王都支店長ロニー・トルンクと名乗る者が面会を申し出ておりますが、いかがいたしましょうか」
若い侍従がおずおずという感じで伝えてきた。
世界一の商会の支店長とはいえ、一介の商人が王宮内の最深部で国王の側近に面会を申し込んできたことに戸惑っているのだ。
「トルンク殿は私が呼んだのだ。丁重に案内してくれ」
伯爵であり重臣でもある私が、一商会の支店長に過ぎない平民に対して敬称を付けたことに、侍従が驚いている。
侍従は代々王宮で働く法衣貴族の子息であることが多い。子息の中でも士官学校や王立学院の高等部に入学できなかった者がほとんどだが、十五歳くらいから王宮に入っているため、“王宮務め”という特権意識を強く持っている。
そのため、上位貴族には必要以上に遜るが、騎士階級や平民に対して高圧的であることが多い。マルクトホーフェン侯爵派を排除したことから、王宮内も改革しようと考えているが、手が回っていない状況だ。
五分ほどすると、四十代半ばの人当たりのよい男が、にこやかな笑みを浮かべて入ってきた。
「ご無沙汰しております。マティアス様」
「よくきてくれた、トルンク殿」
以前は敬語で話していたが、伯爵家の当主になったことと次期商会長であるフレディ・モーリスの師であることから、敬語はやめてほしいと懇願されたため、平民に話す口調にしている。
執務室の応接セットに案内し、茶が出てくるまで雑談をする。
侍従たちはその様子を興味深げに見ていた。秘書役である影ユーダ・カーンに睨まれて早々に退散したが、これでトルンクが重要人物だと認識したはずだ。
「ライナルトさんから聞いていると思うが、レヒト法国で獣人族移住の仕事を頼みたい。面倒だし、長丁場になるが、やってもらえるだろうか」
こちらから面倒なことを頼むのに偉そうな口調になることにどうしても慣れない。
そんな私の思いとは関係なく、トルンクは満面の笑みで大きく頷いた。
「もちろんでございます。商会長からは聖都と各領都にも支店を出すよう命じられておりますが、こちらの方も問題ございません」
彼の言う通り、聖都レヒトシュテットと東西南北の各教会領の領都に支店を出してもらうよう依頼している。
その目的だが、獣人族の保護が一番だが、叡智の守護者の情報分析室の拠点としたいためでもあった。
これまで法国では闇の監視者の影を聖都、北方教会領、東方教会領に派遣して情報収集に当たっていたが、今回の勝利によって短期的には軍事的な脅威が去っている。そのため、この機に体制を整えたいと考えていた。
軍事的な脅威は去ったのだから、縮小してもよいのだが、法国という国家というか、トゥテラリィ教団という宗教組織が信用できないため、長期的な観点で監視することにしたのだ。
「今回、貴殿には勅命特別調整官という役職が与えられる」
「勅命特別調整官ですか?」
ピンとこないようだ。
「国王陛下の勅命を受け、レヒト法国から獣人族を移住させる特別任務に当たる役職だ。上司は国王特別顧問である私だ。つまり、君が私の代理人であるということを我が国が公式に認めたということだ。あの国の役人や聖職者を黙らせるには私の名を出せた方がいいからね」
その言葉でトルンクは理解したようだ。
「なるほど。四聖獣様に堂々と意見を言われたマティアス様の代理人であれば、聖職者たちもぞんざいな扱いはできないでしょう」
「この役職は法国内であれば、商会のために使ってくれてもいい」
私の言葉にトルンクが驚いている。
「よろしいのですか? マティアス様は商人が政治を利用することを嫌っておられたはずですが」
私は政商という存在があまり好きではない。そのことはライナルトを含め、モーリス商会の者に言っているので、気にしたのだろう。
「今でも嫌っているよ。だが、ライナルトさんの信頼厚い君が悪用するとは思っていない。支店の設置や情報収集で上手く使ってくれると信じている」
「なるほど。マティアス様の目的、王国の目的に資する限り、悪用しない範囲で我が商会が利用してもよいということですな」
「そこまで気にしなくてもいい。鬱陶しい聖職者を黙らせ、商売を円滑にするために使う分には全く問題ないから」
私の言葉にトルンクは大きく頷いた。
「今の聖都で私の代理人に手を出そうとする者はいないと思うが、あの国の者たちは信用できない。それに聖都はともかく、地方は混乱している可能性が高い。我が領の獣人族が護衛兼交渉役として君たちについていくが、君たちモーリス商会の従業員の安全が一番重要だ。聖都にはエドムント・フォン・ドマルタン子爵を名乗る影がいるから、彼の指示には必ず従ってほしい」
「ご配慮、ありがとうございます」
私の言葉にトルンクが頷く。
ドマルタン子爵を名乗る影はユーダの配下のウーリ・タークだ。北方教会領軍のオトフリート・マイズナー赤狼騎士団長に知恵を授けるために接触させたが、その後は法王に就任したマルク・ニヒェルマンの顧問として法王庁にねじ込んでいる。
「既に法国内の獣人族に関する情報は集め始めているが、以前呼び寄せた者たちより更に森の奥に村を築いている者たちが多いようだ。説得が難しいと思うが、大丈夫だろうか?」
ラウシェンバッハ領に脱出させた獣人族は騎士団による奴隷狩りに危機を感じていた者たちであり、騎士団が活動しやすい比較的街道に近い場所に村を作っていた。
逆に言えば、移動が容易な村だったということだ。
つまり、比較的便利な場所に住んでいた獣人族は我が国に移住しており、残っているのは深い森の中に住んでいる者たちということになる。そのため、騎士団の脅威はあまり感じておらず、自給自足で何とかなっているため、移住に前向きにならない可能性が高い。
「その点は我々も十分に理解しております。ですが、これまで話をした印象では、彼らも自分たちに未来がないことは薄々感じていました。特に若い者は強い閉塞感を抱いています。今回はデニス殿たちが同行してくれますので、説得は可能だと考えています」
さすがに四万人近い獣人族を移住させただけあり、自信を持っているようだ。
「ライナルトさんにも言ったが、必要な物があれば何でも言ってほしい。金や物資だけでなく、ジークフリート陛下や法王の保証が必要なら署名がある公文書を用意させるし、法国の騎士が信用できないと言うなら団長本人を同行させて暴走しないようにする。我が領の獣人族戦士が必要なら必要なだけ言ってくれ。千人くらいまでなら喜んで同行させる」
「お、お待ちください! そこまでのご配慮は無用でございます!」
私の言葉に驚き、思わず声を上げた。あまりに大袈裟だと思ったのだろう。
誇張した部分はあるものの、不可能だとは思っていない。このくらいできると言っておいた方が本当に必要なことを言ってくれると思ったのだ。
もっとも法王と各教会領の総主教の署名が入った命令書は用意させているし、大陸会議の時に聖都にいた騎士団長に対し、私の署名が入った協力要請文書も用意してある。
また、映写の魔導具を持ち込み、ラウシェンバッハ領の獣人族入植地の様子を見せる準備も進めていた。
私の意図に気づいたのか、トルンクの表情に余裕が戻る。
「では一つだけお願いがございます」
「何かな?」
「同行していただく獣人族の方に女性を、それも子育てを終えた世代の方を入れていただきたいと思います。私が以前に感じたことですが、彼らは子供のことに強く不安を抱いています。以前の暮らしと今の暮らしでどの程度変わっているのか、母親目線で話していただける方がいた方が、話がスムーズに進むと思いますので」
危険な場所に向かわせるということで男性をメインで考えていたところがある。しかし、獣人族は女性であっても優秀な戦士であり問題はない。
「その考えはなかったな。さすがはトルンク殿だ。その程度のことであれば問題ない。デニスにその旨を伝えておこう」
この他にも細かな調整を行い、計画が始動した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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