第六話「軍師、モーリスと対帝国戦略を語り合う:後編」
統一暦一二一六年二月二十日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ伯爵領、獣人入植地ヴォルフ村。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
獣人族入植地で商都ヴィントムントの大商人ライナルト・モーリス、その長男フレディと今後の帝国の食料価格について話し合っている。
フレディは前提条件から整理し、年内に五割程度上がると予想した。また、帝国軍が勝利すれば価格高騰は抑えられ、負ければ暴騰すると予想する。
私の考えと微妙に違うため、ベテラン商人であるライナルトの話を聞く。
「ライナルトさんのご意見は?」
ライナルトは難しい顔をしながら、ゆっくりとした口調で説明を始めた。
「年内については息子の説明とそう変わりませんが、帝国が勝っても負けてもそれほど大きな差はないと思っています」
私と同じ考えだ。
理由もわかるが、一応聞いてみる。
「その理由は?」
「皇帝が何らかの手を打つからです。商人を懐柔するか、恫喝するかは分かりませんが、あの皇帝が何もしないとは考えられません。特に敗戦後は民の動揺を抑えるために、できる限り生活に影響が出ないようにするはずです。そうなると、最も分かりやすい食料品価格の安定を重視するでしょう」
フレディはしまったという顔をしている。
私の考えと同じで大きく頷く。
「私もそう思います」
「ここから先は私では予想もできません。できれば、マティアス様のお考えも聞かせていただきたいのですが」
その言葉に頷き、説明を行う。
「私の予想ですが、その前に前提をもう少し整理します。まず今回の戦いにおいて、皇帝マクシミリアンは自ら出陣するはずです。三個軍団九万人という予想ですが、私は四個軍団すべてを投入するのではないかと思っています。それどころか、別の軍も動かすかもしれません」
私の言葉にフレディが質問する。
「別の軍とは総督府軍のことでしょうか?」
「いや、草原の民だ」
草原の民はリヒトプレリエ大平原にすむ遊牧民のことだ。ゴットフリート第一皇子が亡命し、数十万の遊牧民を従えているが、これまで戦争に参加したことはなかった。
私の言葉にライナルトが疑問を口にする。
「しかし、草原の民が動くとは思えませんが?」
彼は草原に何度も足を運んでおり、その経験からあり得ないと考えたようだ。
「今回会って分かったのですが、皇帝は私のことを強く警戒しています。そのため、王国軍が侵攻してきたら帝国が危機に陥ると言って頭を下げ、ゴットフリート皇子を説得する可能性は充分に考えられます。もっとも動いたとしても一部族五千名程度でしょうが」
ライナルトは皇帝が強い危機感を抱き、皇帝の座を争ったゴットフリート皇子に頭を下げるかもしれないと聞いて驚いている。
「そこまでですか……」
「はい。話を戻しますが、穀倉地帯に軍を進めれば、帝都の食料価格は安定します。それなら全軍を動かした方が合理的だと皇帝なら考えるでしょう。そして、もう一つ確実に打ってくる手があります。それは貴商会へのアプローチです」
「我が商会に……なるほど……」
ライナルトには私の言いたいことが分かったようだが、フレディは難しい顔をして考え込んでいる。
「貴商会は以前の穀物価格高騰の際、在庫を放出し価格安定に貢献しました。今回も同じようにしてほしいと皇帝自らが依頼してくるはずです」
その言葉でフレディにも理解できたようで小さく頷いている。
その表情を横目に見ながら、ライナルトが補足する。
「充分にあり得ますな。我が商会は帝国に多額の投資をしているので、帝国が揺れることを私が望んでいないと皇帝は考えるでしょう。我が商会は実際には八割を超えていますが、公式には旧皇国領から帝都への穀物輸送の七割ほどのシェアがあります。それだけのシェアを持つ我が商会を味方に付けることができるなら、我が方にメリットのある条件を付けて引き寄せようとするでしょう」
「その通りです」
「その場合、我が商会はどうすればよろしいでしょうか?」
さすがに付き合いが長いだけあって、私が何かを狙っていると気づいたようだ。
「基本的にはこれまで通りの方針で構いませんよ。恩を売りつつ、帝国の資産を奪う方がメリットはありますから」
「基本的にはということは、何か策がおありですか?」
「はい。できればでいいのですが、皇帝に商務府の設立を提案してほしいのです」
「商務府ですか? 王国で考えておられる商務省に近いものということでしょうか?」
「はい。ライナルトさんは十年ほど前、シュテヒェルト内務尚書から問われて、商船を増やすための策をいくつか提案したことがあったはずです」
シュトルムゴルフ湾で魔獣が暴れ、航路が閉鎖したことがあった。その時、商船を呼び込むためにはどうしたらよいかと問われている。
この時は帝国に対する謀略を考えており、帝国の上層部に食い込むために商業政策をいくつか授けていたこともあって、それを提案している。
「はい。マティアス様のご指示で関税の低減、補助金制度の創設、港湾の整備などを提案しておりますが……」
「関税の引き下げと補助金制度、港湾の整備は実行に移されていますが、まだ不十分です。低利の融資制度や商船に対する保険制度、商業特区の設置などを実行に移させるために、商業に特化した役所が必要だとライナルトさんが訴えれば、危機感を持っている皇帝は聞き入れてくれるでしょう」
ライナルトは不安げな表情を浮かべている。
「確かにその通りですが、よろしいのですか? 帝国に利することになりかねませんが」
「問題ありません。フレディ、理由が分かるかな?」
フレディは私の視線を受け、真剣に考え始める。
十秒ほど考えた後、考えをまとめながらゆっくりとした口調で答えていく。
「現在の帝国には優秀な文官がいません。ですので、新たな役所を作ったとしても、設置目的を達成できる可能性は低いと思います。命令に従うにしても皇帝に具体策はないでしょうから文官は動けないか、逆に無理に動いて失敗するかのいずれかです。無理をして失敗すれば、財政に大きな痛手を与えることになるでしょうから、それを狙っておられるのでしょうか」
「いい線をいっているよ。失敗する前提で考えることはその通り。ただ皇帝の心情をもう少し考えてほしかったね」
私の言葉でフレディは気づいたのか、ハッとした表情になる。
「分かりました! 食料不足で政情不安になるような状況では早急に何らかの手を打つ必要があります。民衆にアピールするのですから、早期に、そして確実に成功させなくてはなりません。失敗すれば、民衆の不満が更に大きくなるからです」
「そうだね」
「ですが、実際に動く文官の能力が不足しています。そのことは皇帝も痛いほど分かっているでしょうから、自ら動かないといけないと焦るでしょう。先ほどのマティアス様のお話では皇帝も出陣する可能性が高いということでした。片手間でできないような大改革を提案し、皇帝に負荷を掛ける。上手くいけば、皇帝の出陣をやめさせることができるかもしれません。そういうことでしょうか?」
フレディの言葉に大きく頷く。
「さすがはフレディだね。その通りだよ。付け加えるなら、その資金をモーリス商会に融資してもらい、更に財政を悪化させることも考えている。賭けに近い政策でも私が王国でやろうとしていることに近いと聞けば、成功すると考えるだろうから、採用される可能性も高いしね」
「なるほど。確かにマクシミリアン帝であれば、私が商務府の設立の話を持っていけば、実行に移しそうですね」
商務府というアイデアは皇子時代のマクシミリアンが考えていたものだ。その長にならないかとライナルトを勧誘したこともある。
「先ほどライナルトさんは帝国に利することになるかもとおっしゃいましたが、それはありえません。あれはヴィントムント市を持つ我が国だからできることですから」
「それはどういうことでしょうか?」
フレディが聞いてきた。
「まず私は商人たちに怖れられながらも、彼らの利益を守っているという実績がある。そして、商務省のトップである商務卿は我が父リヒャルトだ。当然私の意を汲んで政策を立案、実行するとヴィントムントの商人たちは考えるだろう……」
二人が同時に頷く。
私はマルクトホーフェン侯爵が復活させた国内の関税を撤廃させている。また、今回の改革でも商人組合の自治都市ヴィントムント市に対して、特例措置を設けるなど、商人寄りの政策を多く打ち出していた。
「一方皇帝マクシミリアンは強権的だと思われ、商人たちに信用がない。特に総督府の権限を強化したことは悪手だ。私の謀略を恐れるあまり民衆を無駄に締め付けているが、それが商業活動に暗い影を投げかけている。もっともそうなるように私が誘導したのだけどね」
「なるほど。皇帝と帝国政府が信用できない以上、マティアス様がお作りになる商務省がいかに効果的でも、帝国では機能しないと。しかし、長期的に見た場合、帝国に利することになりませんか?」
ライナルトの問いに首を横に振る。
「私の考えた国政改革はすべての省が有機的に繋がって初めて成功するんです。例えば、商務省が有効な政策を提案しても予算が配分されなければ実行できないですし、インフラの整備も優先度がありますから、商業振興のためとはいえ、後回しにされることもあるでしょう。仮に皇帝が商務府に期待し、予算をふんだんに回したとしても、他から不満が出てくるはずですから、必ず綻びが出てきます。その対応を現状では皇帝一人で何とかしなければなりません。それに私が確実に妨害しますから、成功する可能性は限りなく低いと思っています」
もっとも我が国でも予算の優先順位については同じことが言える。
しかし、私と宰相であるレベンスブルク侯爵で調整すれば、ある程度解決できるはずだ。
「分かりました。では、皇帝が帰還する頃を見計らって帝都に赴くことにします。今のお話では私に声が掛かることは間違いないでしょうから」
「よろしくお願いします。ですが、無理だけはしないでください。この策を行わなくとも帝国にダメージを与えることはできるのですから」
「承知しております。マティアス様が我々の安全を一番に考えてくださることは分かっておりますので」
ライナルトはそう言って大きく頷いた。
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