第五話「軍師、モーリスと対帝国戦略を語り合う:前編」
統一暦一二一六年二月二十日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ伯爵領、獣人入植地ヴォルフ村。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
ゾルダート帝国の旧リヒトロット皇国領内での酒造産業復興について、領内の酒造職人らと話し合った。
私の目的は旧皇国領内の民衆の不満を増大させることだが、職人たちは昔の仲間を助けたいという真摯な思いで引き受けてくれた。そのことに少しだけ後ろめたさを感じたが、すぐに割り切っている。
商都ヴィントムント市の大商人ライナルト・モーリスとその後継者フレディが一緒に来てくれたため、他の依頼を行う。
「ライナルトさんたちもレヒト法国との講和の話は既に聞いていると思いますが、王国は法国に住む獣人族を一族ごと受け入れることになりました。我が国から役人を派遣するつもりですが、貴商会にも手伝っていただきたいのです」
「以前のノウハウがあるからということでしょうか?」
「その通りです。一族を引き連れて法国内を移動するにあたって、食料などの手配が当然必要になります。ですが、法国にその手配ができるとは思えません。これは嫌がらせとかではなく、単純に能力的に無理だと思うのです。同じ理由で我が国の役人も完璧な手配は不可能だと考えています。以前、法国にいらっしゃったロニー・トルンクさんを貸していただき、更に貴商会の全面的なバックアップをお願いしたいのです。もちろん、安全は私が保証します」
モーリス商会のロニー・トルンクは法国で獣人族を奴隷として買い入れ、我が領に連れてくるという難事をこなした人物だ。
現在はグライフトゥルム王国の王都支店長という地位にあり、何度か顔を合わせているが、実直でありながらも柔軟で信頼できる人物だ。
彼以外にトゥテラリィ教の聖職者や聖騎士たちを相手に大きなトラブルを起こすことなく獣人族を連れてくることは不可能だとさえ思っている。
そのことを話すと、ライナルトは笑顔で頷いてくれた。
「マティアス様にそこまで評価していただき、ロニーも喜ぶことでしょう。もちろん、彼を派遣することも全面的なバックアップもお受けいたします」
「いつも面倒なことばかりお願いして申し訳ないと思っています。法国内では食料などは現物支給になると思いますが、それ以外で掛かった費用についてはきちんと支払いますので、利益を載せて請求してください」
移動に掛かる費用については、法国内は法国側が支払い、国外は我が国が支払うことにしてある。これは法国の民衆に対し、現金を支払っていないように見せるためだ。
十万人の人間が徒歩で数ヶ月移動すれば、多額の費用が掛かる。その全額を請求すれば、賠償金代わりにしたという言い訳が嘘だと言われかねず、ニヒェルマンの政治的な支持基盤が弱まると考えたためだ。
「その点も承知いたしました。適正な利益を載せて請求させていただきます」
適正な利益と言っているが、恐らくほとんど手弁当でやるはずだ。
「ありがとうございます」
そう言って頭を下げることしかできない。
ライナルトたちが慌てる。
「頭をお上げください! 私どもはマティアス様に大きな恩を受けているのです。少しでも恩返しできる機会を与えてくださり、喜んでいるのですから」
そこで頭を上げた。
「そう言っていただけると気が楽になります。ところで入植地がどこになるかご存じですか?」
その問いにフレディが答える。
「ラウシェンバッハ領とオーレンドルフ領の間になると聞きました」
「その通りです。そこで貴商会にもう一つお願いがあります」
「それは何でしょうか?」
ライナルトが確認してきたが、恐らく私の言いたいことは分かっている。
「入植地の開発は我が領の獣人族が行うのですが、そのサポートをお願いしたいと考えています。具体的には工具や消耗品類の調達、作業員への食事の提供などです。また、これに合わせて街道の整備も行いますので、その事業にも参入いただけないかと考えています」
そこでライナルトが驚きの表情を見せる。
入植地開発での工具などの調達や作業員への食事の提供は、人数が少なくうまみのある商売ではない。
しかし、街道の整備は別だ。
大型重機がないこの世界では、大量に人員を投入する必要がある。また、石材などの資材も必要であり、予算規模が桁違いに大きい。
また、この街道は軍事道路とするため、短期間での整備が求められる。つまり、更に大量に作業員を投入することになるので、一日当たりの利益は大きくなる。その作業員たちは野営することになるため、彼らに酒や嗜好品を売れば、大きな利益を得られるだろう。
「よろしいのですか? 国政改革では工務省という役所ができ、そこが道路の建設などを管轄すると聞いているのですが?」
既にイリスが接触し、国政改革について詳しく聞いていたようだ。
「構いません。この件は工務省や財務省が発足する前に決裁になりますので」
恣意的だが、モーリス商会には国政改革が始まった後にも、財務省での事業の査定方法のアドバイスや商務省への提案など、いろいろと手伝ってもらうため、一定の利益を与えておく。このことは国王も了承しており、特に問題にはならないし、私がさせない。
「ありがたいお話です」
そう言って嬉しそうな顔で頭を下げた。
「二人に聞きたいことがあるのですが、レヒト法国の商船のほとんどがグランツフート共和国に移譲されることはご存じかと思います。その影響について、商人であるライナルトさん、フレディの意見を聞きたいのです」
「商人としての意見ですか?」
「そうです。法国から帝国への穀物輸出は実質的にゼロになります。この影響について、私の方でもある程度試算はしているのですが、実際に輸送に携わっているライナルトさんたちの意見が聞きたいのです。帝都の食料品価格はどの程度上昇すると思いますか?」
そこでライナルトが考え始めるが、フレディが確認してきた。
「私の記憶ではレヒト法国から帝国への小麦の輸出量は、全体の五パーセントほどだったはずです。その認識で間違いないでしょうか?」
「私の知っているデータと同じだね」
私の言葉を聞き、フレディが小さく頷いた。
「父の前に私の意見を聞いていただけますでしょうか」
「構わないよ」
私が頷くと真剣な表情で話し始めた。
「前提条件として大きな軍事活動が今年中に行われるものとします。その規模は三個軍団九万人で作戦期間は四ヶ月。私にはどこにどう動くのかは分かりませんので、規模と期間のみを前提としました……」
なかなかいい切り口だと感心する。
軍が動かなければ、備蓄分を放出することで価格高騰を抑えることができるが、軍が動けば備蓄を放出できないため、需要と供給のバランスで予想が付くからだ。
「もう一つの前提として、情報操作を行わないものとします。不安を煽れば、いくらでも暴騰しますので」
これもいいところを突いている。
私が知りたい情報は商人としての意見であり、謀略でどうなるかではないからだ。
「そう考えると、夏頃までに三割、年末には五割程度上昇するのではないかと思います。その根拠ですが、ヴィントムントに会合の情報が届くのは今月末でしょう。そこから帝都に向かい、次回の価格交渉を行うのが四月上旬、その頃には帝都にも会合の情報が入っていますから、売り渋りが始まっている可能性が高いと思います。過去にあった事例では軍が動くだけで二割近く上がったケースもあります。但し、秋播きの小麦が市場に出回るタイミングが七月から八月ですから、商人たちが様子見をすることを加味すると、ある程度価格上昇が抑えられますので、三割程度と見込みました」
「なるほど。そうなると、年末に五割になるのは商人組合の商人たちが様子見をやめて値上げする分と、供給不足が顕在化することが相まってということかな? その割には控えめに感じるのだけど」
「はい。軍が夏頃に出陣すれば、年内いっぱいは帝都に戻りません。つまり帝都での需要が減った状態ということになります。帝都にいる第二軍団三万人の兵士が減るため、帝都の人口は八パーセントほど減ることになります。ですので、需給バランス的には余裕ができますが、備蓄がありません。つまり、帝国政府は備蓄放出で価格上昇を抑えることができないということです。帝都の卸業者も売り渋りを強めるでしょうから、夏よりも更に一割から二割上昇するのではないかと考えます」
「そうなると、軍が戻った後は更に高騰するということかな?」
そう単純ではないが、彼がどう答えるのか知りたくて聞いてみた。
「そうなるかは戦争の結果次第でしょう。帝国軍が勝利すれば、占領地域に駐屯する軍も出てきますし、商人たちも皇帝を怒らせることは得策ではないと考え、無茶な値上げはしないはずです。逆に勝てなければ、商人たちも強気に出るでしょうから、更に高騰する可能性は否定できないと思います」
この点は少し甘い気がするが、二十二歳の若者にしてはよく考えていると感心する。
「よく分かったよ。フレディも立派な商人だね。驚いたよ」
そう言って褒めた後、ライナルトに視線を向ける。
「ライナルトさんのご意見は?」
ベテラン商人の意見を聞いてみた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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