第四話「軍師、酒造関係者に依頼する」
統一暦一二一六年二月二十日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ伯爵領、獣人入植地ヴォルフ村。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
昨日は旅の疲れで熱を出したが、朝にはすっかり下がり、体調はそれほど悪くない。
それでも影のカルラとユーダ、実弟のヘルマン、獣人族たちは心配そうな顔で私を見ている。
「もう一日ここでお休みになった方がよいのではありませんか? 今日予定されている会合ならここでもできるのですから」
カルラが休養を強く勧めてくる。
更に秘書役でもあるユーダもここでの会合を提案してきた。
「昨日、領都には連絡を入れております。酒造関係者にも昨日中には情報が入っているはずですので、ここで会合を行うことに問題はございません」
今日の予定とはラウシェンバッハ領内の酒造関係者との会合だ。
目的はゾルダート帝国内の旧リヒトロット皇国領における酒造事業への協力だ。
発端はダニエル・モーリスから旧皇国領内での謀略をやめてほしいという手紙が来たことだ。ダニエルも本気でやめてほしいと思っているわけではなく、皇帝から命じられたから手紙を出しただけだ。そのことは情報分析室の諜報員を通じて確認している。
では、なぜ旧皇国領の酒造事業に協力するのかと言えば、帝国に対する嫌がらせのためだ。
我が領の酒造の職人は旧皇国出身者が多い。それも優秀な職人が多く、彼らの技術を旧皇国領の職人に伝えれば、衰退した産業が復活する可能性が高い。
しかし、帝国の宿敵ラウシェンバッハの領地の者が旧皇国領内に入れば、管轄する中部総督府は謀略のために諜報員を送り込んできたと考えて必ず反応する。
もちろん、拘束されるだけでならともかく、処刑されたら困るので、ダニエルを通じて総督府に安全を約束させている。皇帝からも釘を刺されているので、総督府の役人たちも無理はしないはずだ。
それでも監視などが着く可能性は高く、旧皇国領の職人たちの心証が悪くなる可能性が高い。そうなったら職人たちを引き抜く。
仮に総督府がちょっかいを掛けなくとも、旧皇国民に対して同盟国であった王国の貴族、それも悪辣な策士ラウシェンバッハが支援したという事実は、親王国感情を増大させることにも繋がる。
将来的な謀略の下準備にもなるし、ダニエルの評価にも繋がるから、どちらに転んでも問題はない。
ちなみに我が領の酒造りは非常に順調だ。
これは大量に資金を投入していることが大きい。最初期に五千万組合マルク、日本円で五十億円に及ぶ資金をラウシェンバッハ家が出している。
また、ラウシェンバッハ家は、金は出すが口は出さなかった。私には某WEB小説、たしかドワーフ・ライフといったタイトルだったと思うが、その主人公のような知識がないためだ。
私が職人たちに完全に任せたことで、やる気が上がり、短期間で品質は上がった。
更に大消費地ヴィントムント市の商人に協力を仰ぎ、安定的な出荷が可能になったことから、その利益を更に投資し、規模を拡大させている。それでも初期投資分は回収を終えており、完全な黒字化に成功していた。
今日は裏の話をする気はないが、旧皇国領の酒造りを助けてほしいということ、ラウシェンバッハ領から来たといえば、総督府から監視ないし嫌がらせを受けるリスクがあること、我が領で挑戦したい者がいたら声を掛けてほしいことを説明するつもりだ。
昼頃までデニスの屋敷の中でのんびり過ごした。
私としては村の中を見てみたかったが、カルラたちの許可が下りなかったためだ。
そのお陰で体調は更によくなり、昼食もしっかりと食べることができた。ここ最近は疲労のため、食が細くなっていたことを考えると、ここでゆっくり休んだことがよい結果を生んだのだろう。
午後になり、酒造関係者がやってきた。
その中に大商人ライナルト・モーリスと長男のフレディの姿があった。
ライナルトは酒造計画の実行者であり、その後の運営にも関与しているため関係者と言えるが、忙しい彼がここに来たことに違和感を持つ。
そのことを聞くと、笑いながら答えてくれた。
「マティアス様が戻られると聞き、ちょうどヴィントムントにいたこともあって挨拶のために領都に来ていたのです。そこでフリッシュムート様からマティアス様がこちらで酒造関係者と会われると伺い、同行させていただいたのです」
エーベルハルト・フリッシュムートはラウシェンバッハ領の代官を務める譜代の家臣だ。領主である私は不在であることが多く、父リヒャルトも商務卿として王都に詰めることになったため、領地経営の要と言っていい。
「私としては助かります。ライナルトさんにも相談したいことがありましたから」
旧皇国領の酒造りに協力してほしいという話を切り出すと、職人たちは驚きながらも喜んでいた。
「儂らも気になっておったんですよ。向こうに親族が残っている者もおりますからな。その者から苦労していると聞いておったのです」
ブドウの生産者を含め、最終的に五百人ほど引き抜いているが、元々リヒトロット市周辺は白ワインの一大産地だし、グリューン河沿いは蒸留酒の名産地だったので、多くの者が残っている。当然、親族や友人がおり、彼らの苦境は聞いていたらしい。
旧皇国領の酒造が上手くいっていないのは優秀な職人を引き抜いたこともあるが、それ以上に帝国領になったことで、消費が落ち込んだことが大きい。
まず、帝国領になったことで、隣国であり最大の輸出先であったグライフトゥルム王国に売れなくなった。それに加え、大消費地である皇都リヒトロット市での高級品の需要が激減しており、これが致命的だった。
リヒトロット市での高級品の需要低迷は帝国領になり皇国の貴族がいなくなったからだ。その代わりに帝国の総督府の役人が入ったのだが、帝都出身の彼らは安いビールしか飲まず、高級ワインや蒸留酒はほとんど売れない。
情報ではグリューン河沿いのブドウ畑の多くが放棄され、蒸留所の閉鎖も起きている。
その状況を見て、フレディとダニエルが酒好きで有名な総参謀長ヨーゼフ・ペテルセン元帥が賛同することを見込み、酒造産業の復活を計画した。
この計画は帝国の財政を悪化させる策だ。
二人は私が暗殺者に殺されそうになったことに憤り、裏から操っていた帝国に一矢報いるために計画を立てたのだ。
もちろん、皇帝マクシミリアンが納得するだけの計画で、成功すれば大きな利益が出ると共に旧皇国領の人心を掌握することができるという魅力的な案だ。しかし、需要の低迷をどうにかしない限り、大成功を収めることはできない。それが分かった上での提案なのだ。
ダニエルは帝都の商社リーデル商会に入り、その計画を皇帝に提案し、見事に予算を勝ち取り、復興事業が開始された。
そのことを我が領の職人たちも聞いており、期待しているらしい。
「私としてはダニエルの依頼だからということもあるが、我が領の酒造りが軌道に乗った恩返しをしたいと考えている。ただ懸念は“ラウシェンバッハ”という名は帝国内では思った以上に危険視されている。善意で向かうにしても総督府から横槍が入ることは充分に考えられる。ダニエルには役人を抑えろと頼んであるが、リスクがないわけじゃない」
「そのことは儂らも承知しております。ですが、昔の仲間が苦しんでいるなら助けてやりたいんです」
「分かった。うちの領の生産に影響が出ない範囲で人を選んでほしい。ライナルトさん、モーリス商会の商船で運んでもらえませんか。その方が安心できますので」
「承りました。リヒトロット市には定期的に船が出ていますので、問題ありません。フレディ、ダニエルとの調整もある。お前がこの仕事を仕切れ」
フレディが大きく頷く。
「分かりました」
彼も二十二歳になり、ずいぶん自信を付けているようだ。
職人たちとの話が終わったところで、ライナルトとフレディに残ってもらい、もう少し突っ込んだ話をすることにした。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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