第三話「軍師、獣人族の族長たちに依頼する」
統一暦一二一六年二月十九日。
グライフトゥルム王国南東部ラウシェンバッハ伯爵領、獣人入植地ヴォルフ村。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ伯爵
獣人族入植地に来て、対帝国戦における戦力強化のため、義勇兵の募集について話をした。
元々忠誠心の強い獣人族たちは即座に賛同する。
そして、もう一つの依頼を行う。
『もう一つ頼みがある。これも既にある程度聞いていると思うが、レヒト法国から君たちの同胞、獣人族を我が国に移住させることが正式に決定した。君たちなら分かると思うが、苦しい生活とはいえ、住み慣れた場所を離れ、見知らぬ土地に来ることに強い不安を感じているはずだ』
私の言葉に多くの者が頷いている。
十年ほど前のことであり、その時の記憶が蘇ったのだろう。
『そのため、彼らを一旦ここに受け入れ、どのような生活になるのか、どんな支援が受けられるのかなどを理解してもらった後に各入植地に向かってもらうことを考えている。また、法国からここまでの移動についても諸君らから人を出してもらいたい。もちろん王国政府の文官も同行するが、同胞が一緒の方が心強いからだ』
レヒト法国の次期法王マルク・ニヒェルマンは獣人族の移住に賛成した。また、各教会領のトップ総主教や騎士団長らも四聖獣の言葉を聞き、獣人族差別が危険だと気づいている。
しかし、直接話を聞いていない現地の騎士や兵士たちは獣人たちに辛く当たるだろう。
そのため、王国政府から外交官を派遣し、不当な扱いが行われないように監視するつもりだ。また、以前獣人族の移住計画を実行したモーリス商会にも手伝ってもらうが、やはり実際に移住した者が同行した方が安心するだろう。
『この他にも移住後の相談相手にもなってもらいたい。その上で君たちが必要だと判断するなら、可能な限り対応するつもりだ。もちろん金のことは気にしなくていい。彼らを受け入れることは陛下も諸手を挙げて賛成してくださっているから、予算は潤沢にある。万が一王国政府からの金が足りなければ、我が領から出す。この国が彼らの祖国に、そしてかけがえのない故郷になるように私は最善を尽くすつもりだ。諸君らもそれに協力してほしい』
その言葉に大歓声が沸く。
「俺にできることなら何でもやります!」
「私もです! 子供たちが笑顔で生きていけるように頑張りたいです!」
男性も女性も口々にやると叫んでいる。
彼らは自分たちだけが助かり、他の同胞が未だに苦しい生活をしていることに忸怩たる思いがあるからだ。
『ありがとう。この件に関しては私の方で計画書を用意する。デニス、ゲルティ、済まないが私と一緒に王都に行ってくれ。計画書を作るにしても現地のことを知っている人間がいないと実効的なものにならないから』
「はっ! 同胞のために全力で当たります!」
「自分も同様です!」
デニスとゲルティがそう言って胸を張る。
『この後、族長たちと話をしたい。今日はここに泊めてもらうつもりだから、ゆっくりできると思う』
そう言うと、獣人たちから歓声が上がった。
嬉しい反面、彼らの思いに応えきれているのか不安も感じている。
デニスの家に向かうが、以前とは違う場所で更に大きくなっていた。
「前の家はエレンの家族が住んでいます。ここは集会所というか、会議場というか、族長たちが集まって協議を行うところとして主に使っています」
息子であるラウシェンバッハ騎士団の第一連隊長エレン・ヴォルフに家を譲り、入植地の取りまとめ役として、ここに住んでいるらしい。
集会室には六十人ほどの壮年の男たちが集まっていた。
我が領の入植地には約六十の氏族がそれぞれ村を作り、現在三万五千人ほどになっている。
この三万五千人にはラウシェンバッハ騎士団五千と突撃兵旅団二千は含まれていないため、我が領の獣人族は四万二千人ほどいるということだ。
一二〇四年に入植をやめているが、その時の人口が三万人ほどだったから、十年ほどで四割ほど人口が増えていることになる。年率で言えば、三パーセント強という高い増加率だ。
これは乳幼児と高齢者の死亡率が著しく下がったことが大きい。
元々獣人族は肉体的に頑健だが、レヒト法国では一歳の誕生日を迎えられる子供は半数ほどで、六十歳を超える高齢者はほとんどいなかったらしい。
ここは食料が豊富で治癒魔導師による治療も受けられることから、王国の一般的な農村はもちろん、王都シュヴェーレンブルクより乳幼児の死亡率は低い。
人口は爆発的に増えているが、元々土地に余裕があることと、若者が騎士団に志願したことから、まだ増える余地は充分にある。
集会所は学校としても使うのか、黒板があった。
その黒板に簡単な大陸の地図を描く。教育にも力を入れているが、他国の地理まで理解している者はごく少数であり、描いた地図で示しながら説明するためだ。
「急な呼び出しにもかかわらず、集まってくれて感謝する。先ほども話をしたが、帝国がシュヴァーン河方面に侵攻してくる可能性が高い。それに加えて、シュッツェハーゲン王国のグラオザント城にも同時侵攻を企てていると私は考えている」
大陸の中央付近、ゾルダート帝国、シュッツェハーゲン王国、グランツフート共和国の三ヶ国の国境が交わるところを指差す。
族長たちは私の説明を真剣な表情で聞いている。
「グラオザント方面が主目標であった場合、シュッツェハーゲン王国軍だけでは対応できない可能性が高い。そのため、グランツフート共和国軍が救援に向かえるよう手を打ったが、それでも不安だ。そこで君たち獣人族の力に期待している」
私が期待しているというと、多くの者が満足そうに頷く。
「ここからグラオザント城までは約八百キロ。可能な限り、早期に察知するつもりだが、それでも一ヶ月程度の時間しかないだろう。準備期間を含めれば、一日当たり三十キロの行軍が必要だということだ。それだけの速度で行軍できる兵士は我が領の諸君らだけだ。同じ獣人族であっても厳しい訓練を受けた君たちには敵わないと考えているからだ」
数日程度であれば、強靭な体力の獣人族ならフル装備であっても一日三十キロメートルの移動はそれほど厳しくはない。しかし、軍としての秩序を保ったまま、八百キロメートルもの距離を移動することは単に体力があるからだけでは不可能だ。
「まだどの部隊がどこに向かうのかは決めていないが、少なくともヴェヒターミュンデ城とリッタートゥルム城に増援を送ることになる。先ほども言ったが、義勇兵は一万という大軍だ。だから指揮官はイリスとハルトムートになるだろう。二人なら君たちの能力を十全に発揮してくれるからだ」
獣人族を軍として戦力化することは意外に難しい。成功例はラウシェンバッハ騎士団と突撃兵旅団、そしてレヒト法国の餓狼兵団だけだ。
その理由だが、獣人族は戦士としては優秀だが、集団戦を苦手としている。
その理由だが、命令を故意に無視するわけではないのだが、本能的に戦いが始まると熱くなってしまい、命令が聞こえなくなることが多いためだ。
そのため、大陸全体で見れば割と多くの獣人族がいるのに傭兵以外の兵士は普人族がほとんどだ。これは傭兵団から生まれたゾルダート帝国も例外ではない。
獣人族を軍として機能させるには厳しい訓練だけでなく、強いリーダーシップが発揮できる有能な指揮官が必要だ。それに加え、指揮官が族長並みに信頼されている必要がある。これは長に従うという獣人族の本能に合致しているからだ。
イリスもハルトムートも獣人族を心服させているため、彼らなら軍として機能させられるだろう。
「軍として編成する時期は恐らく四月。それまでに候補者を決め、ラウシェンバッハ騎士団との演習に励んでほしい。正式な指揮官が決まるまではヘルマンが義勇兵部隊の指揮を執る」
弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵はラウシェンバッハ騎士団の団長として八年の実績があるため、誰も疑問を持たない。
「出陣の時期は早ければ五月。私の予想では秋になると思っているが、それでも法国との戦いが終わってから一年しか経っていないことになる。私は君たちに平和な暮らしを約束した。それを守れないことが心苦しいが、この戦いで敗れれば、我が国は帝国に呑み込まれてしまう……」
「そんなことはさせません!」
デニスが力強く言うと、他からも同じような声が上がる。
「ありがとう」
そう言って小さく頷く。
「義勇兵についてだが、絶対に志願を強要しないでほしい。君たちの私に対する忠誠心はよく分かっている。しかし、君たちの村を維持し、家族を守る者も必要なのだ。私は残った者も出征した者と同じように評価する。前線に立つ者が後顧の憂いなく戦えるようにすることはそれほど重要なことだからだ。このことは必ず伝えてほしい」
彼らの忠誠心を考えれば、三万五千の住民のうち、十歳以下の子供と妊娠中の女性以外が手を上げることは容易に想像できる。これだけ言っても一万五千ほどが応募するはずだ。
「定員以上になった場合は実力だけでなく、編成を考慮して採否を考えることになる。つまり、剣が得意な者が極端に多く、弓を使う者が少ない場合、実力いかんにかかわらず弓を使う者を優先することがあるということだ」
私の言葉に族長たちが頷いている。
「ヘルマン、済まないが、各氏族の相談に乗ってやってくれ。事前に調整した方がいい場合もあるからな」
「承りました」
そう言いながらも苦笑している。調整が大変だと思ったのだろう。
その後、質問を受け付けるが、いくつかの確認事項だけだった。
「今日はここに泊まるから、もう少し話ができると思う……」
「お待ちください」
そこで影のカルラが声を上げた。
普段こういったところで発言しないため、私を含め驚いている。
「マティアス様は長距離を移動され、お身体の調子がよくありません。デニス殿、マティアス様の寝所の用意をお願いします」
「はっ! すぐに用意させます」
獣人族は教官でもある影に対して畏敬の念を抱いている。
特に組頭でもあるカルラとユーダは、私やイリスに次ぐ上位者というイメージを持っており、命令には絶対に逆らわない。
「まだ大丈夫ですよ。みんなもいろいろ話したいでしょうし。もちろん、できるだけ早く休みますが」
「我々は大丈夫です。それよりもマティアス様のお身体の方が大事です」
そんな感じで私は休むことになったが、気が緩んだためか、カルラの予想の通り、夕方に軽い熱を出した。
それでもゆっくり休めたことから、翌日の朝にはすっかり回復していた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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