第三十八話「大陸会議:その六」
統一暦一二一六年一月一日。
レヒト法国中部聖都レヒトシュテット、法王庁前広場。法王アンドレアス八世
北方教会のマルク・ニヒェルマン総主教が、自分が法王になり教団を改革すると言い出した。
最高会議の席でもその主張をしていたが、まさか四聖獣様の前で言い出すとは思わず、驚きをもって見ている。
更にラウシェンバッハ伯爵がニヒェルマンを支持した。
(ラウシェンバッハがニヒェルマンを操っていたのか……これで腑に落ちた……)
ニヒェルマンのここに来てからの行動が鮮やか過ぎた。そのことが気になっていたが、あのラウシェンバッハが裏にいたのであれば、おかしな話ではない。
私と同じことを鷲獅子様もお考えになったようだ。そのため、グライフトゥルム王国のためにこの会議を利用していると糾弾する。
(当然だ。ニヒェルマンはマルシャルクの上司なのだ。禁忌を冒した責任を取って極刑に処されるべきで、法王になるなどあってはならんことだ……)
鷲獅子様の糾弾を受けてもラウシェンバッハは動じなかった。
彼は即座に鷲獅子様に反論する。
『確かに王国にも益はございます。ですが、それ以上に世界に大きな益をもたらすと考えております』
『そうとは思えぬ』
鷲獅子様はその言葉を否定する。
全く同感だ。
しかし、ラウシェンバッハは平然と説明を始めた。
『管理者はこの大陸に住む者すべてに生きる意味を与えております。普人族は大地を管理し、獣人族と森人族は森を管理する。それらを助けるために小人族が道具を作り、闇森人族は管理できぬ存在、魔獣を排除する。そのように定められました……』
彼は神話に書かれていることを話し始めた。
そのことに疑問を持っていると、鷲獅子様が遮った。
『そのようなことは分かっておる』
怒りを含んでいるが、ラウシェンバッハは笑みを浮かべている。
『しかし、トゥテラリィ教の教えはそれを否定していました。現在、この大陸でここまで明確に管理者の教えを否定しているのはトゥテラリィ教だけです。これを是正するためには荒療治が必要です』
荒療治と聞き、ラウシェンバッハが我が国を混乱に陥れようとしていると思った。
そこで聖竜様が発言する。
『ならば、我らが滅ぼせばよい』
『それもよいでしょう』
ラウシェンバッハはさらりと恐ろしいことを言った。その言葉に我が国の者たちが驚愕している。
『ですが、その行為は管理者の考えに沿っているのでしょうか?』
聖竜様は押し黙り、代わりに鷲獅子様が答える。
『滅することで解決するとはお考えにならぬだろう。それを肯定されるくらいなら、千五百年前に行っているだろうからな。だが、それと先ほどそなたが主張したことは全く別の話ではないか』
『正しい方向に進めるために多くの血が流れるかもしれません。その覚悟がある方がここにどれだけいらっしゃるでしょうか。私もニヒェルマン総主教猊下が最善とは考えておりません』
その言葉にニヒェルマンの表情が変わる。
まさか自分を否定するとは思っていなかったのだろう。
『ですが、最善を目指せば、更に時が掛かります。次善の方に任せるしかなくとも、改革を進めることこそが最善の道であると断言いたします』
『言わんとすることは分からないでもない』
戦勝国とはいえ、他国の貴族に過ぎない者が我が国の将来について論じている。そのことに不快感を持つが、鷲獅子様を始め、四聖獣様たちが肯定的な雰囲気を見せ始めているため、言い出せない。
『では、そなたは自国の利益のためでなく、世界のためにその者に任せよというのだな。最善の人選ではないが、時を掛けるより遥かによいという理由で』
鷲獅子様の言葉にラウシェンバッハは大きく頷く。
『その通りでございます。この大陸に最も多く住む普人族は寿命が短く、長期にわたって危機感を持ちえません。また、一度刷り込まれた価値観を変えるには何代にも及ぶ世代交代が必要であるとも説明しました。つまり、早期にかつ持続的に行うことこそが、人族にとって重要なのです。しかし、最善の方法を模索するには時間が掛かります。それならば、現段階でやれることを行いつつ、最善を目指せばよいのではありませんか?』
『そうかもしれぬ』
鷲獅子様が納得してしまった。
これでは反論しようがないと肩を落とす。
『少なくとも獣人族の移住計画を進めることは、彼らにとってよいことです。法王アンドレアス八世聖下がそれを実行されてもよいでしょう』
その通りだと思った。別にニヒェルマンでなくとも私でもできることだ。
そう思ったが、この場で発言することは憚られる。
『ですが、先ほどの聖下のお言葉を思い出してください。大賢者様に問われても明確に答えておりません。私にはどこまで本気でやるおつもりなのか分かりませんでした。しかし、ニヒェルマン猊下は四聖獣様や大賢者様のお言葉にもしっかりと答え、更に叱責されることが明白であるにもかかわらず、法王として実行すると明言されました。これほどの覚悟を示した方にやっていただく方がよいのではないでしょうか』
大賢者様の視線に怯えたことは事実だが、ここまで貶められるとは思わなかった。
反論するために手を上げようとしたが、四聖獣様の視線が私に向いているため、動けない。
『もし、ニヒェルマン猊下が命を永らえるために、この場限りの発言をされたのならば、すぐに後悔することになるでしょう。少なくとも次の会議までに一定の成果を上げなければ、その時点で断罪されることになるのですから』
『確かにその通りだな。だから、やらせてみよとそなたは申すのだな』
鷲獅子様は既に怒りを消していた。
『その通りですが、鷲獅子様のお言葉で私の考えが一方的であったと気づきました。法王聖下に今一度確認されてはいかがでしょうか。聖下も今の議論を聞き、不退転の覚悟で改革に当たられるかもしれません』
そこで大賢者様が『そうじゃの』とおっしゃり私を見た。
『法王よ。ニヒェルマンはあのように申しておるが、そなたはどうするのじゃ? ニヒェルマンに任せず、自ら改革を行い、次の会議で成果を示すというのであれば、儂はそなたに任せてもよいと思っておるが』
その言葉を受け、私はマイクを握りながら立ち上がった。
『私も不退転の決意で改革に挑む所存です! 教義につきましても修正……の方向で検討することをお約束します!』
修正すると言い切れなかった。
ニヒェルマンほど追い詰められているならともかく、これを言えば聖職者たちが完全に敵に回るためだ。
『そなたからは熱意が感じられぬの。そうであろう?』
大賢者様はそうおっしゃると四聖獣様に視線を向けられた。
四聖獣様から怒りは感じなかった。それは私を認めたからではなく、見限ったため興味を失ったことを示していた。
私は選択を誤った。
いや、そうなるようにラウシェンバッハに嵌められたのだ。
『マティアスがそなたを嵌めたと考えておるのではないか?』
大賢者様が冷たい目でそうおっしゃった。
私は大きく頷いた。
『ラウシェンバッハ伯爵は我が国に対し、謀略を仕掛けているのです。我が国で混乱が起きることによって得をするのは、グライフトゥルム王国と王国の同盟国グランツフート共和国です。そうでなければ、ニヒェルマンに手を貸すわけがありません』
『そなたは分かっておらぬの』
『何がでしょうか?』
おっしゃる意味が全く分からない。
『マティアスが王国を守ることを考えておることは百も承知じゃ。先ほど鷲獅子が指摘し、マティアスも否定はしておらぬ』
『では……』
『じゃが、あの者はこの世界を守ることを前提に王国を守ろうとしておる。その優先順位は明確じゃ。じゃが、そなたは国と教団、そして自らを守ることしか考えておらぬ。ならば、マティアスに唆されたニヒェルマンの方がよほど世界のためになるじゃろう』
ここに来てラウシェンバッハの考えが理解できた。
彼は弁舌と胆力をもって四聖獣様と大賢者様に自らの考えを認めさせた。そして、自分に任せれば、少なくとも今より悪くなることはないと思わせることに成功したのだ。
私が無言でいると、大賢者様はニヒェルマンに視線を向けた。
『ニヒェルマンよ。儂はそなたを完全に認めたわけではない。法王よりマシだと考えただけじゃ。もし成果を挙げられねば、我らをたばかったことになる。その覚悟があるということじゃな』
『もちろんでございます。もし、大賢者様、四聖獣様が満足いく成果を上げられなければ、その罪により死を賜っても後悔いたしません!』
ニヒェルマンは片膝を突き、大きく頭を下げた。
(完全にやられた……)
私は両膝を突いて呆然と見上げることしかできなかった。
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