第二十八話「皇帝、軍師と神経戦を行う:後編」
統一暦一二一五年十二月二十一日。
レヒト法国中部聖都レヒトシュテット、ゾルダート帝国外交団宿舎。皇帝マクシミリアン
余とラウシェンバッハの神経をすり減らす舌戦が続いている。
もっとも我が方の追及に対し、ラウシェンバッハはのらりくらりと躱しており、神経をすり減らしていると思っているのは我々だけかもしれないが。
情報を得られないことに苛立ちが強くなる。
そんな時、ラウシェンバッハが話題を変えてきた。
「そう言えば、夜を雇われているそうですね。陛下の直属部隊……確か名前は“梟”と言ったかと思いますが、その部隊の兵の訓練をさせているとか。なかなか強力な部隊をお造りになられているようですね」
何気ない口調で、世間話でもしているようにしか聞こえない。
そのことで思わず反応しそうになったが、無理やり平静を装う。
「夜? 梟? 何のことだ? それに余の直属とはどういう意味だ?」
そう言いながらも余の直属の暗殺部隊“梟”について知っていることに内心で衝撃を受けている。
梟は腹心のペテルセンにすら、全貌を知らせていない最高機密だからだ。
「私の勘違いでしたか。陛下のお傍に神霊の末裔の魔導師がおり、多くの“夜”を雇って指導させていると聞きましたので、我が配下の黒獣猟兵団のような強力な直属部隊を作られているのかと思ったのです」
「神霊の末裔の魔導師? 間違いではないか。我が国には真理の探究者の魔導師しかおらぬが」
とぼけてみるが、ラウシェンバッハの諜報能力の高さに恐怖すら感じている。
「ところで陛下は“暗殺”という行為について、どうお考えでしょうか?」
突然の質問に困惑する。しかし、すぐに自身が暗殺の対象であったため、釘を刺しにきたのだと思い当たった。
「有効な手段ではあるが、確実性とコストが問題で多用はできん手だろう」
「では、確実性が上がり、コストが下がれば使われると」
一瞬、何が言いたいのかと首を傾げそうになった。しかし、すぐに道義的な点で余に暗殺を否定させ、封じてきた可能性に気づく。
「暗殺を否定する気はない。暗殺によって無駄な戦いを防ぐことができるのであれば、数千の兵の命を救うことになる。暗殺者一人の命と数千の兵の命のどちらを優先するかと言われれば、考えるまでもなく後者だ。卿は暗殺を否定するのか?」
ラウシェンバッハが暗殺を否定しても肯定しても宣伝に使える。
否定すれば、自らの矜持のために兵の命を軽んじていると言えるし、肯定すれば、卑劣なことも平気でやる人物だと貶められるからだ。
「私は暗殺を否定します」
笑みを消してはっきりと答えた。そのことに違和感を持つ。
「数千の兵の命より自らの矜持の方が大事と見えるな」
「そうではありません。暗殺という行為が割に合わないからです」
その答えに総参謀長のヨーゼフ・ペテルセンが疑問を口にする。
「割に合わないというのは暗殺者を雇う金が高すぎるからということですかな? それならば、自前で用意すればよいだけですが」
噂に過ぎないが、ラウシェンバッハ領の兵の技量は影に匹敵すると言われている。影は優秀な暗殺者でもあるから、そのことを指摘したのだろう。
「そうではないのです。暗殺という卑劣な行為で勝利を得たとします。敗者側は負けたことに納得せず、長期間に渡りしこりが残ることになります。つまり、敗者は暗殺さえ行われなければ、負けなかったと思い込むのです。その結果、同じような攻撃、すなわち暗殺や無差別攻撃を行うようになります。勝者側も報復を行うでしょうから、泥沼に嵌まり、結局大規模な出兵に発展することが多いのです。そのコストと時間が割に合わないのです」
今まさに旧皇国領で起きていることを言っているらしい。
自分で煽っておいて白々しいと怒りが込み上げるが、すぐに無理やり抑え込む。
その間にラウシェンバッハが更に話を続けていた。
「先ほどペテルセン閣下は自前で用意すればとおっしゃいましたが、私に暗殺者を養成する気は全くありません」
「そうなのか? 卿のところの獣人族は暗殺者並みの腕を持っていると言われているが」
余の“梟”はまだその領域に達していないが、真実の番人からの情報によると、ラウシェンバッハの黒獣猟兵団は伝説の暗殺者集団“夜”に匹敵する腕を持っているらしい。
そのため、嫌味を言ったが、全く意に介さない。
「能力については武術の才のない私にはよく分かりません。ですが、たとえ能力があったとしても、彼らを暗殺者として送り込むことは絶対にありません」
先ほどまでの柔らかな口調ではなく、ここでも断固とした決意を感じる口調だ。
そこまで強い口調で言い切ったことが気になる。
「それはなぜかな」
「暗殺者は使い捨ての道具なのです。脱出を前提とした暗殺計画は成功率が著しく落ちますから、通常は成功しても失敗しても脱出することは考えません。私は仲間である彼らをそのような死地に送り込むことは絶対にしません」
甘いと思った。
夜並みの腕を持ち、ラウシェンバッハに絶対の忠誠を誓っているのだ。喜んで死地に赴くだろう。
そんな者たちを使わないと断言した。
余なら間違いなく、送り込む。それも成功するまで何度でも送り込むだろう。
成功しなくとも暗殺者に狙われれば、大きなストレスを感じるだろうし、行動を大きく制限できるのだ。
そのような有効な手を仲間だからという甘い考えで否定するとは思わなかった
「甘いとお考えのようですね」
ラウシェンバッハから強い意志を示す表情が消え、微笑んでいる。
「甘いというか、想像と違ったというところだな。卿はもっと冷徹かつ非情な人物だと思っていたが、思った以上に優しいのだと感心している」
「私自身、甘い理想主義だと思っていますので、言葉を飾る必要はありません」
そう言って更に微笑む。
そこで突然違和感を覚えた。
(なんだ、この感じは……誘導されているのか? 余に暗殺を命じさせようとしているのではないか? いや、この者は暗殺によって命を落としかけている。それに兵の損失を極端に嫌うほどだ。自身だけでなく、家族や仲間が狙われることを防ぎたいと考えているはずだが……余を迷わせることが目的なのか……)
ラウシェンバッハの狙いが分からず、内心で困惑していた。
そこで迷いを打ち消すように宣言する。
「では、余も自らの理想を目指すことにしよう。この大陸から無駄な争いをなくし、更に発展させる。そのためなら歴史に汚名が残ろうとも悔いはせぬ」
正直な思いだ。
「やはり陛下とは相容れないようですね。陛下がなりふり構わずに覇権を目指すというのであれば、私は自身の信念に従いつつ、それを阻んでみせましょう」
王国との会談はそれで終わった。
王国側が退席すると、どっと疲れが襲ってきた。
「ラウシェンバッハが梟の名まで知っているとは思いませんでした。やはり侮れませんな」
ペテルセンも同じように疲れているのか、表情に陰りがある。しかし、いつの間にか白ワインのグラスを手にしていた。
疲れた表情は飲めなかったからではないかと一瞬思ったが、それよりもラウシェンバッハの思惑について聞きたいと思い、そのことには言及しない。
「奴の狙いは何であったと思うか?」
「そうですね……」
ペテルセンは少し考えた後、小さく頷いてから話し始めた。
「我々を混乱させようとしてきたと考えるのが妥当でしょうな」
余も同じ考えだが、その根拠を聞きたいと思った。
「そう考えた理由は?」
「まず、南部の街道整備についてはとぼけてきました。しかし、その直後に我が国の最高機密である梟について、詳細な情報まで知っていると明かしております」
「そうだな。だが、それだけなら情報収集能力を誇示しただけとも言えるが」
「最高機密まで入手できるということは我が国の最深部にまで入り込めることを意味します。つまり暗殺者を送り込むことが可能だということです。そして、それを実行するだけの能力を持っていることを示した上で、自分は暗殺という手段は採らないと断言しました」
ようやくラウシェンバッハの意図が見えてきた。
「何となく分かってきたぞ。こちらに暗殺という手段を使わせないために能力は充分にあると匂わせてきたということだな。その上で獣人たちの忠誠を確かなものにするために仲間を暗殺という手段に用いないと断言してみせた。だが、もし自分が殺されれば、報復する者は山ほどいる。その覚悟があるならやってみろと脅してきたということか……」
「私もそう考えます。全く見事なものですよ。我々を脅した上に、自分は卑劣な手段を採らないと言い切り、ジークフリート王の信頼と護衛たちの忠誠を更に確かなものにしています。今になって分かりましたが、あの場でそれだけのことを考え、実行する能力には驚くばかりです。マルクトホーフェン程度では何もできなかったというのがよく分かりましたよ」
そこであることに気づいた。
「まだ、他にも思惑があるのではないか」
「それはどのような?」
「具体的には分からぬ。だが、此度の会合は奴が提案したものだ。これと関連付けた何らかの策があるとしても余は驚かぬ」
「確かにその可能性はありますな。ですが、私には全く想像ができません。二十年物の古酒でももう少し味の想像はできるのですが……」
ペテルセンらしい言葉に思わず笑みが零れたが、油断はできぬと気を引き締め直した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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