第二十七話「皇帝、軍師と神経戦を行う:中編」
統一暦一二一五年十二月二十一日。
レヒト法国中部聖都レヒトシュテット、ゾルダート帝国外交団宿舎。国王ジークフリート
マティアス卿が帝国の皇帝マクシミリアンと静かに戦っている。
私は何の力にもなれず、その戦いを見ているだけだ。
(法国は既に脅威ではない。だから法王と会っても緊張はしなかった。しかし、帝国は違う。近いうちに我が国に攻め込んでくる敵なのだ。そのような相手と普通に会話などできない……)
しかし、マティアス卿は違った。
旧リヒトロット皇国領での謀略について、マティアス卿の関与を疑う皇帝と切れ者のペテルセン総参謀長に対し、妨害どころか協力しているとまで言い放っている。
その厚顔さというか、豪胆さに私も驚いたが、上手く煙に巻いている。
そのため、皇帝もそれ以上追及することができず、話題を変えてきたほどだ。
次の話題だが、我が国の軍制改革についてのようだ。
我が国の重大な機密であり、そのようなことに触れていいのか迷ったが、マティアス卿は問題ないと考えているようだ。
「どのようなことを聞きたいのでしょうか?」
マティアス卿の問いに皇帝が笑いながら答える。
「貴国のことではないから安心してくれ。我が帝国軍について、貴公の感想を聞きたいのだ。何と言っても父コルネリウス二世の時代から、我が軍に苦汁を舐めさせたのは千里眼殿しかおらぬからな」
帝国軍についての感想が聞きたいと言っているが、意図が全く読めない。
「感想ですか……」
マティアス卿も同じようだ。
「難しく考える必要はない。将でも兵でも組織でも構わん。思ったことがあれば、聞きたいというだけだ。もちろん、我が軍の参考になるようなことは言わなくてもよい。単にどんな印象を持ったのか聞きたいだけだからな」
帝国軍を更に強くしようと考えているのかと思ったが違うらしい。
私には全く分からないが、マティアス卿は皇帝の考えが読めたらしく、大きく頷いた。
「分かりました。私のような者の感想でよければ、お聞かせいたしましょう……」
そう言うと、ケンプフェルト元帥と話す時のような気楽さで話し始めた。
「貴軍の素晴らしさは何と言っても兵站力です。どれほど後方を撹乱されても兵を飢えさせたことがありません。これは素直に称賛できることです」
皇帝は満足そうに頷く。
「兵を飢えさせるなど、あってはならんことだからな。兵站を軽く見る者が我が軍で将と呼ばれることはない」
「はい。兵站は物資を輸送すればよいというだけではありません。適切な時期に適切な量を確保し、それを適切な場所に送り込む。つまり、それだけの軍事予算を確保し、民間の輸送力も考慮した計画が立てられるということです。我が国ではそこまでの能力はありません」
今回の戦いでも商人組合の全面協力があって、何とか補給物資を確保している。
その言葉に皇帝とペテルセンは満足そうに頷いていた。
「更に将帥についても驚くばかりです。名将マウラー元帥を筆頭に、第二軍団長のエルレバッハ元帥、第三軍団長のガリアード元帥、退役されましたがゲルリッツ元帥など、相手にしたくない将帥ばかりです。以前の王国軍なら倍の戦力でも勝てる見込みはなかったと思っています」
「その将たちを翻弄したのは卿であろう。エルレバッハは僅か千三百の兵に一個軍団三万を拘束されたと嘆いていた。ケプラーも有能な将だったが、卿の策に嵌まり、討ち死にしている」
マティアス卿は知将エルレバッハ元帥率いる第二軍団を、ラザファム卿率いる一個連隊一千名とラウシェンバッハ騎士団の一個大隊三百名で翻弄している。
ケプラー将軍はシュヴァーン河を巧みに渡河させた上で浮橋を焼き払って敗死に追い込んでいる。いずれも私ではどうやったらそんなことができるのか、想像すらできないことだ。
「エルレバッハ元帥は皇都リヒトロット攻略作戦での勲功第一位と聞いています。翻弄されたのは私の方ですよ」
エルレバッハはマティアス卿の部隊による後方撹乱を受けながらも草原の民と交渉し、中立を守らせたと聞く。これにより、リヒトロット皇国は逆転する術を失い、皇都を放棄した。
「先ほど以前の王国軍なら二倍でも勝てなかったと言ったが、十年前のヴェヒターミュンデ城では第三軍団三万を二万ほどの兵で打ち破っているではないか。それに今の王国軍なら二倍でなくても勝てると聞こえたが?」
「十年前の勝利は貴軍が油断したから得られたものです。それに現在の王国軍の総司令官はエッフェンベルク侯爵です。彼の能力なら貴国の優秀な将と互角に戦えますし、兵の練度も士気も上がっています。ですので、同数では無理かもしれませんが、以前ほど悲観する必要はないと考えています」
「氷雪烈火のラザファムか……確かに有能な将だと聞いている。今回の勝利も卿とエッフェンベルク侯爵、イスターツ将軍、卿の妻イリス卿の四人が大きな役割を果たしたと聞く。それに王国軍全体がグレーフェンベルク伯の考えた王国騎士団や貴公の作ったラウシェンバッハ騎士団と同じ編成になるのであれば、我が軍も危ういかもしれぬな」
皇帝はラザファム卿の二つ名を知っていた。思った以上に我が軍について知っていることに脅威を感じていた。
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統一暦一二一五年十二月二十一日。
レヒト法国中部聖都レヒトシュテット、ゾルダート帝国外交団宿舎。皇帝マクシミリアン
ラウシェンバッハから話を引き出そうと苦労している。
「そう言えば、王国騎士団は我が軍と共和国軍を参考にしたと聞く。どの点が参考になったのだろうか?」
ラウシェンバッハは笑みを浮かべたまま小さく頷く。
「以前の王国軍は貴族領軍の集合体でしたので、それをやめ、貴軍でも採用されている連隊から小隊という階層状の編成にしたとグレーフェンベルク閣下より伺ったことがあります。我がラウシェンバッハ騎士団もその王国騎士団の編成に倣い、更に獣人族の特性を入れたものとしました」
この辺りは常識的な答えだ。
「なるほど。しかし、聞くところによると我が軍とも共和国軍とも微妙に異なるようだ。その違いは何のだろうか?」
話に熱を帯び始めたので、少し踏み込んでみた。
「簡単な話です。貴軍も共和国軍も野戦中心の編成ですが、我が軍は基本的に城塞に篭って戦います。ですので、それに合わせた編成になっているというだけですね」
言っていることは合理的だが、それだけではないと思っている。
のらりくらりと躱してくるので、更に突っ込んでみた。
「だが、ランダル河では野戦で活躍したと聞く。おかしいのではないか?」
「あれはケンプフェルト閣下のお力です。もちろん、我が領の獣人族の活躍もありましたが、地の利を得た上で名将が指揮しているのです。まして、法国軍は油断していましたから、実質的な初陣であった我が騎士団でも活躍できたのです」
「ケンプフェルトか……五十年近い軍歴を誇る名将だが、あれほど鮮やかな勝利は初めてであったはずだ。千里眼のマティアスの知恵を借りているからなのだろう」
そう言って少し煽ってみるが、涼しい顔のままだ。
「確かに作戦を提案しておりますが、それはケンプフェルト閣下が総司令官であるという前提です。高いカリスマ性と的確な作戦指揮能力を持った方ですので、多少無理な作戦でも成功すると考えていました」
ランダル河殲滅戦については断片的な情報は入ってくるが、詳細は分かっていない。そのため、ケンプフェルトの功績と言われても否定しようがなかった。
なかなか情報を出さないことに焦りが生じてくる。
「そう言えば、貴軍を参考にさせていただいたことがあります」
ようやく何か情報が得られそうだと思うが、何気なく話を促す。
「ほう、それは何かな?」
「工兵です。今回のランダル河での戦いもそうですが、エンツィアンタールの戦いでも貴軍を参考にした工兵が役に立ちました。もっともリヒトロット皇国侵攻時の驚異的な街道整備能力を持つ貴軍から見たら、児戯に等しいのでしょうが」
街道整備能力と聞き、ラウシェンバッハが南部鉱山地帯からグラオザント城に抜ける街道の整備を行っていることに気づいていると思った。
「工兵か……確かにあれは役に立つ」
しかし、そのことはおくびにも出さない。
「そうですね。工兵と輜重隊を上手く組み合わせれば、遠征も楽になります。もう少し情報が手に入れば、更によい編成にできるのですが、貴軍の防諜対策が厳しすぎて、なかなか参考にできません」
そう言ってラウシェンバッハは苦笑している。
やはり南部のことを知っているようだ。そのことで鎌を掛けてみる。
「そのようなことはないだろう。今も南部でいろいろと探っていると聞いている。そうであろう、ペテルセン?」
ペテルセンに話を振ると、彼は大袈裟に頷く。
「まことにその通りですな。千里眼殿の手の者は手強い。どれほど厳しく警戒しても、いつの間にか探られてしまいます。それでいて、一度も捕らえられたことがありません。闇の監視者をあそこまで使いこなすラウシェンバッハ伯爵には全く敵いませんな」
大袈裟に嘆いているように見せているが、正直な思いだろう。諜報で後れを取り続けていることに、余もペテルセンも忸怩たる思いがあるからだ。
「南部で私の手の者が? 何かの間違いではありませんか? 我が国にそのような余裕はないのですが」
ぬけぬけと否定してきた。
「皇国軍の残党を使って工事の妨害をしていることも分かっている。まあ、これについては我が軍が上手く対応しているようだがな」
第三軍団が街道の整備を行っているが、軍団長のガリアードは工事を第二師団に命じ、第三師団に後方撹乱作戦に対応させている。一個師団一万の兵が対応しているため、数十人規模の撹乱部隊は輜重隊や工事部隊に手を出すことなく、森に潜むことしかできない。
そのため、工事は計画より早く進んでいる。
「私に旧皇国兵に対する指揮権はございません。どうやら貴国では何かがあると、すべて私が裏から操っていると考えておられるようですね。評価していただくのは嬉しいのですが、過大評価が過ぎるというものですよ」
そう言って肩を竦めている。
(なかなか尻尾を掴ませんな。もう少し揺さぶりを掛けて情報を得たいのだが……)
余は僅かだが苛立ちを感じ始めていた。
そんな時、ラウシェンバッハが攻勢に転じてきた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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