第二十六話「皇帝、軍師と神経戦を行う:前編」
統一暦一二一五年十二月二十一日。
レヒト法国中部聖都レヒトシュテット、ゾルダート帝国外交団宿舎。皇帝マクシミリアン
昨日の夕方、レヒト法国の聖都レヒトシュテットに到着した。
会合まで十日ほどとギリギリのタイミングになったが、狙ったわけではない。
余が帝都ヘルシャーホルストを出発したのは十月十五日。つまり二ヶ月以上前なのだ。
移動手段は船で、大陸を時計回りに進み、距離にして五千キロメートルほどの大航海だ。
それでも一ヶ月半ほどで到着できる見込みだった。
しかし、この航路では敵国であるシュッツェハーゲン王国とグランツフート共和国の港を利用せざるを得ない。
途中で嵐に巻き込まれて船が破損し、シュッツェハーゲンの小さな港町で十日ほど停泊することになった。
修理は三日ほどで終わるはずだったが、嫌がらせにより余分に時間が掛かっている。また、物資の補給でも嫌がらせを受けており、最終的に三週間ほど余分に時間が掛かってしまったのだ。
四聖獣の名を出して脅すことで、何とか期日に間に合ったが、既に我が国以外は聖都に入っており、外交で後れを取ったことは否めない。
到着した翌日、法王庁を表敬訪問したが、法王アンドレアス八世を始め、多くの者が疲れているように見えた。
理由を聞くと、聖都の守備を任されていた南方教会の白鳳騎士団がグライフトゥルム王国の外交使節団に絡み、そのため、一週間ほど前に郊外に移動させたのだが、未だに混乱が収まっていないためらしい。
騎士団だけでなく、教団上層部に対する批判が強く、法王が対応に苦慮していると零していた。
(ラウシェンバッハの謀略だろうな。騎士団を煽って暴走させ、それを理由に法王たちの間に政争を起こさせる。昔我が国でもやられた手だ……)
だからといって、法国の連中に手を貸す義理はない。
法国が混乱している以上、ラウシェンバッハが次に狙ってくるのは我が国だ。その対応に全力を傾けなければならないからだ。
そのラウシェンバッハが昨日到着した直後に、会談したいと申し入れてきた。
『さすがは千里眼殿ですな。港を見張り、我らが動く前に一当てしにきたようですな』
総参謀長のヨーゼフ・ペテルセン元帥が赤ワイングラスを片手に笑っていた。
『ラウシェンバッハが何を言ってくるかだが』
『普通に考えれば、陛下に釘を刺しに来たというところでしょう。いずれにしても、あの千里眼殿と話ができることは楽しみですよ』
その思いは余も同じだが、ペテルセンは心底楽しそうにしている。その暢気さに呆れた。
そして、法王庁訪問から戻ってきたところで、グライフトゥルム王国の者たちがやってきた。
国王のジークフリートを見た時、最初に思ったことは“若い”ということだった。もちろん、十七歳であるという情報は知っているが、王国の最大の敵である余に対して、敵意を隠しきれていなかったためだ。
「グライフトゥルム王国の国王ジークフリートである。貴国と我が国には深い因縁があるが、ここでそのことに言及するつもりはない」
言葉も堅いが、表情は更に強張っていた。
その横にいる文官風の若い男がジークフリートを嗜める。
「陛下、そのような物言いは皇帝陛下に失礼ですよ」
そう言った後、我々に向かって頭を下げる。
「申し遅れました。マティアス・フォン・ラウシェンバッハと申します。ゾルダート帝国の偉大なる皇帝、マクシミリアン陛下のご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」
余裕の笑みを崩さず、優雅に頭を下げた。
(さすがは余を苦しめ続けた男だけのことはある。胆力だけでも我が国で元帥にしてやれるほどだ……)
そんなことを考えるが、すぐに鷹揚に頷く。
「余はゾルダート帝国第十二代皇帝マクシミリアンである。“千里眼のマティアス”と会えただけでも、ここに来た甲斐がある」
「もったいないお言葉です」
そう言ってラウシェンバッハはもう一度頭を下げた。
その後、双方の出席者の紹介が終わり、会談が始まった。
特に議題があるわけでもないため、こちらから話を振る。
「法国との戦いは見事であったな。我が国との戦いでは姑息な手が多かったが、大軍を擁しての戦いでもなかなかの手腕だ」
軽く嫌味をいい、探りを入れる。
その言葉にジークフリートの表情が厳しくなるが、ラウシェンバッハは余裕の笑みを崩さない。
「正面から戦えば、貴国の大軍には勝てませんので。そう言えば、陛下もなかなか面白いことをお考えになられましたね」
何のことか分からないため、小さく頷いて先を促す。
「先日、ダニエル・モーリスから泣き言が書かれた手紙が届きました。私が旧皇国領で仕掛けている謀略をやめてほしいと。二十歳の若者を使ってくるとはさすがは政戦両略の天才とうたわれた方だと感心しました」
軽く嫌味を言ったら、すぐに返してきた。
「卿が何かしているのは分かっているのだ。最も成功率が高い方法を用いるのは当然であろう」
「合理的に考えれば、その通りですね。ですが、私は彼に協力しているつもりだったのですよ。その点はご理解いただきたいものです」
「協力? 妨害の間違いではないのか?」
思わず問い質してしまった。
ラウシェンバッハはニコリと微笑んだ。そこで奴に乗せられたと気づく。
「彼の計画書をご覧になったのであれば、お気づきかと思いますが?」
乗せられたが、何を言ってくるのか気になり、更に聞いてしまう。
「何が言いたいのか、分からぬな」
「計画書そのものは見ておりませんが、我が領地で行われた酒造計画を基にしていると聞いております。素案はモーリス商会に残されていた計画書を見て作ったようですが、我が領地の状況を知りたいと言ってきたので、すべて見せていますし、職人たちからの聞き取りも許可しました。貴国の発展に力を貸すことになりますが、かわいい弟子からの頼みでしたので許したのですよ」
確かにラウシェンバッハ領での経験を基にしたと書いてあった。
(あの計画にラウシェンバッハも噛んでいるのか? ならば、成功する見込みはないということか……いや、ここでそのことを明かせば、余がこの計画を取りやめることは明らかだ。逆に言えば、成功しそうだから、あえてこちらからやめるように誘導したとも取れる。どちらなのだ……)
迷っていると、ペテルセンが話に加わってきた。
既に飲んでいるが、さすがに酒は持っていない。
「では、失敗することが前提ということですかな?」
「そのようなことはありません。商人なら利益を上げるために全力を尽くすべきと教えています。仮に私が邪魔をすると考えていたのであれば、それを見込んだ計画にしているはずです。ですので、今回の手紙も陛下のご命令を守ったというだけでしょう」
「では、成功の見込みがあると」
ペテルセンはいつになく真剣だ。リヒトロット市周辺での酒造計画に大きな期待を抱いているからだ。
ラウシェンバッハは大きく破顔する。
「それは分かりませんよ、ペテルセン閣下。先ほども申しましたが、私はその計画書を見ていませんし、現地にも行ったことがないのですから。それに私は妨害などしていませんよ。中部総督府の役人がダニエルの苦労を無駄にしただけでしょう」
そう言っているが、間違いなく、この者は関与している。
しかし、これ以上この話をしても奴のペースに乗せられるだけだと思い、別の話題に切り換えることにした。
「そう言えば、貴国では軍制改革が行われるそうだな。軍略家として名高いラウシェンバッハ伯爵に尋ねたいことがあるのだが、よいだろうか、ジークフリート殿?」
そう言ってジークフリートに視線を向けた。
厳しい表情のままだが、余の問いに困惑している。
「よろしいのではありませんか、陛下。もちろん、答えられないこともありますが」
ラウシェンバッハの言葉にジークフリートが頷く。
「私は構わぬ」
ジークフリートは鷹揚に頷いた。
余はこの機に王国軍改革がどのようなもので、どこに弱点があるのか、探ろうと考えたのだ。もちろん、素直に聞く気はない。
(さて、どんな話になるのか楽しみだ……)
余は千里眼がどのように答えるのか、興味を持ちながら質問を始めた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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