第九話「アレクサンダー、模擬戦を行う:後編」
統一暦一二一五年十一月十五日。
グランツフート共和国中部首都ゲドゥルト、ケンプフェルト邸。近衛隊長アレクサンダー・ハルフォーフ
俺は今、グランツフート共和国一の猛者、ゲルハルト・ケンプフェルト元帥閣下と対峙している。
まだ立ち合いの前ということで、閣下はただ静かに立っているだけだが、その大きさに恐怖心が沸き上がるのを必死に抑えていた。
「ほう、ずいぶん腕を上げたようだな。儂の威圧を受けても平然としておるとは」
やはり威圧を放っていたようだ。
壁際にいるロルフたちや門下生たちの顔が強張っているのが見えた。若い門下生の中には真っ青な顔をして膝を突いている者もいる。それほどの威圧だ。
「閣下より恐ろしい存在の威圧を受けたことがありますから」
以前の俺なら膝を屈しないまでも口を開く余裕はなかったしれない。しかし、鷲獅子様の威圧を受けたことがあるから、軽口を叩けるくらいの余裕はあった。
もっともあの時は鷲獅子様の怒りを受けて膝を突いている。その怒りを真正面から受けてもはっきりと意見を言ったマティアス殿がいるから、あまり大きなことは言えない。
「言うようになったな」
そうおっしゃって笑われるが、すぐに真面目な表情をされた。
「儂も鷲獅子様の話は聞いておる。まあ、儂は直接会っておらぬから何とも言えぬが、首都でも多くの者が気を失ったと聞いている。一番近いところで鷲獅子様の怒りを受けたのであれば、儂程度では恐れることもなかろうな」
俺がそんなことはないと答えようとしたが、閣下の雰囲気が変わっていることに気づく。再び恐怖心が湧き上がってきたが、今度は意図的なものでなく、本気で打ち合う気のようだ。
閣下は審判役の次男ヴェンデリン殿に視線を向けた。
「儂らの準備は終わっておる。合図を頼む」
ヴェンデリン殿も俺と同じく閣下がやる気になったと悟り、緊張しながら頷いた。
「で、では……始め!」
その言葉と同時に、俺は身体強化を最大限に掛け、一気に閣下に迫る。
この速度は闇の監視者の影の中でも一二を争う腕を持つヒルダ殿に匹敵するはずだ。
瞬時に距離を詰めると、最小限の動きで突きを放つ。
しかし、その渾身の突きは閣下の木剣にいとも簡単に弾かれてしまった。
「一瞬ヒヤリとしたぞ」
そうおっしゃったものの、閣下の目は笑っている。
もちろん、俺も最初の一撃が通用するとは思っていなかったが、もう少し焦らせることができると思っていた。
(手数で圧倒するしか勝ち目はない……もっとも閣下の守りを崩せるとは思えんがな……)
閣下の余裕の言葉に応えることなく、俺は斬撃を放っていく。
「なかなかよい打ち込みだな」
斬撃を捌きながら、そうおっしゃった。
閣下は豪快に大剣を振るう攻撃型の剣士だと思われているが、戦場では敵が弱すぎて守りを必要としなかっただけだ。四元流の達人らしく、攻防一体のバランスの良い剣士なのだ。
そのため、左右から嵐のように攻めているのに全く当たる気がしないし、閣下の顔にはまだ余裕の笑みが浮かんだままだ。
(勝てないまでも焦りを覚えていただくくらいでなければ、成長した証は見せられん。あれを使うしかないか……)
俺は早々に切り札を使うことにした。
嵐のような攻撃を切り上げ、一度距離を取るために下がる。
「もう息切れか?」
閣下の言葉にニヤリと笑い、小さく呟く。
「絶影!」
その直後、俺は一気に距離を縮めた後、右に跳び、更に左に跳んだ。
そして、後方に回り込むように前に動きながら、足に掛けた強化を更に強めて右に飛ぶ。
その強化は俺の限界を超えた七倍。五倍の強化での動きに慣れた目には消えたように見えるはずだ。
そして、下段から閣下の腕を目がけて斬り上げる。
これにより、移動速度を加えた強力な斬撃が死角から放たれることになる。
一瞬決まったと思った。
しかし、カンという硬い音が響き、斬撃の軌道が僅かにずれる。
当たるとは思っていなかったが、あっさりと弾かれたことに驚きを隠せない。
「これも通用しないか……」
「暗殺者の技か……一瞬消えて焦ったぞ」
今度は目が真剣であり、本当に焦らせることができたようだ。
閣下がおっしゃる通り、この絶影は影が得意とする技だ。俺や閣下のような剣士に対し、幻惑させた上で本来の暗殺の目標に迫る技で、最初に見た時には全く反応できなかった。
その技を閣下は初見で完全に封じたのだ。
やはり格が違うと思った。
「さすがですね。これが防がれると打つ手がなくなります」
そう言いながらも魔導器から魔素を身体に巡らせていく。次は閣下が攻めてくるから、それを迎え撃つ準備を急いで行ったのだ。
「では儂も本気でいかねばならんな」
そうおっしゃると、閣下の身体が大きく膨らんだように見えた。
次の瞬間、ドーンという音と共に両腕に強い衝撃を受ける。
「ほう、これを受け止めたか。本当に強くなったな」
閣下が放った上段からの斬撃を無意識のうちに受け止めていたらしい。
最大の身体強化でも止めるのがやっとで、腕が痺れて使い物にならない。
そこで閣下が木剣を下ろした。
「終わりでよいだろう」
その言葉に俺も構えを解き、頭を下げる。
「ご指導、ありがとうございました」
これ以上やっても俺の負けが明確になるだけで意味がない。閣下はそうお考えになり、俺に恥を掻かせないよう、剣を収めてくれたのだ。
「本当に腕を上げたな。儂がここまで汗を掻くのは久しぶりだぞ」
そう言って門下生から受け取った手拭いで汗を拭いている。
「最後の一撃を受け止められたのは偶然ですよ。身体が無意識のうちに反応したようですが、まだ痺れています」
そう言いながらも閣下に本気の一撃を出させたことに満足していた。
何度も手合わせをしてきたが、これまで一度もあれほど強烈な一撃を受けたことがなかったからだ。
「無意識に守れるようになったのなら重畳だ。特に乱戦では頭で考えていては間に合わぬことが多いからな」
閣下のおっしゃる意味はよく分かる。
「確かにそうですね。ランダル河でもエンツィアンタールでも周りを気にしながら戦うのは難しかったですから」
ランダル河の戦いでは、指揮自体はハルト殿が執っていたが、それでも周囲の兵の様子を気にする必要があった。
また、エンツィアンタールの戦いでは一隊を率いていたから、更に周囲を見なければならず、自分の戦いに集中できなかった。
「国王陛下の護衛である近衛なら、更に視野を広げねばならん。その辺りを考えてマティアスはお前に指揮を任せたのだろうな。奴ならそのくらいのことは考えておるだろう」
なるほどと思った。
(マティアス殿は俺に数百名の精鋭を率いさせ、切り札的な部隊を作りたいと言っていたが、そう言う意味もあったのか……さすがは千里眼殿だな……)
そんなことを考えていると、閣下が意外なことを言ってきた。
「剣もそうだが、指揮の方で追いつかれるのは時間の問題だろうな。あのマティアスから学んでいるのだろう?」
確かに行軍中にいろいろと学んでいるが、名将と謳われるケンプフェルト閣下に追いつくなど考えたこともなかったからだ。
俺は閣下の言葉に苦笑するしかなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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