第十七話「第三王子、王宮に戻る」
統一暦一二一五年二月二十二日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。第三王子ジークフリート
私は十二年ぶりに王宮に戻ってきた。
当時の記憶は薄れているが、中庭などは昔の記憶にある通りに見える。
(あそこで母上と花を見たことがあったな……)
そんなことを考えていると、案内してくれている文官が止まった。
「陛下と王太子殿下、宮廷書記官長閣下がお待ちです」
いつの間にか、父の執務室の前に来ていたらしい。
私が答えることなく、文官が来訪を告げ、扉が開いた。
中には疲れた表情の父とオドオドとした感じで落ち着きがない若い男、そして、やや肥満気味の中年貴族が待っていた。若い男は兄フリードリッヒの面影が微かに残っている気がするが、マルクトホーフェン侯爵らしき人物は全く記憶にない。
「ジークフリート、ただいま戻りました」
父が「よく帰ってきた」と歓迎の言葉を言うが、表情にも口調にも何の感情も見られない。
「お初にお目にかかります。宮廷書記官長のミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵と申します」
侯爵は私をねめつけるような目で見た後、更に言葉を続けた。
「ところで殿下は誰のお許しを得て戻られたのですかな? 王宮を預かる小職は聞いておりませんが?」
それに対し、父も兄も何も言わない。
「許しというが、私は王宮から追放されていたのだろうか? 私が聞いたのは母を失った悲しみで心が病むから王都から離れたということだった。既に十七歳になり、母を恋しがる歳でもない。自らの判断で戻ってきたのだが」
侯爵が何か言いがかりを付けてくることはマティアス卿から聞いていた。そのため、想定問答も考えてあり、焦ることは全くなかった。
「少なくとも陛下のお許しは必要ではありませんか?」
そう言って父を見ると、父は小さく頷いた。
「なるほど。侯爵の意見には聞くべきところがある。では、この場で陛下に確認を取ろう。陛下、先ほども申しましたが、先日十七歳になりました。今後は陛下のため、王国のために何かしたいと思い、王都に戻ってまいりました。許可をいただけますでしょうか」
「うむ。許す」
父も私の意図に気づいたようで、侯爵が何か言う前に即座に頷いた。
「これで問題ないということでいいか、マルクトホーフェン侯爵」
一瞬、侯爵は悔しげな表情を浮かべるが、何事もなかったかのように笑みを浮かべて頷く。
「陛下のご許可が出たのですから、私から言うべきことはありません。但し、次からは事前に話を通していただきたいものです」
言うべきことはないといいながらも嫌味を言ってくる。
「それは済まなかった。私は十二年間も王都を離れており、こういったことに疎い。侯爵に迷惑を掛けることになるかもしれんが、よろしく頼む」
私が動じていないことに侯爵は僅かに目を細める。
そんな侯爵を無視して、父に視線を向けた。
「先ほども申し上げましたが、私は陛下のため、王国のために少しでも力になりたいと思い戻ってまいりました。もちろん、フリードリッヒ兄上が立太子されたことも聞いております。兄上が次期国王陛下となることに納得しておりますので、私が玉座を求めることはありません。そのことは最初に明言しておきます」
私の言葉に兄は安堵の表情を浮かべている。
「よい心がけじゃ。それが分からぬ者もおる」
そう言って父は侯爵をチラリと見たが、更に言葉を続ける。
「そう言えば、ラウシェンバッハと一緒に戻ったそうだな」
「はい。王国は現在、危機的状況にあります。ですので、稀代の軍師、“千里眼”のラウシェンバッハ子爵の知恵を借りるべく、彼を私の師として招聘しました」
「ほう、あの千里眼がそなたの師となると。それはよいことだな」
マティアス卿が師になると言ったことで、父の目に力が見えた。
無気力な父を変えたことで、彼の凄さを改めて知った気がした。
「ラウシェンバッハ子爵は体調を崩していたそうですが、もう大丈夫なのですかな」
侯爵が尊大な感じで聞いてきた。少なくとも王子に対する態度ではないが、そのことは無視して答える。
「叡智の守護者の大導師、シドニウス・フェルケ殿から問題ないと聞いている。最古の塔の大導師の言葉を疑う理由はないから問題はないのだろう」
「なるほど。ですが、彼は昔から身体が弱かったはず。無理はさせぬ方がよいでしょう」
「もちろん、そのことは理解している。彼の知力は我が国の至宝。私の我儘で失っていいものではないからな」
そこで父が再び話に入ってきた。
「ラウシェンバッハは公職に戻る気があるということか?」
「そのような話は聞いておりません。ただ、王国から要請があれば、断らないのではないかと思います」
父はマティアス卿に期待しているようで、私の答えに満足そうに頷いている。
「王国騎士団改革の立役者の一人であり、皇帝マクシミリアンを震撼させた人物だ。身体に問題がないなら、我が国のために働いてもらうべきであろうな」
「それに関しては小職の方で検討いたします」
すかさず侯爵がそう言って引き取った。
さすがに長く宮廷を支配している人物で、言質を与えない。
その後は当たり障りの話が続き、私は王宮内に用意された一室に向かった。
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統一暦一二一五年二月二十二日。
グライフトゥルム王国王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
国王の執務室から自室に戻ると、腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵が待っていた。
エルンストは王立学院を首席で卒業した秀才で、ラウシェンバッハより一歳若い三十歳。以前はラウシェンバッハにしてやられることが多かったが、今では胆力も付き、不安はほとんど感じていない。
「ジークフリート王子はいかがでしたか?」
「思いの外、胆力があった。私が睨みつけても恐れる様子がなかったな。それに頭も悪くない。入れ知恵されていたのだろうが、私の言葉にも的確に対応してきた。グレゴリウス殿下にとっては王太子より遥かに厄介な相手だ。何といってもラウシェンバッハに師事していると断言しているからな」
「ラウシェンバッハが絡んでいるとなると厄介ですね。奴ごと早急に消した方がよいでしょう」
エルンストはラウシェンバッハにやられることが多かったため、強い敵意を見せる。しかし、彼が言うほど簡単な話ではない。
「消すといってもラウシェンバッハには叡智の守護者が付いている。それに大賢者が暗殺を禁じているのだ。どのように奴を消すというのだ?」
私の問いにエルンストは小さく頷く。
「既に考えております」
「それはなんだ?」
「共和国に対し、援軍を出すべきという騎士団からの要請がありました。それを利用し、ラウシェンバッハとジークフリート王子を共和国に送り込むのです」
「共和国に送り込むか……なるほど、奴の知名度なら軍を送り込む代わりだと言っても違和感はない。王家からも人を出したとすれば、共和国も強くは言えまい。それに法国軍は六万を超えると聞く。乱戦の混乱で戦えぬ二人が命を落とすこともあり得るな」
「それだけではございません。共和国と法国の国境までは千三百キロ以上ございます。のんびりと馬車で移動するわけにはまいりませんから、まだ寒さが残るこの時期にそれだけの移動を行えば、病み上がりのラウシェンバッハには大きな負担となるでしょう」
そのことは考えていなかった。確かに病み上がりにはきつい旅になるだろう。
「さすがはエルンストだ! 明日はホイジンガーから援軍についての御前会議があった。そこで提案しよう」
王国騎士団長のマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵はしつこく援軍の話を持ち込んでくるので、それを利用することにしたのだ。
エルンストの策が成功しなくとも、ホイジンガーに対して一定の配慮をしたように見えるから、悪くない提案だ。
翌日、私は御前会議に挑んだ。
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