第二十六話「軍師、皇女の処遇について議論する:後編」
統一暦一二一五年八月二十三日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
リヒトロット皇家唯一の生存者、エルミラ皇女の処遇についてジークフリート王子から相談を受けた。
二人ともリヒトロット皇国の再興は難しいと考えているが、王子は安全なグライフトゥルム王宮に皇女を保護したいと考えている。
私は皇女を不快にさせる発言をするかもしれないと言ったが、まだ十三歳に過ぎない彼女がそれでも聞きたいとはっきりと告げたことに少し驚いていた。
それを隠して説明を始める。
「エルミラ殿下はリヒトロット皇国の唯一の皇位継承権保有者です。この事実は旧皇国領の掌握に苦労している帝国にとって非常に大きいと言えます。その殿下を我が国が保護するということは帝国との戦いが激化することは容易に想像できます」
リヒトロット皇国はグライフトゥルム王国に次いで長い歴史を誇る大国だった。そのため、旧皇国領の民は愛国心が強く、皇家に対して強い親愛の情を持っていた。その皇家の生き残りがいると分かれば、ただでさえ不安定な旧皇国領の民が更に従わなくなる可能性が高い。
帝国としてはそのような不安定要素は絶対に排除したいから、王国への侵攻を誘発することになりかねない。
更に我が国が帝国と戦うことになった場合にこちらが不利になり、停戦なり休戦なりを求めたとすれば、帝国は必ず皇女の身柄を要求する。それを受け入れれば、旧皇国領の民に恨まれ、帝国に利することは間違いない。
「一方で殿下の存在は旧皇国領の民や未だに抵抗運動を行っている旧皇国軍に、希望を与えることになります。上手く利用すれば、帝国内に混乱を与えることができ、我が国への侵攻を遅らせることもできます。その場合、帝国は徹底的に弾圧するでしょうから、多くの血が流れることになるでしょう」
旧皇国領では私が行っている情報操作の効果もあり、民衆の忠誠度は低いままだ。そのため、皇帝は旧皇国領に多額の資金を投入し、懐柔策に出ている。
しかし、皇家の生き残りがいると分かれば、民衆が希望を持ち、帝国への反発が今以上に強まる可能性が高い。
「私の存在が民の血を流す原因になるということでしょうか」
皇女は目を見開いて聞いてきた。
「その通りです。ですが、我が国は、いえ、私は殿下の存在を利用する策を実行するでしょう。それによって我がグライフトゥルム王国が安全になるのですから」
そこでジークフリート王子が口を開く。
「エルミラ殿の存在を大々的に公表し、旧皇国領で反乱を起こさせるということだろうか?」
「反乱まで誘導するかは分かりませんが、少なくとも今以上に反抗的にさせ、帝国の支配が盤石になることを妨害します。もしかしたら、帝国に協力的な旧皇国の商人や官僚を罠に嵌めるため、殿下の名を使うかもしれません」
「卿ならエルミラ殿を利用せずとも帝国に対抗できるのではないか? 王宮で保護するとしても、今と同じように皇国貴族の生き残りと言っておけば、帝国も過剰に反応しないと思うのだが」
そこでイリスが話に加わる。
「帝国がエルミラ殿下のことに気づいていなければ、その通りです。ですが、クレーエブルク城に皇家の方がいらっしゃったことを帝国が気づいていた可能性が高いという情報があります。殿下の脱出の際に海上に多くの船が出されていたと報告を受けておりますので、恐らく事実でしょう」
彼女の言う通り、大賢者マグダの命を受けてエルミラ皇女を救出した船乗りが、そのように報告している。その船乗りは叡智の守護者の関係者であり、信憑性は高い。
「そうなると、エルミラ殿の存在は隠し続けた方がいいということか……」
「それも難しいと思いますわ」
イリスの言葉に王子が首を傾げる。
「どうしてだろうか? 今まで気づかれていないのだから、黙っていれば分からないと思うのだが?」
その問いには私が答える。
「侯爵令嬢として我が国に残る場合でも、我が国が保護していると知れば、帝国の目は必ずエルミラ殿下に向きます。ですので、殿下が密かに共和国に行き、平民として暮らすしかないでしょう。しかし、殿下を見る限り、平民の娘というには気品がありすぎます。それにリーゼル殿も護衛を続けるでしょうから、どこかで露見することは間違いありません」
「分からないでもないが……ならば、どうしたらよいのだろうか?」
そこで私が発言する。
「最も安全なのはジークフリート殿下が娶られることです」
「私の妻に! それはなぜだろうか?」
私の言葉に王子と皇女が驚いている。
特に皇女は顔を真っ赤にして目を見開いていた。
「殿下は近い将来、グライフトゥルム王国の国王となられます。つまりエルミラ殿下は王妃になられるのです。帝国が王妃殿下の身柄を要求しても突っぱねることは当然であり、どれほど不利になっても臣下がそのような提案を行うことはないでしょう」
「その通りだが、私の妻でなくとも身分を偽ったまま、王国貴族と結婚してもよいのではないか?」
「先ほどの妻の話にも出ましたが、帝国が見逃す可能性は低いと思います。それに貴族に嫁げば、陰供の護衛が付きません。しかしながら、王妃殿下であれば、複数の陰供が常時護衛に付きますから暗殺者対策としては万全でしょう」
「言わんとすることは分かるが……ならば、身分を偽ったまま、私と結婚すればよいのだろうか?」
結婚という単語が連発し、エルミラ皇女が真っ赤になったまま固まっている。どうやらジークフリート王子に好意を抱いているらしい。
「その場合、王国内で問題になります」
「どういうことだろうか?」
「身分の問題です。王妃となられる方が他国の貴族では国内の貴族が反発するでしょう。その点、リヒトロット皇国の皇女殿下であれば、これまでにも例がございますから、反発される可能性は低いと思います」
グライフトゥルム王国とリヒトロット皇国は敵対していた歴史もあるが、友好関係にあった時代の方が圧倒的に長い。そのため、グライフトゥルム王家とリヒトロット皇家は何度も婚姻関係を結んでいる。
妻が再び発言する。
「エルミラ殿下はご本人が望む望まないにかかわらず、リヒトロット皇家の血を継ぐという事実から逃れることはできません。ジークフリート殿下もエルミラ殿下が不幸になることは望まれないのではありませんか?」
「そ、そうだが……突然結婚という話になり、困惑している」
妻もエルミラ皇女がジークフリート王子に好意を抱いていることに気づいたようだ。
私は管理者の血統を残すという理由と皇国内での工作に使うつもりで勧めているが、妻は単純に亡国の皇女の幸せを願って説得している。
「エルミラ殿下のことは家族のようだとおっしゃっておられたと記憶しています。エルミラ殿下、ジークフリート殿下のことはお嫌いですか?」
「あ、え、その……そんなことはありません!」
突然、話を振られ、エルミラ皇女は先ほどまでの聡明さが影を潜め、十三歳の少女らしくあたふたとしている。
これ以上話をしても、若い二人が焦るだけなので助け舟を出す。
「今すぐ結論を出す必要はありませんが、少なくとも皇国の侯爵令嬢という立場では、王宮内に住むことは難しいと考えます。とりあえず、我が家にご滞在いただくのがよいでしょう」
「そ、そうだな。卿の屋敷であれば、影に加え、黒獣猟兵団も警備に当たっているから安心だ」
話を終えた後、イリスと二人だけになったところで、王子と皇女の話を切り出した。
「ジークフリート殿下がエルミラ殿下を娶ることが最善だと思うが、君はどう考える?」
「私もそう思うわ。エルミラ殿下がジークフリート殿下を慕っていることはすぐに分かったし、外戚がいないことも理想的ね。今の王国だと、王妃候補はクラース侯爵家の令嬢くらいしかいないわ。今の当主に外戚として権力が振るえるとは思えないけど、将来どうなるかは分からないから」
王妃は侯爵家か外国の皇家もしくは王家から選ばれることが慣例となっている。宰相であるレベンスブルク侯爵家は当主であるマルクスの孫が候補となるが、まだ五歳にもなっていない。西部の雄、ケッセルシュラガー侯爵にも娘はいるが、同じくらいの歳だ。
メンゲヴァイン侯爵家にも十代半ばの令嬢がいるが、相続で混乱した状態では候補にすらならない。
そうなると、クラース侯爵家の十代後半の令嬢が唯一の国内候補となるが、無能なフゼイフ・フォン・クラース侯爵はともかく、マルクトホーフェン侯爵派だったクラース家から王妃を出すことは避けたい。
「慣例を無視して伯爵家から選んでもいいんだけど、対帝国戦略を考えるなら、エルミラ殿下が最適だろう。もっとも積極的に利用する気は今のところないけどね」
「そうなの? 私はてっきり謀略に最適だから勧めていると思っていたわ」
「今はモーリス商会がやっている経済支配の方が有効だと思っている。このタイミングで市民が暴動を起こせば、旧皇国領への投資が中途半端に終わってしまう。あれはもう少し上手くいってから、帝国の官僚のミスで失敗させるべきだ。そうすれば、皇帝もペテルセン元帥も再投資するだろうから、更に多くの借金を重ねてくれるだろうから」
ダニエル・モーリスは皇帝を唆し、旧皇国領のリヒトロット市とグリューン河流域で酒造への大規模な投資を行わせている。
それに加え、私の方でも旧皇国領のリヒトロット市周辺を管轄する中部総督府の役人に対し、情報操作を行い、ダニエルの計画を妨害した。
その結果、計画は一年以上遅れ、更に追加の投資まで行わせた。
その資金はモーリス商会からの借金だ。
モーリス商会は既に百億帝国マルク、基幹通貨である組合マルクで五十億マルク、日本円で約五千億円に相当する融資を行っており、年に五億マルクほどの金利を得ている。
その資金を使って、帝国内の金属資源や穀物などを買い漁り、我が国やシュッツェハーゲン王国、グランツフート共和国に売り、帝国の富を流出させていた。
皇帝マクシミリアンも危機感を抱いているようだが、帝都の経済状況がよいことと、食糧不足などの危機的な状況に陥っていないことから、積極的な手は打っていない。
「そうね。ダニエルの計画を考えると、タイミングとしては再来年くらいかしら。その辺りでお二人の結婚を公表して旧皇国領で混乱を起こさせる。そんな感じ?」
「できればもう少し前がいいね」
「どうしてかしら? あまり早すぎると、暴動が起きた段階で手を引く可能性があるわよ」
「帝国南部から大陸公路に抜ける道の建設が来年の半ばくらいに終わる。そうなると、シュッツェハーゲン王国が危ないから、そこまで放置できない。我が国に目を向けさせるためにも早めに婚約を発表したいところだね」
これまで帝国南部にはベーゼシュトック山地があり、険しい山岳地帯と荒野が広がっているため、農村すらなく、街道と言えるものはなかった。そのため、帝国の南部にあるシュッツェハーゲン王国に千を超える軍隊が向かうことはできなかった。
しかし、皇帝はベーゼシュトック山地に街道を作るため、一個師団一万の兵を投入した。当初はゲリラ戦を仕掛けて妨害しようとしたが、一万の兵に対抗できるはずもなく、街道は着々と作られている。
念のため、シュッツェハーゲン王国に防衛拠点を整備するように提案しているが、城を築くには時間がなさすぎるため、帝国の目を我が国に向けさせつつ、旧皇国軍のゲリラ作戦を活発化させる必要があった。
「確かに危険ね。だとすると、来年早々、聖都から戻ったくらいに婚約を発表するくらいがベストということかしら?」
私は彼女の言葉に大きく頷いた。
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