第十九話「赤狼騎士団長、軍師に操られる:前編」
統一暦一二一五年八月二十日。
レヒト法国北部北方教会領都クライスボルン、大聖堂内。マルク・ニヒェルマン総主教
神狼騎士団が領都に帰還した。
それ以前に入ってきた情報により、将来どころか、命すら危ぶまれる状況だと私は理解している。
(まさか、あのマルシャルクがここまでの敗北を喫するとは思わなかった……)
すべての躓きは東方教会領軍と西方教会領軍が僅か一日ももたずに壊滅したことだ。六万五千の兵力ならケンプフェルトが率いる共和国の精鋭が相手でも勝利は堅く、万が一負けることがあったとしても、半月は時間を稼げると考えていたのだ。
(ラウシェンバッハがすべての元凶だな。ケンプフェルトが相手なら我々の想定を大きく超えるようなことはない。帝国軍が手玉に取られたことをもう少し重要視するべきだった……)
後悔するものの、今は未来を考えるべきだとその思いを振り払う。
まだ正確な情報は入っていないが、青狼騎士団長のゲラートが森に火を放ち、更にマルシャルクがその事実を使って王国軍を脅したらしい。
それに対し、大賢者と鷲獅子が激怒し、四聖獣すべてが聖都に集まり、我が国を糾弾することになったと報告を受けている。
私も責任者として呼び出されるだろう。
(神狼騎士団が禁忌を冒し、四聖獣様の怒りを買ったことは間違いない。当然、最高責任者である私に非難が集中する。最悪の場合、生贄にされることも考えておいた方がいいだろうな……)
そんなことを考えていると、赤狼騎士団長のオトフリート・マイズナーが私の執務室を訪れた。
「今回の大敗北、また、マルシャルク殿の暴走を止められなかったこと、将の一人として謝罪します」
部屋に入るなり謝罪し、大きく頭を下げる。
この単純な男にマルシャルクを御し得たとは思えないが、このタイミングでわざわざ謝罪に来たことに違和感を持つ。
「確かに不手際ではある。だが、今はそのようなことを話している暇はない」
「その点につきましては私も同感です。ですので、今後について協議したいと考えますが、いかがでしょうか?」
野心家ではあるが、この難題に対応できるほどの知恵があるとは思えず、思わず右の眉を上げてしまう。
「まずは人払いをお願いします」
マイズナーは私の疑問に気づかないのか、話を進めていく。
違和感を持つが、マルシャルクから何か策を授けられている可能性を考え、人払いを命じた。
二人だけになると、マイズナーは自信ありげな表情で話し始めた。
「マルシャルク殿は失敗しました。ですが、まだ我々には挽回することが可能です」
「何を言っているのだ? 確かにマルシャルク個人の失態だが、神狼騎士団は北方教会領に属しているのだ。まして四聖獣様がお怒りになっておられる。我が国が滅ぼされぬよう、北方教会が責任を取らざるを得ぬ」
「その通りでございますが、鷲獅子様も大賢者様も国として今後どうするかを説明せよとおっしゃっておられました。我らだけを処分し、それで終わりという説明は認められないでしょう」
「確かにそうだが……」
「そこで提案がございます……」
マイズナーは自信満々に話し始める。
そのことに違和感が更に強くなった。
■■■
統一暦一二一五年八月二十日。
レヒト法国北部北方教会領都クライスボルン、大聖堂内。オトフリート・マイズナー赤狼騎士団長
領都クライスボルンに戻ると、すぐにニヒェルマン総主教に面会を申し込んだ。
マルシャルクを高く評価していた総主教とそりが合うとは言えないが、ここで上手くやらないと、出世どころか命が危うい。
それでも俺には自信があった。
ラウシェンバッハが送り込んだ間者、ドマルタン子爵が俺に協力してくれたからだ。
『マティアス様のご指示通りにすれば、マイズナー殿とニヒェルマン総主教にも大いなるメリットがある。そのために私が残ったのだ……』
ドマルタンは国境を越えても同行し、細かな指示を出してくれた。細か過ぎて覚えるのが大変だったが、繰り返し教えてくれたから、今は自信をもって話ができる。
そんなことを思い出しながら、総主教に提案を行う。
「今回の失態に対しての北方教会として対応についてです。謝罪と反省は必要ですが、鷲獅子様、大賢者様は再発防止策を強く求められております。それも実効性が高く、かつ長期間にわたって有効な策を提示する必要があるのです」
ニヒェルマン総主教もそのことは理解しているのか、頷くだけで先を促してきた。
「まず教団として、教義に禁忌に関わることが悪であると明記します。その禁忌ですが、森に火を放つことだけでなく、大規模な魔導の使用など、魔素溜まりが活性化するようなことは全面的に禁じ、更にそれを行った者は背教者としてきつく罰すると明記します。また、異教徒、すなわち他国に対しては強い非難を行い、戦争も辞さないとします」
「うむ」
総主教もこの辺りまでは考えていたのか、小さく頷いた。
「それだけでは十分ではありません。マルシャルクがやったような脅しに使うことなど、禁忌を利用することも全面的に禁じ、行った者は直接関わった者と同等の扱いとします。そして、そのことをすべての信徒に周知するとともに、年に一度、神の降臨祭において、再周知を行うと約束するのです」
降臨祭は神が降臨した日を祝うトゥテラリィ教における重要な祝祭だ。毎年、十月の満月の日に行われるため、収穫祭という位置づけもあり、小さな農村でも行われている。
「思ったより具体的だな」
「はい。グライフトゥルム王国のジークフリート王子がグライフ様に説明した際、具体的ではないと指摘されました。ですので、抽象的ではなく、誰もが分かるような具体的な案が必要なのです」
俺はあの時気絶しており、その後も記憶があいまいで、本当に指摘されたことかは分からない。だが、ドマルタンがそう言っていたので間違いないはずだ。
「ですが、これだけでは弱いと考えます」
「教義に厳罰に処すことを明記し、年に一度、民に周知するとしているのだ。十分ではないか?」
「いえ、この程度ではお怒りになっておられる四聖獣様にご納得いただけないでしょう。ですので、各教会に四百年前のヴァルケローンでの悲劇を描いた壁画を設置し、常に忘れぬようにするとするのです」
「壁画か……なかなか大変そうだが、確かに効果的だ」
教会は信仰の場だが、結婚式や葬式、更には顔役たちの会合に使われるなど、集会所としての役割もある。また、真面目な司祭がいる教会では、学校として子供たちが学ぶ場所にもなっている。
「それだけではありません。更に我が国の最高指導者である法王聖下に責任を取っていただきます。此度のことは教団としての失態。それに対し、法王聖下が一命を賭して四聖獣様に謝罪し、信徒たちに累が及ばないようにするのです」
「ま、待て! 貴様は聖下を犠牲にせよと言うのか!」
総主教は驚きのあまり声を高くした。
「恐らくですが、聖下に具体的な策は考えられぬでしょう。何と言っても私のように直接鷲獅子様の怒りを身に受けたわけではありませんので」
「そうかもしれぬが、もし認められたとしても、総主教として私や貴様にも死を賜ることになるかもしれんのだぞ! その覚悟があるというのか?」
総主教の言いたいことは分かる。実際、俺にもそんな覚悟はないからだ。
「もちろんございます。ですが、グライフ様や大賢者様は責任者の死を望んでおられません。もしそうであるなら、マルシャルク殿はあの場で誅殺されていたはずですから」
「それは分からぬでもないが……」
「グライフ様は正義を象徴されるお方。我らが二度とこのような失態を冒さぬように全力を尽くすと分かっていただければ、死を賜るようなことはないでしょう」
この点については、あまり自信がない。
しかし、ラウシェンバッハがそう断言したとドマルタンが言っていたので、それを信じているだけだ。
「これは貴様が考えたことではあるまい。誰の考えだ?」
「やはり気づかれましたか」
俺はそう言うと、ニヤリと笑った。
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