第十三話「侯爵嫡男、父を捕らえる」
統一暦一二一五年八月七日。
グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン。ヨアヒム・フォン・マルクトホーフェン
父ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵と側近のエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵は、麾下の兵が次々と投降していく様子を見て、呆然と立ち尽くしている。
父の周囲にはまだ三十名ほどの側近と直属の護衛が残っているが、その半数以上が迷っているのか、落ち着きなくキョロキョロと周囲を見回していた。
「ミヒャエルに忠義を尽くしても意味はないわよ! この状況を変えられるだけの力はないのだから! それともミヒャエルと一緒に死にたいのかしら? 忠義を尽くすほど、よい主君だったとは思えないのだけど?」
ジークフリート殿下の名代、イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人がそう叫ぶと、護衛たちがゆっくりと左右に散っていく。
そして、ある程度離れたところで、武器を捨てて投降してきた。
残っているのはヴィージンガー含め、十人程度の側近だけだ。
「約束が違う! 領都までの安全を約束したはずだ!」
ヴィージンガーが訴えてくるが、イリス卿がそれを一蹴する。
「このまま領都に入っても、すぐには命の危険はないわ。そうでしょ、ヨアヒム卿?」
私は慌てて頷く。
「は、はい! 王都に送り、裁判を受けてもらわねばなりませんから、ここで命を取るようなことはいたしません!」
その言葉にヴィージンガーは言葉を失っている。
詭弁といえば詭弁なのだが、反論できるほどの語彙力がないのだろう。
「そろそろ終わらせましょう。サンドラ、侯爵たちを捕らえてきて。できるだけ傷つけないようにね」
護衛である虎獣人にイリス卿は命じた。
「はっ! 二班と三班は侯爵たちを拘束せよ! 行け!」
彼女の命令で二十名ほどの獣人族の女性兵士が駆けだす。
父と側近たちもその動きに気づくが、剣を抜く前に接近され、首筋に剣を突きつけられてしまい、身動きが取れなくなった。
あまりにあっけの無い幕切れに、言葉を失っている。
「見事よ、サンドラ。あとであの子たちに直接言葉を掛けるから、集めておいてちょうだい」
「ありがとうございます」
二人の会話をぼんやりと聞いていると、イリス卿が私に顔を向けた。
「ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェンとその側近たちはあなたに預けます。確実に王都に連行しなさい。これは第三王子ジークフリート殿下の名代である私からの命令です」
私は慌てて片膝を突き、表情を引き締めた。
「承りました。私自らが前侯爵らを王都に連行いたします」
「よろしく頼むわ。それとクライネルト隊にいた兵士についても対応をお願いするわ。自ら出頭すれば、減刑もあり得るけど、逃げたり隠れたりした場合は、重罪人として一族すべてを捕らえ、処刑します。その旨を領地内に周知しなさい」
「承知しました!」
「その際、千里眼のマティアスの目を逃れる自信があるなら逃げてもいいと伝えてもいいわよ。フフフ……」
そう言っていたずらっ子のように微笑んでいる。
その言葉に反応することなどできない。あまりの手際の良さに頭を下げ続けることしかできなかったからだ。
「はっ! そ、そのように領地内に周知いたします」
「私はノルトハウゼン伯爵たちに会ってくるわ。後始末は事前に連絡している通りに頼むわね」
「はっ!」
もう一度深く頭を下げる。
侯爵家の嫡男が子爵夫人に採る態度ではないが、現状を考えると仕方がない。いや、それ以前に人としての格の違いを見せつけられ、反発する気など起きなかった。
イリス卿は護衛と共に西に向かった。
それを見送ると、父に話し掛ける。
「父上、あなたはやってはいけないことをやってしまった。あなたのせいで我が家は破滅したのです。いや、まだマティアス卿の恩情に縋れば、家を残すことはできるかもしれませんが」
父は私の言葉を聞き、激怒する。
「何を言っている! お前が奴の策略に乗らねば、まだ逆転の目はあったのだ!」
叫ぶ父を見て、怒りより哀れみを感じた。
「まだ分からないのですか? マティアス卿を敵に回した時点で、あなたの破滅は決まっていたんですよ」
「な、なに……」
父は目を見開いて絶句している。
「マティアス卿はヴィージンガーの策を看破し、六月に入る前にノルトハウゼン領とグリュンタール領に精鋭を送り込みました。そして、暴れ回る傭兵たちをあっという間に壊滅させたのです。更に両伯爵に対し、無防備な我が領を占領するよう依頼したそうです」
「六月に入る前に失敗していただと……」
「はい。そして、ノルトハウゼン騎士団は六月半ばにここに到着し、無条件での降伏を要求してきました。ここには五百にも満たぬ兵しか残っていなかったのです。受け入れるしかありませんでした……」
領都には治安維持のために五百名弱の兵力が残されていた。しかし、その兵は第一線を引いた者たちにすぎず、三千の精鋭を擁するノルトハウゼン騎士団に抵抗する気など全く起きなかった。
「一戦も交えず降伏したというのか!」
「はい。私も敵わぬまでも抵抗すべきか迷いました。しかし、アイスナーが助言してくれたのです。素直に降伏し、マティアス卿の要求に従えば、家は残せると」
「アイスナーだと! あの無能者の言うことを聞いたのか!」
父は領都の屋敷で家令をしているクラウディオ・フォン・アイスナー男爵だと思ったようだ。クラウディオは実直で信頼できる家臣だが、父は自分の野心のために使えないとして、無能だと考えている。
「現当主ではなく、先代のコルネールです。お爺さまが重用した理由がよく分かりましたよ。ヴィージンガーと違い、具体的にどうすればよいか、分かりやすく説明してくれましたので」
祖父の腹心だったコルネール・フォン・アイスナーは父に疎まれ、クラウディオに家督を譲ると、領地に篭っていた。そのため、ほとんど会ったことはなかったが、マルクトホーフェン家を残すために助言してくれたのだ。
「なぜアイスナーが……」
「ラウシェンバッハ子爵から連絡があったそうです。このままではマルクトホーフェン家は完全に取り潰さなければならないが、王家に恭順の意を表し、逃げてきた父上を捕らえれば、家名を残すことは可能だと」
「奴の口車に乗ったのか! アイスナーも使えぬ!」
怒鳴り散らしている父を見て、まだ分からないのかと溜息が出る。
「コルネールはお爺さまの恩に報いたいと言っていました。このままマルクトホーフェン家が滅亡するのを黙って見ていることはできないと……」
ラウシェンバッハ子爵はかつての敵、コルネールが父に強い不満を持っていること、そして祖父に忠義を尽くしていたことを巧みに利用した。
「それに三千の精鋭に対して老兵が五百しかいなかったのですよ。この広い領都を守り切れるはずがありません。それとも父上なら守り切れたとおっしゃるのですか?」
「……」
父も無理だと分かっているようだ。
「ノルトハウゼン騎士団が領都を占領した後、グリュンタール騎士団も合流しました。あとは帰還してくる我が家の兵たちを捕らえ、武装を解除するだけです。王都から逃げてきた軍はまとまっていませんから、多くても千人ほどでした。五千の精鋭の姿を見て、素直に武器を捨ててくれましたよ。まあ、それ以前に王家に逆らわなければ、平穏な暮らしを約束するとラウシェンバッハ子爵に言われていたようで、戦意はほとんどありませんでしたが」
兵士たちはラウシェンバッハ子爵の軍の強さを見て敵わないと考えていた。そのため、ほとんど抵抗していない。
また、領主は捕らえたが、兵は故郷に帰還させている。これも子爵の指示で、兵士たちはそのことに喜び、混乱は全く起きなかった。
「最初から彼の手の平の上で踊らされていたのですよ、父上たちは」
「……」
父は悔しそうに唇を噛んでいる。
「家名は残してもらえるようですが、降爵は間違いありません。伯爵であればまだよいですが、子爵になるのではないかと思っています。領地もほとんどが召し上げられるでしょう」
「何だと……」
「まだ我が家はよい方なのです。寄子や家臣たちのほとんどが取り潰されるか、降爵の上、領地は没収されるそうです。領主とはいえ、父上に盲目的に従い、自ら考えなかった報いでしょうが、哀れなものです」
当家には伯爵家以下の寄子の貴族が多数いるが、そのほとんどが取り潰されると聞いている。騎士爵もほとんどが平民に落とされ、能力のある者だけが再叙任されるらしい。
「貴様は悔しくないのか! それでも五大侯爵家の筆頭マルクトホーフェン家の跡継ぎか!」
「悔しくないと言えば、嘘になりますね」
「ならば、この状況を……」
父は私の言葉に希望を持ったようで表情が明るくなった。
しかし、私はそれを打ち砕く。
「ですが、父上の思っている悔しさとは違います」
「何が言いたい?」
「マルクトホーフェン侯爵家の当主として、王国の繁栄のために力を尽くしたいと考えていたのです。我が家の力なら王国のためにいろいろとできたでしょうから。その力を失ったことが悔しいのです。それに今のマルクトホーフェン家は誰からも信用されないでしょう。今後、王国のために働きたいと思っても、その機会は巡ってきません。そのことも悔しいと言えるでしょうね」
正直な思いだ。
王立学院に入るために王都に行ったが、自らの野心にしか興味がない父を目の当たりにし、これでは駄目だと思った。
だから、父に意見が言えるくらいに知識を付け、いつか父の目を覚ましたいと思っていたのだ。
「きれいごとを……無能なお前にそんなことができるはずがない」
父は私のことをいつも蔑んでいた。
確かに私は考え過ぎるところがあり、行動に起こすのが遅い。父はそのことが気に入らず、事あるごとに私を叱責していた。
「確かにきれいごとかもしれませんね。ですが、家を潰すよりマシです」
それだけ言うと、私はそれ以上父と話をすることなく、部下に命じた。
「父ミヒャエルとヴィージンガーらはノルトハウゼン騎士団が到着次第、王都に向けて移送する。それまで監視を怠るな。ここで不手際があれば、取り潰しだけでは済まなくなる。最悪の場合、一族すべてが処刑されるのだ。そのことを肝に銘じておけ!」
ノルトハウゼン伯爵からは父を捕縛した後、王都に向かうことが告げられていた。
(ここまで読み切る千里眼とはどのような人物なのだろうか?)
私はそんなことを考えながら、連行される父たちを見送っていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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