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第十二話「イリス、マルクトホーフェンに到着する」

 統一暦一二一五年八月七日。

 グライフトゥルム王国中部マルクトホーフェン侯爵領、領都マルクトホーフェン近郊。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人


 王都を出発して八日目の朝。マルクトホーフェン侯爵領の領都マルクトホーフェンまであと十キロメートルほどのところにいる。


 王都からここまではだいたい百四十キロメートル、一日当たり二十キロメートルということで、真夏という悪条件を考えれば、取り立てて遅いわけじゃない。でも、ここ数ヶ月、ラウシェンバッハ子爵領軍と行動を共にしていたから、とても遅いと感じている。


 それでもトラブルらしいトラブルを起こさなかったことだけは評価できる。

 但し、侯爵と腹心のエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵は毎日舞い込む問題を解決するために、へとへとになっていたけど。


 もっとも、夫が街道沿いの町や村で問題が起きないように手配していたから、彼らでも対応できただけだ。

 それがなければ、あと二日くらいは掛かったと思う。


「今日は領都に入る。城門まで一緒に来てもらうぞ」


 ヴィージンガーが居丈高に命じてきた。

 私がジークフリート王子の名代だと忘れているようだ。いや、記憶力だけはいいから、無視しているんだろう。


「もちろん分かっているわ。侯爵が領都に入ったら、私たちは引き返すけど。だから、いつもよりキビキビ行軍させてほしいわ。こんなノロノロした行軍は久しぶりだからイライラしているのよ」


 一応嫌味を言っておく。


「分かっている」


 吐き捨てるようにそう言うと、侯爵のところに戻っていった。


 兵士たちも領都が近いと知っており、いつもより早い午前九時前に出発する。

 出発前、護衛であるサンドラ・ティーガーら(シュヴァルツェ)(ベスティエン)猟兵団(イエーガートルッペ)の団員たちに指示を出す。


「今日はいつも以上に警戒を強め、いつでも動けるように気持ちを引き締めておきなさい」


 彼女たちも何が起きるか知っているため、真剣な表情で頷く。


 出発すると、真夏ということですぐに汗が噴き出す。

 一度休憩を挟み、正午前に領都の城壁が見えてきた。


 城門の左右には、数千の兵士が整列して待っている。

 その最前列に十代半ばくらいの平服姿の少年が立っていた。


「ヨアヒムが出迎えてくれるようだな。なかなか分かっているではないか」


 侯爵は満足そうに大声で叫んでいる。嫡男のヨアヒムが私への威嚇のために兵を並ばせたと思っているようだ。


(どうやら上手くいったようね……)


 マティが考えた策が上手くいったことに安堵するが、表情には出さない。


 城門の前で侯爵軍が停止した。


「出迎え、ご苦労! ヨアヒムよ、なかなか気が利くではないか」


 上機嫌の侯爵に対し、ヨアヒムは表情を崩さない。彼は線の細い少年だが表情は硬く、悲壮感が漂っている。


「どうしたのだ?」


 侯爵も何かがおかしいと気づいたようだ。


「父上、兵たちに武装を解除することと、抵抗しないように命じてください」


「どういうことだ!」


 侯爵が怒りをぶちまけるが、侯爵軍の兵たちは困惑の表情を浮かべている。


「父上は私に家督を譲り、その上で王都に出頭していただきます。そうしなければ、我がマルクトホーフェン家は取り潰され、父上だけでなく、一族すべてが処刑されることになるからです」


 声は震えているが、しっかりと言い切った。


(何の取り柄もない少年という噂だったけど、胆力はあるわね)


 マルクトホーフェン侯爵家の嫡男ということで、彼の情報は探っていたが、十五歳まで領都にいたことと、今年に入って王立学院に入ったものの、すぐに領都に戻ったことからほとんど得られていなかった。

 しかし、侯爵にはっきりと告げたことで思った以上に有能ではないかと思い始めている。


「何を言っている! 我が領の軍を集結させれば、王家ですら容易には手が出せぬのだ! 誰に吹き込まれたかは知らんが、今すぐ道を開けろ!」


 侯爵はそう言いながら私の方を見た。


「謀ったな! ラウシェンバッハの策であろう!」


「約束は守っていますわ。ヨアヒム卿、三十キロ以内に敵対勢力となり得る兵はいないはずですが、間違いありませんか?」


「間違いありません。ここにいる兵は我が家に属する家の者たちです。そして、父を拘束することは私自身が決めたことです」


「あり得ぬ! ラウシェンバッハに唆されたのであろう! エルンスト! その女を捕らえよ!」


 侯爵は逆上し、強硬手段に出てきた。


「サンドラ! 行くわよ!」


 そう叫ぶと、馬を駆けさせる。

 サンドラたち護衛も身体強化を使って、一気に加速する。


「ま、待て! 弓兵! あの者たちを逃がすな!」


 ヴィージンガーが叫んでいるが、侯爵軍の隊列は長く、最前列のすぐ後ろにいた私たちに攻撃しようがない。


 ヨアヒムたちがいるところまでは、僅か三十メートルほどしか離れておらず、すぐに彼らの軍の中に入る。


「その女を捕らえよ! そいつはラウシェンバッハの妻だ! 人質に使えるのだ! 今ならまだ許してやる! すぐにそいつを捕らえよ!」


 侯爵は力いっぱい叫んでいるが、ヨアヒムは動じた様子もなく、動かない。


「これ以上は無駄な抵抗です」


「何を言っている!」


「父上はご存じないかもしれませんが、領都は一度ノルトハウゼン伯爵らに占領されているのです。今は約定通り、ノルトハウゼン騎士団とグリュンタール騎士団は西に三十キロの場所に待機していますが、主だった家の当主はすべて捕らえられており、ここにいる兵士は伯爵たちに逆らえないのです。諦めてください」


 その言葉に侯爵は愕然とし、言葉を失っている。


「ヨアヒム卿、騎士団の兵士に投降するように命じてください。恐らく、あなたの命令を聞くはずです」


「分かりました……」


 そう言うと、用意してあった拡声の魔導具のマイクを握る。


「マルクトホーフェン騎士団の者たちよ! 私はヨアヒム・フォン・マルクトホーフェンだ! 既に領都は一度ノルトハウゼン騎士団とグリュンタール騎士団に占領されている。 両騎士団は三十キロ西に待機しているが、我々が恭順の意思を見せなければ、攻撃すると言っている。これ以上、抵抗しても無駄だ! ここで両騎士団に勝てたとしてもラウシェンバッハ軍が来るのだ! 諸君らも彼らに勝てると思ってはいまい! すぐに武器を捨て、こちらにゆっくり進め!」


 予め言うべきことを伝えてあったが、なかなか堂々としている。強権的な父に怯えていたが、吹っ切れたという感じなのだろう。


 侯爵軍の兵士たちはキョロキョロと周りを見るだけで動きがない。

 それを見たヨアヒムが更に脅しをかける。


「父の下に留まるのであれば、王国への反逆者として処刑される! それだけじゃない! 反逆者は族滅にあうのだ! 家族の命が惜しいと思うなら、すぐに武器を捨て、こちらに来い!」


 その言葉でほとんどの兵士が武器を捨て、両手を上げてこちらに進んでくる。


「何をしている! そのような脅しに乗るな! ヨアヒムは廃嫡する! 奴の命令に従う者は反逆者として処刑する! 騎士たちよ! 兵を止めよ!」


 侯爵が叫ぶが、兵士だけでなく、指揮官である騎士たちも武器を捨てて、投降し始めた。


(当然ね。無為に一ヶ月半も篭城していただけの侯爵に付いていこうと思う者はいないわ。まして、マティが手配した精鋭ノルトハウゼン騎士団とグリュンタール騎士団が近くにいるのだから、抵抗するだけ無駄と思うはず……)


 一度投降の流れができると、三千の兵のほとんどが雪崩を打ったようにこちらに向ってくる。


「貴様ら主君に逆らうのか! エルンスト、何をしている! 兵たちを止めよ!」


 ヴィージンガーはこの状況に対応できず呆然としていたが、侯爵に一喝され、兵を止めようと叫び始めた。


「ラウシェンバッハの謀略だ! そんなものに乗っても後で酷い目に遭うだけだぞ! 今すぐ戻れ!」


 ヨアヒムから拡声の魔導具のマイクを借り、止めを刺す。


「今までマルクトホーフェン侯爵家に仕えてよいことがあったかしら? これから王国は変わるわ! 税は安くなるし、兵役の義務もなくなるの! 私、イリス・フォン・ラウシェンバッハが保証するわ!」


 私が保証すると言ったことで、侯爵やヴィージンガーの言葉に耳を貸す者はいなくなった。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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― 新着の感想 ―
自浄作用で良かった。 とりあえず家名は残りそうですね。 ただ、混乱しかないので改名するかもですわ。
初登場のヨアヒムくんがマトモでよかった。 敵対したとは言え、マルクトホーフェン程の大貴族は潰すと逆に厄介だからな。
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