第八話「軍師、休養する」
統一暦一二一五年七月三十一日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮前。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
マルクトホーフェン侯爵軍が王都を去った。
妻のイリスのことが多少心配だが、侯爵が暴走したとしても、彼女に付けた護衛の能力を考えれば、無事に帰還できると確信している。
侯爵は二番街で千人の市民の命を奪ったクライネルト隊について、指揮官だけでなく兵士まで捕らえて引き渡してきた。
その数は二百名ほどで、抵抗したのか傷を負ったものが多い。
「指揮官だけでよいと条件を付けたのだが、なぜ侯爵は兵士まで引き渡してきたのだろうか?」
ジークフリート王子が聞いてきた。
その話を聞いた時、私も疑問に思ったが、少し考えたら何となく理由を思いついた。
「恐らくですが、付け入る隙を与えたくなかったからでしょう。犯罪者の取り締まりを理由に、侯爵領に王国騎士団を差し向けることを嫌ったのではないかと」
「なるほど」
王子が納得するが、私は首を横に振った。
「意味はありませんよ」
「どういうことだろうか?」
再び王子が疑問を持つ。
「クライネルト隊は約千名いたそうです。南門の戦いで百名程度が戦死していますが、まだ九百名はいるはずです。そのうちの二百名を引き渡されても、残りの兵を捜索するという理由で騎士団を派遣することができるのですから、意味はありません」
クライネルト隊は南門での防衛戦に失敗した後、散り散りになって逃げた。その一部は侯爵の下に向かったが、その多くは貴族軍に紛れて王都を脱出している。
撤退時に市民から攻撃を受けたことから分かるように、多くの恨みを買っているため、王都に残って捕らえられるより、どさくさに紛れて逃げた方がマシだと考えたらしい。
「確かにその通りだ。そうなると、侯爵は無駄な努力をしたということか」
「ええ。ですが、私にとっては助かります。子爵と指揮官クラスを公開処刑にするだけで市民が納得しない可能性がありますから、犯罪に関わった者を追う姿勢は見せる必要がありました。二百名の兵士がいれば、残りの兵士の身元を調べることは容易ですし、マルクトホーフェン侯爵領を接収する際に、犯罪には厳しく当たる姿勢を見せつけることができますので」
司法取引でもないが、兵士たちに協力した者は減刑すると伝え、自分と同じ部隊にいた者の名と出身地を上げさせる。
指揮官だけでは完全なリスト化は難しいと思っていたが、二百名もいるならすべての兵士を割り出せるから、完全なリストを作ることができる。
そのリストがあれば、侯爵から領地を取り上げた際に、虐殺に関わった兵士を捕縛することが可能だ。
そうすることで、新政権は罪には罰を必ず与えるという姿勢を打ち出すことができる。
「侯爵についてはイリスに任せ、我々は王都が安全になったと市民に伝えましょう」
五月の半ばに国王が戦死したという情報が入り、その後、王都の経済活動は大きく低下している。その状態が二ヶ月半ほど続いているので、一刻も早く正常化しなければ、大きな爪痕を残しかねない。
王都の主要な場所でジークフリート王子と私が、法国軍撃退とマルクトホーフェン侯爵軍放逐を伝えていく。
『レヒト法国軍は既に我が国から撤退し、ヴェストエッケも取り戻しているはずだ。また、王宮に篭っていたマルクトホーフェン侯爵も王都を去った。もちろん、このままでは済まさない! 既に千里眼のマティアス卿が手を打っており、八月中にマルクトホーフェン侯爵の命運は尽きる! 市民諸君には迷惑を掛けたが、以前の生活に可能な限り早く戻すつもりだ。諸君らも我々と同様に以前の生活に戻るよう努めてもらいたい! 王家も可能な限り支援する』
王子の後に私がマイクを握る。
『ジークフリート殿下がおっしゃられた通り、我が国の危機は去りました。また、マルクトホーフェン侯爵が行った種々の改悪については、早急に改善することをお約束します。今後、商人組合に対し、王都及び周辺地域への投資を呼びかけるつもりです。皆さんの生活が確実に改善されることをお約束します』
命の危険が去った今、将来への不安を取り除くことが重要だと考え、未来が明るいと伝えた。
「ジークフリート殿下、万歳!」
「マティアス様、万歳!」
民衆から歓喜の声が上がる。
王都内を回り終えると、既に空が赤く染まり始めていた。
「これで何とかなりそうだな。フリードリッヒ兄上が戻られるまで三日ほどある。その間、卿にはゆっくり休んでもらいたい」
フリードリッヒ王太子には既に王宮解放が伝えられており、船を使って王都に戻ってくる予定だ。
「休んでいる暇はありませんよ。今の状況を直ちに正さなければ、政治の停滞を招くことになりますから」
やるべきことは山積している。
王国軍の再編はラザファムたちが戻ってからでもいいが、宰相ら重要閣僚が不在の状態になっているため、少なくとも統治機構の回復は急務だ。
「いや、それでも三日間は休んでもらう。これは命令だ」
珍しく王子が厳しい表情で命じてきた。
「しかし……」
王子は私の言葉を遮った。
「行政の停滞は今まで続いていたのだ。それが三日延びたところで大きな混乱は起きない。卿が今倒れたら我が国は立ち行かなくなるだけでなく、帝国に対する隙になりかねない。この三日間、私は周辺の町や村を回り、民心を安らかにすることに努める。その間、卿はしっかり休んでほしい」
疲れが溜まっていることは事実だし、王子が言う通り、三日程度の遅れはいくらでも取り返せる。
「分かりました。屋敷で静養させていただきます。ですが、何かあれば、すぐに連絡をください。頭を使うだけなら、寝台に横になっていてもできるのですから」
「分かった」
王子は力強く頷くと、私の護衛である二人の影、カルラとユーダに視線を向けた。その表情は真剣そのもので、二人はその場で片膝を突く。
「マティアス卿のことは君たちに任せる。必要なものがあれば、王家の名で用意させる。マティアス卿の健康は我が国にとって最重要事項だ。マティアス卿が遠慮しても構わず連絡してほしい」
「「はっ!」」
カルラとユーダは顔を上げると、真剣な表情で答えていた。
屋敷に戻り、夕食を摂ったが、緊張が解けたのか、その夜、私は久しぶりに熱を出した。
「マティアス君、だいぶ疲れているようだね」
気づくと、私の主治医でもあるマルティン・ネッツァー上級魔導師が寝台の横にいた。
カルラたちが呼んだらしい。
「無理が祟ったようです。まあ、これからは今回のように戦場に出ることはないでしょうから、ゆっくりと静養させていただきます」
「それがいいね」
そう言ったところで、ネッツァー氏は何かを思い出したのか、渋い顔になる。
「マグダ様から連絡があったのだが、神狼様と聖竜様は君の提案を受け入れたそうだ。鳳凰様は恐らく反対はしないから、すべての代行者が賛同することになる。マグダ様は年末頃に聖都に集めたいとおっしゃっていたが、君の身体が不安だ。延期を頼むこともできるが、どうする?」
既に大賢者が動いていたようだ。
「できるだけ早い時期の方がよいでしょう」
「しかし、大丈夫かね?」
「ここから聖都までは船での移動が半分程度を占めますし、日程に余裕を持たせておけば、今回ほど厳しくはありません。ですから、問題はないでしょう」
聖都レヒトシュテットまでは約千九百キロメートル。海路と河川を使うことができるため、片道一ヶ月ちょっとで済むはずだ。
「そうだね。このような重大なことはあまり先延ばししない方がいい。マグダ様にはそう伝えておくよ」
「よろしくお願いします」
そこでネッツァー氏は何かを思い出したようだ。
「そう言えば、帝都周辺であった海の魔獣の襲撃事件だが、原因が分かった」
「何が原因だったのでしょうか?」
「帝都に入ったマグダ様から聞いたのだが、君の提案が原因で聖竜様と鷲獅子様が激しく言い争ったそうだ。その際、聖竜様があげられた咆哮で、オストインゼル島付近にいた魔獣たちがパニックに陥り、逃げ出したそうだ。五日ほどで落ち着いたが、マグダ様は酷くお怒りだったよ。まあ、そのお陰で聖竜様は君の提案を認めたそうだけどね」
グレゴリウス王子が遭難した可能性がある魔獣の襲撃の遠因が私の提案だったことに驚く。
「そんなことがあったのですか……」
年末の会合が波乱含みだと知り、少し気が重くなった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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