第七話「侯爵、捲土重来を期し、領地に向かう」
統一暦一二一五年七月三十一日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮前。第三王子ジークフリート
マルクトホーフェン侯爵の腹心ヴィージンガー子爵との交渉を終えた。
「相変わらず考えが浅いわね、ヴィージンガーは」
イリス卿が呆れたような表情でマティアス卿に話している。
「要求を伝えてから会談までの時間が短かった割には、頑張った方じゃないかな。それに最初に感情を高ぶらせたのに、一応要求すべきことはきちんと伝えてきたのだから、彼にしては上出来だと思うよ」
マティアス卿はそう言いながらも笑っている。
私が見てもヴィージンガーの交渉者としての能力は低く、こちらの譲歩を全く引き出せていなかった。あまりに拙い交渉であったため、大丈夫なのかと少し不安になる。
「侯爵はあの条件を呑むだろうか」
「呑まざるを得ません。彼にとってこの状況を打破する唯一の手段は、領地に戻り、兵力を整えて力を誇示しつつ、こちらの譲歩を引き出すことだけですから」
マティアス卿が答えるとイリス卿も頷く。
「そうですわ。安全に領地に戻ることが今回の交渉の目的ですから、ヴィージンガーはその目的を達しています。ですから侯爵も不満はあるかもしれませんが、乗ってくるしかありません」
それからしばらくして、侯爵が条件を呑むと伝えてきた。
出発は午後で、王宮を出た後、貴族街の東門を通って平民街に入り、北門から出ていくというルートが示された。
これも予想通りであり、既に食糧などを積んだ荷馬車を北門に向かわせるよう、指示が出ている。
「では、私も準備してまいりますわ」
イリス卿はそう言うと、一礼してから立ち去った。その後ろには黒獣猟兵団の女性兵士が付き従っている。
「では、私たちもやることをやってしまいましょう」
「そうだな」
そう言った後、騎士団本部に向かった。
騎士団本部に入ると、マティアス卿はすぐに第三騎士団長シュタットフェルト伯爵に指示を出す。
「マルクトホーフェン侯爵たちが通るルートの住民に、外出しないように指示を出してください。特に平民街では強い反発が予想されるので、私の名を使い、イリスの安全のために自重してほしいと伝えていただきたいです」
侯爵たちは王都の北東にある平民街を通ることになる。その辺りは王立学院に近く、マティアス卿たちが“王都の三神童”と呼ばれていた時代からよく通っていたところだ。
住民たちも彼らのことをよく知っており、その政敵である侯爵たちに反発する者も多く、罵倒する声が出るのではないかと心配していた。
そのため、予め手を打っておくのだ。
「北方街道にも同様に侯爵軍が通過する予定を伝え、トラブルにならないように通達を出してください。彼らもいい感情は持っていないでしょうから、敗残兵だと侮り、罵声を浴びせかねません」
マルクトホーフェン侯爵軍が王都に入る際、北方街道の宿場町で強制的な食糧などの供出が行われている。当然対価は支払われておらず、侯爵軍に対する評判は最悪らしい。
一応住民に狼藉を働かないように釘を刺しているが、侯爵軍の指揮官が兵を御せるとは思えないための処置だ。
マティアス卿はこの他にもいろいろと指示を出していった。
■■■
統一暦一二一五年七月三十一日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
エルンストが戻り、条件を確認するが、特に不審なところはなかった。物資や移動手段の確保なども加えており、彼にしてはよくやった方だろう。
「よくやってくれた。すぐに兵たちに出発準備をさせよ。昼過ぎには王宮を出たいからな」
私の言葉にエルンストは頷くが、納得した様子がない。
「急がれる理由は何でしょうか?」
まだ分かっていないのかと怒鳴りたくなるが、それを堪えて説明する。
「ラウシェンバッハのことだ。時間を与えれば何をしてくるか分からん。既にこちらに対応する準備は終えているだろうが、我らが奴の想定以上に速く動けば、打てる手は減る。だから、領都にも早急に伝令を出せ。ヨアヒムに万全の態勢で出迎えるように準備をさせるのだ」
ヨアヒムは私の長男だ。
十六歳になったため王立学院の高等部に入学させたが、大人しい性格で大した才能もない。下の息子はまだ幼いため、一応嫡男として認めていた。
法国軍が動いたという知らせを受けて、領地に戻している。
「承りました。先に戻った者たちを招集させましょう。戦闘が起きたわけでもありませんから、二万は集まるはずです」
六月十八日にラウシェンバッハの軍が王都を攻めた際、配下の貴族軍は解散され、領地に戻されている。その数は二万五千ほどで、急ぎ集めたとしても二万は堅い。
「そうだな。それだけ集めておけば、ラウシェンバッハも安易には手を出せまい」
伝令を送り出した後、出発の準備を急がせる。
「王宮内で奪ったものはすべて置いていけ! 略奪行為をしたと分かれば、攻撃を受けるのだからな!」
兵たちの中には王宮内にある宝飾品などを奪っている者がいた。本来なら咎めるべきだが、士気が下がっている状況で強く叱責すれば、反乱を起こしかねず、渋々認めていたのだ。
「クライネルト隊に属していた者をすべて拘束せよ」
「兵士もですか? ラウシェンバッハは指揮官だけでよいと言っていましたが」
エルンストが首を傾げている。
「それは分かっている。だが、ここで付け入る隙を残せば、奴は必ず突いてくる」
「なるほど。理解しました」
エルンストは納得するが、その姿にやはり頼りないという思いが込み上げる。
クライネルト隊の将兵を拘束する際、抵抗する者が出たため時間が掛かった。しかし、早く帰国したい他の兵たちが積極的に協力したことから、十名ほどを斬り殺すことになったものの、一時間ほどで全員を捕縛する。
更に兵たちの荷物を検めるのにも時間が掛かったが、正午を過ぎた頃に出発することができた。
「これより出発するが、王国騎士団が攻撃してくる可能性はゼロではない! 油断するな!」
城門から見える範囲に王国騎士団もラウシェンバッハ騎士団もいないことは分かっているが、市街地で奇襲を掛けてくる可能性はゼロではない。
城門を出ると、騎乗したイリスが護衛の女性兵士と共に待っていた。
「ここから私が同行します。ですので、他の人質は不要ですわ」
念のため、比較的元気な若い侍従や文官を十名ほど引き連れていたのだ。
罠の可能性は否定できないが、ここで拒否すれば、私が怯えているように見えるため、鷹揚に頷く。
「よかろう。では、その者らは解放せよ」
兵士たちはすぐに侍従たちを解放した。
「クライネルト隊の者たちはどこにいるのでしょうか?」
「奴らだ」
そう言って、城門のすぐ近くに捕縛して放置してある二百名ほどの兵士を指差した。
「指揮官だけと言ってあったと思ったのですが、兵士も捕らえてくださったのですか?」
イリスは驚きの表情を浮かべている。
どうやら何らかの罠に使うという私の予想は当たっていたようだ。
「そうだ。我が軍にあのような不届き者は不要だ。好きに処分しろ」
「ありがとうございます。無駄な仕事が一つ減って助かりましたわ」
すぐに表情を戻し、頭を下げてきた。
さすがにラウシェンバッハの妻だけあり、腹芸も得意のようだ。
出発後、貴族街に入るが、人の姿は全くなかった。
無用なトラブルを避けるためにラウシェンバッハが人払いを命じたらしい。
(トラブルを避けるためか。この辺りはラウシェンバッハとエッフェンベルクの屋敷があったな。それを守るためかもしれんな)
そんなことを考えていたが、平民街に入っても人の姿は全くなかった。
その用意周到さに感心するとともに、このまま何ごともなく、領都に戻れるのか不安になった。
(これだけ用意周到な奴が何もしてこないはずがない。油断はできんぞ……)
そんなことを考えるが、何ごともなく北門に到着する。
そこには百名ほどの護衛を伴ったラウシェンバッハが待っていた。
「城門の外に荷馬車が用意してあります。そちらから御者を出していただき、引き取っていただきたい」
要求した食糧などがすでに用意してあった。その手際の良さに嫌な予感がするが、すぐに命令を出す。
「各隊から御者を出せ! すぐに出発するぞ!」
私の命令で各隊から人が走っていく。
ラウシェンバッハがいつもの笑みを浮かべていた。それが勝ち誇っているように見え、私は思わず叫ぶ。
「これで勝ったと思うな! この借りは必ず返す!」
私は自由を得た高揚感と共に領地に向けて馬を進めた。
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