第五話「侯爵、現実を受け入れる」
統一暦一二一五年七月三十一日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮内。ミヒャエル・フォン・マルクトホーフェン侯爵
王宮での篭城も一ヶ月半になろうとしている。
頼みの綱であったレヒト法国軍は姿を見せず、ラウシェンバッハの軍に敗北したか、我らを見捨てて帰国したかのいずれかだろうと、気分は大きく落ち込んでいた。
(私はなぜ失敗したのだ? どこで間違ったのか……)
レヒト法国のマルシャルクがいずれ我が国に牙を剥いてくることは分かっていた。だからマルシャルクと密約を結び、グレゴリウス殿下の即位の見返りにヴェストエッケを渡すことになっていた。
もちろん、取り戻すつもりでいたが、ラウシェンバッハが東方教会と西方教会の連合軍に短期間で勝利して帰国したため、予定が狂った。
そのため、最も危険なラウシェンバッハの排除を優先したのだが、それすら怪しい状況だ。
(既に三週間以上遅れている。ラウシェンバッハとマルシャルクが手打ちをしたのだろう。互いに潰し合うより、実を取った方がいいと、私でも考えるからな……もう少し早く気付くべきだった……)
マルシャルクが野心家であることは周知の事実だ。
そして、私とラウシェンバッハが相容れないことも変えようがない現実。
(ラウシェンバッハが戻ってきた段階でこちらが折れれば、奴は法国軍排除を優先しただろうから、このような窮地に陥ることはなかった。後悔先に立たずという奴だな……)
そんなことを考えていると、伝令の騎士が私の下にやってきた。
「ヴィージンガー子爵から至急城門に来ていただきたいと要請がございました」
「エルンストが? 何があった?」
腹心であるエルンスト・フォン・ヴィージンガー子爵とはここ一週間ほど碌に話していない。奴の策に乗って失敗したという思いが強く、顔を見ると怒りが込み上げてくるからだ。
「ジークフリート殿下が戻られたため、話をしたいという連絡が来たそうです。殿下の他にラウシェンバッハも一緒だという話も聞いています」
「ジークフリートとラウシェンバッハが戻ってきたのか……」
「まだ姿は見ていないそうですが、拡声の魔導具の準備が行われているため、可能性は高いとのことです」
ここに来て嘘を吐く必要はないから事実なのだろう。
(人質を使っても脱出は認めまい。遂に私も終わりのようだな……)
グレゴリウス陛下を奪われたことで、我々にできることはほとんどなく、王宮を焼き人質を殺すと脅すことくらいしかできない。
しかし、そのどちらも実際には実行不可能だ。
第三騎士団長のシュタットフェルトは陛下と人質に手を出さなければ、兵士たちに温情を掛けると言っており、命令しても動かない可能性が高いからだ。
城門に到着すると、憔悴しきったエルンストが待っていた。
「ラウシェンバッハが戻ってきたようです。先ほど姿を見ました」
「何か要求はあったか?」
「今はまだありません。閣下に直接話をしたいとだけ言っています」
要求は今までと大して変わらないだろうが、ラウシェンバッハが同じ主張を繰り返すとは思えない。そのことが気になるが、エルンストに聞いても答えは出ないと思い、口にしなかった。
城門の上に上がり、敵に姿を見せる。
私の姿を認めたのか、すぐに城門前にいた王国騎士団は下がっていく。そして、入れ代わりに獣人兵が前に出てきた。その後ろにはラウシェンバッハ子爵家の旗がたなびいている。
「ラウシェンバッハ軍が戻ってきた……」
「奴らは恐ろしく強い。俺たちが束になっても敵わない……」
あっという間に南門を制圧された記憶が蘇ったのか、兵たちは動揺し、囁き合っている。
「ラウシェンバッハの兵といえども何もできん! 子供だましの脅しに騙されるな!」
私が叱責すると兵たちの動揺は収まった。
(この程度のことはエルンストがやらねばならんことなのだが……)
腹心の不甲斐なさを心の中で嘆いていると、胸に王家の紋章が描かれた銀色の鎧を身に纏ったジークフリート王子が、平服姿のラウシェンバッハを引き連れて前に出た。
漆黒の装備の獣人兵が二人の周りを固め、狙撃が無意味だと言外に言っている。
ジークフリート王子が拡声の魔導具のマイクを持ち、一歩前に出た。
『私は第三王子ジークフリート。マルクトホーフェン侯爵及び侯爵軍に勧告する。直ちに人質を解放し、王宮から退去せよ。こちらの要求を呑むのであれば、王都で狼藉を働いたクライネルト子爵隊の指揮官以外、領地に戻ることを許可する』
グレゴリウス陛下の身柄について言及しないことに違和感を抱いたが、その間にラウシェンバッハが拡声の魔導具のマイクを握っていた。
『グレゴリウス殿下が王宮にいらっしゃらないことは把握しております……』
やはり気づいていたようだ。
兵たちは奴の言葉に動揺している。陛下がいるからこちらに大義名分があると説明していたからだ。
『グレゴリウス殿下は現在行方不明です。情報部の調査では帝国の工作員ヒュベリトス・ライヒがクライネルト子爵を使って王宮から連れ出し、シュトルムゴルフ湾の漁村から船に乗せたところまで分かっています。帝国がグレゴリウス殿下を拉致したと我々は見ております……』
その事実に思わず呟きが漏れる。
「陛下が帝国に拉致されただと……ライヒが裏切ったのか……いや、最初から狙っていたのだろうな……」
その間にもラウシェンバッハは話を続けていた。
『我が軍は六月二十五日にレヒト法国の北方教会領軍と戦い、勝利を収めました。法国軍は現在、武装解除の上、ヴェストエッケに向けて移動中です。まだ報告は受けていませんが、既に国境を越えていることでしょう。つまり、ここで篭城していても援軍は来ないということです……』
ラウシェンバッハがここにいることから、この事実は素直に受け入れられた。
『また、法国の工作員クレメンス・ペテレイトがアラベラ殿下に取り入っていましたが、彼は既に死亡しております。更にアラベラ殿下の私室から帝国及び法国と関係していたことを示す文書が多数見つかっております……』
姉が帝国と法国の双方に利用されていたことは何となく分かっていた。
しかし、ここまで完璧な追及をされると、反論する気にもならない。
『先ほどジークフリート殿下から人質の解放と王宮からの退去の勧告がありました。王家及び正統な王国政府として、皆さんの安全は保証します。ただ言葉だけでは信用できないでしょう。ですので、ジークフリート殿下の名代としてイリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人を同行させることを提案いたします。こちらからは以上です。侯爵閣下の英断に期待します』
奴の言葉で騎士や兵たちの顔に希望の色が見え始めた。特に兵士たちは故郷に戻れると聞き、笑みを浮かべている者が多い。
(陛下のことで兵たちの心を折り、更にこちらの弱みを暴露した上で、人質まで出すと言われれば、受け入れざるを得ん。だが、本当に私が領地に戻ることを認めるのか? 領地に戻った瞬間、襲ってくるのではないか?)
疑念が心の中に渦巻く。
「エルンストよ、そなたが交渉してまいれ。ラウシェンバッハは稀代の策士だ。罠がないはずがない。それが何か見極め、我らが無事に領地に戻れるように条件を付けてくるのだ」
「は、はい……閣下はどのような策があるとお考えですか? 私には皆目見当が……」
その頼りない言葉に怒りが湧く。
「それが分かれば苦労はせん! だが、領都に入ってしまえば、挽回できるのだ! 確実に領都に戻れるような条件を考えよ!」
「はっ!」
返事はいいが、表情に陰りがあった。
このまま送り出してもラウシェンバッハの手のひらで転がされるだけだと気づく。
「例えば、我が軍が領都に入るまで、周囲二十キロの範囲にいかなる軍も配置しないと約束させてはどうか。それならば奇襲を受けることはないし、領都に入ってしまえば、篭城もできる」
「なるほど……さすがは閣下です!」
感心しているが、それを考えるのはお前の仕事だろうと怒鳴りそうになった。しかし、ここで委縮させても仕方がないとグッと堪える。
「他にもいい案を思いつけば提案せよ。但し、奴らの提案には十分に注意しろ。こちらが有利になるように見せて、何を仕掛けてくるか分からんからな」
「承知いたしました。では、交渉してまいります」
エルンストは頭を下げると、城門から降りていった。
一抹の不安を感じながらも見送ることしかできなかった。
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