第二話「グレゴリウス、遭難する」
統一暦一二一五年七月二十四日。
ゾルダート帝国北東部帝都ヘルシャーホルスト沖。第二王子グレゴリウス
騙されて船に乗せられてから一ヶ月ほど経った。
船員の話では明後日には帝都ヘルシャーホルストに到着するらしい。
この一ヶ月間は絶望の毎日だった。
何度か寄港しているが、厳しい監視の目があり、脱出は不可能だと思い知らされた。
それでもいつか脱出する機会が来ると信じ、体力を維持しつつ、狭い船室内で体を鍛えていたが、空しい努力だったらしい。
窓のない船室内では夜なのか昼なのかよく分からない。ただ、三回の食事は欠かさず与えられるため、何となく時間が分かるという感じだ。
夕食を食べた後、日課になっているトレーニングを始めるが、船室の外が騒がしくなってきたことに気づいた。
『……帆を張り増せ……』
『……取り舵二点! 風下に船首を向けろ……』
『……武器を持ってこい!……』
船員たちの足音が響き、焦ったような声が微かに聞こえてくる。
(何が起きているんだ?)
海のことはほとんど知らないため、何が起きているか全く想像できない。
(混乱している今がチャンスなんだが……この扉さえなんとかできれば……)
この船室の壁は頑丈な板で、扉も同じように分厚い木の板で作られており、俺が全力で体当たりしてもビクともしない。
船員たちの走り回る音が激しさを増し、船が加速するのが分かった。
(何かから逃げているのか? 魔獣かもしれんな。ならば、生き残れる可能性は低いな……)
海には巨大蛸やサーペントなど大型の魔獣が多く棲む。それらの魔獣に狙われたら、逃げ切ることは不可能で、船と共に海の藻屑になると聞いたことがあった。
しかし、疑問があった。
航路は魔獣が出没しない海域に設定されているはずだし、船員の数も三十人ほどと、魔獣が襲ってくる百人以上に対して充分に少ない。
それに俺という重要な“荷物”があるから、いつも以上に慎重になっているはずで、真実の番人の支援を受けている帝国の工作員が初歩的なミスを犯すとは思えなかった。
疑問はあったが、何かから逃げていることは間違いなく、船の揺れが更に激しくなった。そして、走り回る船員たちの足音からも焦りが感じられた。
「俺も手伝う! ここから出してくれ! 頼む!」
このままでは船室に閉じ込められたまま死ぬと思い、扉を叩きながら大声で叫ぶ。しかし、誰も気づいてくれない。
一時間ほどすると、突然船が大きく持ち上がり、叩き付けられるように海面に落ちた。そして、右に大きく傾いている。
『……サーペントの目を狙え!……』
『……このままじゃ、転覆するぞ! 早く海に追い落とせ!……』
襲ってきたのはサーペントのようだ。
どのくらいの大きさなのかは分からないが、全長四十メートルほどある船を傾けることができる巨体のようだ。
船室の壁がメキメキと音を立て始めた。
更に木の板が割れるバキッという音が聞こえてくる。
このままでは本当に船と運命を共にしてしまう。
「ここから出してくれ!」
その時、扉がバキッという音と共に外れた。船の変形に耐えかねたようだ。
すぐに船室を飛び出すが、船は三十度くらい傾いており、まともに歩けない。それに灯りの魔導具も少なく、どこに向かえば外に出られるのか全く分からなかった。
壁に取り付けてあった灯りの魔導具を手に取り、船の中を彷徨う。
早く外に出たいと焦りながら歩き回ると、偶然にも上に出る階段を見つけた。
昇っていく途中、大きな揺れが起き、更に船は大きく傾く。
(このままじゃ転覆する。早く外に出ないと船の中に閉じ込められてしまう!)
ほとんど横に進む感じで階段を上がっていく。
甲板に出る扉らしきものが見つかり、そこから出ていくが、船はほとんど横倒しの状態だった。
船尾の方を見ると、巨大な蛇の魔獣が後ろのマストに絡み、船を壊そうとしている。
船員たちは海に落ちないようにマストや手すりに掴まっているだけで、サーペントに向かっていく者は皆無だ。
(どうすればいいんだ?)
俺は扉に掴まりながら、迷っていた。
外に出たものの、この状況で海に飛び込んでも助かる可能性は低い。一応、水練は学んでいるが、波の高い海で泳いだことなどなく、すぐに溺れ死ぬだろう。
だからといって、ここにいても同じだ。
船がもたないことは素人である俺が見ても明らかで、このままでは船と運命を共にするだけだろう。
逡巡していると、突然船が大きく揺れた。
右に横倒しに近い状態から、突然反対に揺り戻しが来たのだ。見えていないが、サーペントが位置を変えたのだろう。
「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」」
船員たちの悲鳴が響くが、俺も同じように叫んでいた。
次の瞬間、耐えきれなくなり手を放してしまう。そして、そのまま海に放り出されてしまった。
そこで俺の記憶は途絶えた。
それからどのくらい時間が経ったのかは分からないが、突然目が覚めた。
建物の中らしく、天井が見える。
起き上がろうとしたところで、声が聞こえてきた。
「気が付いたようじゃの」
声の主は好々爺然とした老人だった。
少し離れた場所に胡坐をかいて座っているが、農民や漁師というには隙がなく、床には老人には不釣り合いの大きな剣が置かれている。引退した武人か、武芸者だろう。
「貴殿が助けてくれたのか……」
「そうじゃ。理由は分からんが、先日聖竜様がお怒りになられた。この辺りでも聖竜様の咆哮が聞こえたから海の魔獣が暴れると思ったのじゃ。海岸を歩いて難破船から何か流れ着いておらぬか見ておったら、予想通りに木箱やら樽があった。掻き集めていると、そこにお主が倒れておったのよ。運がよかったの。他の者は皆死んでおったぞ」
魔獣が暴れた理由は四聖獣である聖竜が怒りを爆発させたためらしい。
どこに辿り着いたのかは分からないが、運よく生き残ったようだ。
起き上がりながら頭を下げる。
「かたじけない。ちなみにここはどこなのだろうか?」
「オストインゼルの西岸にあるターフルト村じゃ」
「オストインゼル……帝国ではないのか……」
帝国の海岸に漂着していたと思っていたので、驚きを隠せなかった。
「帝国とは二百キロ以上離れておるぞ。本当に運がよかったようじゃな」
老人はそう言って驚いている。
(これぞ天運! 俺にはまだやることがあるようだ!)
俺は自らの強運に感謝していた。
「そなたの名は?」
そこで名乗っていないことに気づき、もう一度頭を下げた。
「命の恩人に対し不調法だった。俺の名はグレ……グレゴール。奴隷商に捕まって帝都に送られるところだった者だ」
咄嗟に偽名を名乗った。
帝国の諜報局がここまで来るかは分からないが、せっかく生き残ったのだから、再び捕らえられることは防ぎたいと思ったのだ。
「そうか……儂はダグマル。見ての通り、世捨て人じゃ」
「世捨て人? 武芸者とお見受けするが?」
そこでダグマルの目が光った。
「ほう……そなたも多少は使えるようじゃの」
特に威圧しているわけではないが、全身から汗が噴き出す。
(相当な使い手と見た。今後どう生きるかはともかく、この男に学ぶことは必ずプラスになる……)
天啓にも似た考えが浮かび、即座に居住まいを正した。
「ダグマル殿! 貴殿ほどの達人を見たことがない。ここで俺に剣を教えていたけないだろうか!」
「そなたが剣をの……まあ暇であることは間違いない。行く当てもなさそうじゃし、暇つぶしにはなるじゃろう」
こうして俺は武芸者になる道を選んだ。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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