第一話「軍師、王都に帰還する」
新章のスタートです。
統一暦一二一五年七月十二日。
グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ郊外。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
ジークフリート王子らと共に王都に向けて出発した。
王都ではマルクトホーフェン侯爵が王宮で篭城しており、その対応が必要なためだ。
「マルクトホーフェンをどうするかより、後始末の方が大変そうね」
一緒に馬車に乗っているイリスが笑いながら言ってくるが、彼女の言う通りだ。
レヒト法国軍が撤退した今、侯爵にできることはほとんどなく、人質である侍従や文官たちをネタに交渉するしか手がないからだ。
「グレゴリウス殿下が王宮にいない今、こちらが妥協するように見せれば、すぐに乗ってくるだろうからね」
先代の国王フォルクマーク十世が討ち死にした後、第二王子のグレゴリウスが即位したが、そのグレゴリウスは帝国の工作員らしき者によって拉致されてしまった。
侯爵にとっては切り札になり得る存在だったが、それを失った状態では無事に領地に戻ることを認めれば、すぐに乗ってくるはずだ。
もちろん、マルクトホーフェン侯爵領にも手が打ってあり、戻られても支障は全くない。というより、戻ってもらわないと困る。
「それよりも兄様たちが戻ってくるまでに、どこまでやれるかが問題ね。あと半月もすれば、グレゴリウス王子が帝都に着くわ。皇帝がどう動くのか読めない以上、できることはやっておきたいから」
皇帝マクシミリアンは旧リヒトロット皇国領の掌握に力を入れているため経済的に苦しく、我が国に対する行動は牽制程度に留めている。しかし、グレゴリウス王子という手札が渡れば、積極的に動く可能性は否定できない。
特にフリードリッヒ王太子が即位した場合、第一王位継承権を持つのはグレゴリウスであり、フリードリッヒ退位後にジークフリート王子が即位すれば、継承権を大義名分として軍を興すこともあり得る。
マルクトホーフェン派を排除した今、国内が分断される恐れは少ないし、フリードリッヒ即位後にグレゴリウスの王位継承権を無効化する手続きをするつもりだが、貴族たちが動揺することは容易に想像できる。
「今帝国が侵攻してきたら面倒ね。短期間ならラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団で帝国軍を抑えることはできると思うけど、王国軍を何とかしないと、長期的には厳しいわ」
法国軍との戦いで国王と共に王国騎士団長であったマンフレート・フォン・ホイジンガー伯爵が戦死しているが、王国騎士団自体の損害は戦死者が三千人ほどと、思ったより多くない。問題は私が療養している間に、組織が滅茶苦茶にされたことだ。
「そうだね。特に指揮官不足は頭の痛い問題だよ。数年単位で時間が掛かるから。まあ、大賢者様が各国の首脳を集めてくだされば、多少余裕は出てくると思うけどね」
私が提案した各国の首脳と各魔導師の塔の責任者をレヒト法国の聖都レヒトシュテットに集め、禁忌に関わることに対し、代行者と助言者の見解を示す会議が行われるはずだ。
そこには強大な力を持つ四聖獣がすべて集まる。このタイミングで元首がいない国家に対して攻撃すれば、四聖獣、特に正義を重んじる鷲獅子の心証を悪くすることは想像に難くない。
また、細かな取り決めについては今後大賢者と調整することになるため、軍事行動が一切できないというわけではないが、皇帝が不在の間にリスクの大きな大規模な軍事行動を起こすことはあまり考えられない。
「軍事に関することより、この機に大規模な国政改革を行うべきだ。今なら邪魔をする人たちもいないからね」
軍の改革や再編も重要だが、王国の旧態依然とした統治機構を近代化させることも急務だと思っている。特に封建的な体制を中央集権体制に改めないと、いずれ帝国に呑み込まれることになるからだ。
「そうね。でも身体の方は大丈夫なの? 叡智の守護者の塔を出てからほとんど休む暇がなかったわ。ズィークホーフ城で熱を出したこともあるし……これまでは時間との勝負もあったから仕方がなかったのだけど、できればゆっくり休んでほしいわ」
共和国軍との共闘作戦の前に一度熱を出し、三日ほど寝込んだことがあった。その後は気候もよくなったことから寝込むようなことはなかったが、体調が万全とは言い難いことは事実だ。
「私も奥方様のご意見に賛成です。お顔の色がよくありませんし、食事の方も進まない日が多いようです。それにこれから更に暑さが厳しくなります。体調を崩されないか心配です」
珍しく護衛の影、カルラ・シュヴァイツァーが話に加わってきた。
「カルラもそう思うわよね……いっその事、ライゼンドルフで少し休んでいったら? 王都でのことは殿下がいらっしゃれば、私でもできるのだから」
ライゼンドルフなら今日中に到着できるし、西方街道の中核都市ということで宿泊施設も整っている。
疲れは溜まっているし、私自身もできれば休みたい。しかし、急ぐ理由があった。
「気遣いはありがたいけど、王都に戻るまでは多少の無理は仕方がないと思っているよ」
「急ぐ理由は何かしら? マルクトホーフェンは死に体よ。それに帝国はグレゴリウス王子が到着してもすぐには動かないでしょうし、大賢者様もあなたの身体に負担が掛かるようなことはおっしゃらないはず。ライゼンドルフで一ヶ月ほど療養して、兄様たちと合流してから帰還しても問題ないと思うのだけど?」
「できればそうしたいけど、侯爵が焦らないか不安がある」
彼女も私の言いたいことに気づいたようだ。
「それは分かるけど……」
マルクトホーフェン侯爵が篭城を始めたのは六月十八日。
侯爵たちはマルシャルク率いる法国軍が王都に到着するのは、早ければ今月の上旬、遅くとも中旬頃だと予想しているはずだ。
そして、私たちが王都に到着するのは、順調に進んでも今月末。侯爵たちが焦り始めている頃だ。
「私が姿を見せなければ、侯爵も素直に交渉に応じない可能性が高い。私が対処しなくてはならないことが起きているかもしれないと勘繰るだろうからね」
イリスは大きく頷いた。
「確かにその可能性はあるわね。何と言っても、彼らには一切情報が入らないんだから」
王宮は完全に包囲しているし、抜け道も闇の監視者がすべて押さえているから、外部との接触はできない。
「だから私が急いで戻る必要があるんだ」
「急がなくちゃいけないことは理解したわ。でも、少しでも体調がおかしいようなら、無理にでも休ませるわよ。侯爵があなたのことを気にするといっても、無理やり交渉の場に引きずり出すことは不可能じゃないのだから」
最後には折れてくれたが、私自身不安がある。
移動は馬車だが、今使っているものは振動を抑えるようにバネを使ったサスペンションを入れているものの、車輪にゴムは使われていない。そのため、未舗装の街道では大きく揺れるし、激しい振動と音にも悩まされている。
クッションなどで振動を更に抑えているが、一日中乗っていると結構疲れる。
また、狙撃による暗殺防止のため、頑丈な箱馬車を使っており、窓を開け放っていても初夏の日差しを受けて馬車の中の温度は外より高い。
エアコンなどはないので、イリスかカルラが団扇で仰いでくれるのだが、汗を掻くだけでも体力を消耗する。
そのため、疲れ切って食事が喉を通らない日が出始めていた。
今はまだ比較的涼しい山中であるため、何とかなっているが、この先、日射は更に厳しくなるし、王都に近づけば標高が下がるため、気温も上がる。
「ともかく細心の注意を払う必要があるわ。カルラ、あなたとユーダが頼りよ。よろしくお願いするわね」
カルラと御者をしているユーダ・カーンは影だが、魔導師としても優秀で、治癒魔導も得意としている。
「お任せください」
そう言ってカルラは軽く頭を下げた。
出発後、何度か悪天候に見舞われたものの、行軍は順調だった。
私自身も体調を大きく崩すことはなく、ノイムル村近くの野営地で待機していたエッフェンベルク騎士団と合流する。
火を放たれた森は無残な状態のままだが、活性化していた魔獣も落ち着いていた。また、野営地には簡易の宿泊施設が作られ、エッフェンベルク領の義勇兵百名が残って監視することになっている。
その後も行軍は順調だった。
普人族が主体のエッフェンベルク騎士団と合流したことで、休憩を頻繁に入れるようになった。そのため、不安だった私の身体も何とか耐えることができた。
行軍速度は落ちたものの、予定より一日前倒しの七月三十日に王都シュヴェーレンブルクに到着することができた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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