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第五十話「駆け引き:その五」

 統一暦一二一五年七月九日。

 グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ東、西方街道上。第三王子ジークフリート


 日は完全に落ち、辺りは暗闇に支配されている。

 我々王国軍は白狼騎士団から距離を取り、街道上で野営の準備をしていた。


「偵察隊より報告です。赤狼騎士団及び黒狼騎士団はすべて街道上に戻りました。現在、第一連隊と第四連隊が街道上の崖の上に展開し、敵が再び登ろうとしても阻止が可能とのことです」


 その報告にマティアス卿が満足そうに頷く。


「ご苦労さま。偵察大隊、第一連隊、第四連隊にいつも助かっていると、私からの感謝の気持ちを伝えてくれないか」


 通信兵は嬉しそうな表情で「はっ!」と答えた後、通信の魔導具を操作し始めた。


「そろそろマイズナー団長が神狼騎士団全体を掌握した頃でしょう。交渉は私が行いますが、殿下には最終的な判断をしていただきます」


「承知した」


 既に打ち合わせは終わっており、どのような話に持っていくかは知っている。しかし、本当にそんなことができるのかとも思っていた。


「どうやら来たようです」


 総司令官であるラザファム卿がわざわざ報告してくれる。


「では、打ち合わせ通りに私と殿下、護衛のアレクサンダー殿の三人で」


 相手も腹心と護衛を一人ずつという条件を付けており、数としては同じだ。


「大人数では駄目なのは分かっているけど、私が参加できないのは納得できないわね」


 イリス卿がぷりぷりと怒っている。彼女はマティアス卿のことが心配で最後まで参加したいと訴えていたからだ。


「この状況で何か仕掛けてくることはないよ。それにアレクサンダー殿がいれば、赤狼騎士団の猛者三人でも私と殿下が逃げる時間くらい稼いでくれるだろうしね」


 会談場所は両軍の間で、双方の兵士の壁から五十メートルずつ離れている。そのため、私はともかく、マティアス卿が逃げ切れるのか不安を感じていた。


 もっとも(シュヴァルツェ)(ベスティエン)猟兵団(イエーガートルッペ)の精鋭が走れば、五秒ほどで着くから、マティアス卿の見立てもおかしなものではない。

 これだけの距離を離すのはマイズナー以外に聞かせたくない話があるからだ。


 灯りの魔導具に照らされた会談場所に到着すると、五十歳くらいのいかにも猛将という雰囲気の髭面の大男が立って待っていた。その後ろには更に巨体の兵士が二人いる。腹心というより護衛のようだ。

 マティアス卿はそんなことを気にすることなく、笑顔で話し始める。


「マティアス・フォン・ラウシェンバッハです。こちらはグライフトゥルム王国第三王子ジークフリート殿下です。オトフリート・マイズナー閣下でよろしかったですか?」


 マティアス卿の優しげな見た目に驚いているのか、マイズナーはすぐに反応しなかった。


「王子が直々に交渉の場に出てきたのか?……いや、私が赤狼騎士団長マイズナーで間違いない」


 私がいることに驚いていたようだ。


「では、後ろの方は護衛ということでよろしいですね」


「それでよい。では、そちらの要求を聞かせてくれ」


 すぐに交渉に入る。


「分かりました。こちらの考えは文書にしてあります。まずマルシャルク団長の要求についてですが、先ほど話した通り、全面的に受け入れます。ですので、貴国との国境カムラウ川を越えるまで、我が軍は貴軍を攻撃いたしません。また、食糧などの物資も必要量を適切に提供いたします」


「うむ」


「その上でこちらからの要求ですが、まずヴェストエッケまでは貴軍の武装を解除していただきます。これは無用なトラブルを防ぐためです。武器がなければ殴り合いくらいで終わるでしょうから、軽い処分で済ませられます。ですが、刃傷沙汰になれば、事実関係を明らかにするため、行軍を止めなければなりません」


「トラブルを防ぐという目的は理解するが、武装とはどこまでを言うのだ? 槍や弓なら分かるが、騎士の象徴である剣や鎧まで外せというのは敗者に対する扱いだが」


 この期に及んでも敗者として扱われることに難色を示してきた。もっともマティアス卿はそのことを予想しており、にこやかな笑みを浮かべたままだ。


「ご認識の通りで問題ありません。但し、剣は容易に抜けないように鞘に紐で固定していただきますが」


「それで構わん。で、次の要求は?」


 それからこちらの要求を一つずつ詰めていく。


 食糧は毎日こちらが必要量を適切に提供する。

 これは我が軍が均等に分配することで、食糧が不足しているという理由で反抗させないためと説明している。


 しかし、本当の目的は万が一約束を反故にされた場合に、兵糧攻めにできるようにするためだ。剣しか持たず、食糧もないとなれば、法国軍も奇襲を仕掛けて脱出という手段を採る気にならないだろう。


 また、千人の部隊の間に王国軍が同数入る配置とすること、街道沿いの町や村は通過するのみで立ち止まらないことなどが付け加えられている。


「最も重要な条件ですが、ヴェストエッケの早期の、そして完全なる返還です。世俗騎士軍に命令を出していただき、我々が到着する前に返還していただきたい。もちろん、市民の財産を含め、一切の物資を返還していただきます」


「それはできん。我が軍が到着するまで待ってもらおう」


 そこでマティアス卿はニコリと微笑む。


「よろしいのですか?」


 その微笑みにマイズナーは眉をひそめた。


「何がだ」


「我々が安全を保証したのは神狼騎士団のみ。世俗騎士軍は対象外です。ケッセルシュラガー軍と我がラウシェンバッハ騎士団計一万五千が攻撃を仕掛ければ、ヴェストエッケを陥落させることは難しくありませんが」


「世俗騎士軍は一万。攻城戦の常識を考えれば、最低三万は必要だ。僅か一万五千では攻め落とせぬ」


 そう言っているものの、マイズナーの顔色は悪い。自分でも信じていないようだ。


「ヴェストエッケの構造をご存じでしょう。南側、すなわち貴国側の城壁に比べ、北側の城壁は低く、城壁も長い。到底一万の兵では守り切れません。もちろん、五千の兵でも落とせる策は持っていますが」


 マティアス卿は淡々と事実を述べるように話しているが、マイズナーはねめつけるように見ながら考え込んでいる。マティアス卿なら充分に可能だと思っているのだ。


「貴軍が帰還する際の混乱を避けるためなのです。守備兵団が南の草原に追い出され、捕虜となっていることは分かっていますが、彼らが城内に戻るまで、貴軍は足止めされることになります。狭い城内で敵味方が入り乱れれば、それだけで混乱の元となるでしょう」


「うむ」


 まだ落としどころとしては弱いと思っているようだ。


「そもそもカムラウ川の南に世俗騎士軍を待機させなくともよいのですか? 我々は約束したことは確実に守りますが、貴軍に対し報復しないと言ったわけではありませんよ。正々堂々、宣戦布告した後、貴国に侵攻しても構わないのです。そのためにジークフリート殿下がいらっしゃるのですから」


 王位継承権を持つ私が国王代理として宣戦布告をすることは、イレギュラーだができないわけではない。

 正面から戦えば、分が悪いことは分かっているため、すぐに折れてきた。


「分かった。その条件も呑もう。それで終わりだな」


「いえ、もう一つあります」


「それは何だ」


 マイズナーはこれ以上何を要求してくるのかと警戒しているようだ。


「マルシャルク団長の身柄を渡していただきたい。もちろん我々が受け取るわけではなく、助言者(ベラーター)である大賢者マグダ様に預けるためです。どのような処分を下されるかは分かりませんが、あのような策を実行しようとした者をそのまま帰国させたとあっては我らが鷲獅子(グライフ)様の罰を受けることになりかねませんので」


 自分たちが不利になる要求でないと知り、安堵の表情を浮かべている。


「それについては問題ない。こちらもどうすべきか悩んでいたのだ。大賢者様にお預けできるなら、こちらから頼みたいくらいだ」


「では、基本的な合意がなされました。殿下、付け加えるべきことはございますか?」


「いや、これでよい」


 事前の打ち合わせ通りであり、決断というほどのことはないが、このような交渉に出たことで緊張して声が掠れる。

 私が頷くと、マティアス卿は先ほどの書面をテーブルの上に広げた。


「殿下、こちらに署名をお願いします」


 私がサインをした後、マイズナーに渡す。

 マイズナーも内容を確認し、サインを行った。


「これで交渉は終了です。少しスムーズに行きすぎましたね。厳しい交渉を行ったとみられるように雑談をして時間を潰しましょう。雑談ですので、明確な答えを求めているわけではありませんから、気楽に聞いていただければと思います」


 いよいよ本番だ。

 マイズナーも事前に聞いていたのか、小さく頷く。


「我が国は貴国に対し、損害賠償を請求するでしょう。また、グランツフート共和国も同様に既に交渉を進めているはずです。貴国に多額の現金があるとも思えません。ですので、共和国は東方教会領を、我が国もどこかの教会領を要求することが妥当だと考える人が多いでしょうね」


「東方教会領はともかく、北方教会領を渡すことなどあり得ぬ」


 マイズナーはそう言って鼻で笑う。


「確かに貴軍の損害は東方教会領に比べ軽微です。餓狼兵団が全滅しているとはいえ、神狼騎士団は三千人ほどしか戦死者を出していませんから」


「その通りだ。領都での防衛戦であれば、遅れは取らぬ」


 自信満々に答えるが、あれほどの惨敗をした後なのに、何を根拠に言っているのだろうと思ってしまう。しかし、そのことは表情に出さずに黙っている。


「ですが、我が国が共和国側に向かい、そこから進軍したらどうでしょうか? 東方教会領に兵はなく、西方教会領も半数近くの兵を失っています。東方教会領の領都キルステンを占領し、そこを起点に聖都レヒトシュテット、そして南方教会領と軍を進めれば、貴国も対応に苦慮するのではありませんか?」


 マティアス卿はマイズナーのプライドを傷つけないよう、別の方法を提示する。


「そのようなことは不可能だ!」


 マイズナーは怒りを露わにしているが、マティアス卿は涼しい顔のままだ。テーブルを地図に見立て、指で差しながら話を続けていく。


「キルステンを占領できれば、聖都までは僅か二百五十キロ。更に南方教会領の領都ハーセナイは三百五十キロですし、西方教会領の領都ヴァールハーフェンを含め、すべて海沿いですから補給も容易です。それに貴国には中央部に通行が難しい魔窟(ベスティエネスト)がありますから、どう頑張ってもヴァールハーフェンで迎え撃てる程度でしょう。これでも不可能だと思われますか?」


 実際にやるかはともかく、説明を聞くだけなら成功するとしか思えない。

 マイズナーも同じことを思ったのか、別の切り口で反論してきた。


「だが、帝国が黙っていまい」


 これも想定内だ。

 マティアス卿は指を折りながら説明する。


「帝国が軍を動かすにしても我々が動いてから最短で二ヶ月後です。そして、国境に到着するのは更に二ヶ月以上先です。つまり四ヶ月の猶予があるのですよ。それに私のあだ名をお忘れですか?」


千里眼(アルヴィスンハイト)……」


「はい。すべてを見通すなどとは言いませんが、帝国の動きならほぼ正確に予測できます。逆に言えば、数ヶ月程度の妨害なら難しくないのです」


「何が言いたい。雑談にしては物騒だが」


 そこでようやくマティアス卿が雑談と言ったことを思い出したようだ。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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