第四十九話「駆け引き:その四」
統一暦一二一五年七月九日。
グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ東、西方街道上。影、ウーリ・ターク
私はマティアス様の命令を受け、マルクトホーフェン侯爵の特使エドムント・フォン・ドマルタン子爵を名乗り、神狼騎士団に潜入している。
当初はマルシャルクに偽情報を流し、引き返させることが目的だった。その後、餓狼兵団と神狼騎士団の関係を調べていたが、餓狼兵団が全滅したことから神狼騎士団内の情報収集に当たっている。
神狼騎士団が圧倒的に不利な状況に陥ったため、そろそろ脱出の頃合いかと思っていたが、新たな任務が舞い込んできた。
「ウーリ殿、ユーダ様からのご命令だ」
白狼騎士団の司令部近くにいたが、法国兵に扮した連絡役の影が近づき、小声で話しかけてきた。
私は九の組の小頭であり、ユーダ・カーン様は直属の上司だ。
目を合わせることなく頷くと、詳細を伝えてきた。
「この後、マティアス様が敵を動揺させる策を実行される。それが終了した後、白狼騎士団副団長シュミットバウアーに接触、マルシャルクの指揮権を奪うように唆せとのことだ。更に西に向かい、今度は赤狼騎士団長マイズナーに接触せよ」
オトフリート・マイズナーは西側、つまりライゼンドルフ側で突撃の指揮を執ると聞いていた。
「攻撃が始まる前に接触することは難しいが?」
「マティアス様の策が成功すれば、敵の動きは必ず止まる。その隙に奴に接触し、全軍を掌握させた後、マティアス様との会談をセッティングせよとのご命令だ」
敵を動揺させる策がどのようなものかは分からないが、あの方の策が失敗するはずはない。
更に細かな指示を受けた後、こちらからも確認を行う。
「私の正体を明かしてもよいということだな」
「そうだ。但し、マティアス様より特別な指示がある」
予想は着くが、頷くことで先を促した。
「身の安全を最優先し、危険を感じたならば、任務は放棄し、即座に脱出せよとのことだ」
「承知した」
マティアス様は幼い頃より我ら影の安全を一番に考えておられた。そのため、この指示が出ることは容易に想像できたのだ。
連絡役が去ったところで、マティアス様の演説が始まった。
その演説に周囲にいる白狼騎士団の兵士たちが面白いように動揺している。
(さすがはマティアス様だな。さて、私も仕事をせねばなるまい……)
一緒に潜入している部下を引き連れ、白狼騎士団副団長タンクレート・シュミットバウアーに近づいていく。護衛である騎士たちもマティアス様の演説に聞き入っており、誰にも見咎められることなく、近づくことができた。
「シュミットバウアー殿、これはどういうことなのだ! ラウシェンバッハが、いや、ラウシェンバッハ殿が言っていることは真なのか! そうであるなら、私も貴軍と共に鷲獅子様の制裁を受けてしまうではないか!」
これまでは敵対関係にあるということで呼び捨てにしていたが、敬称を付けることで降伏しようとしていることを匂わす。
「閣下は起死回生の策を講じるとおっしゃっただけで、私も聞いていないのだ。このような策であるなら、全力で止めたのだが……」
シュミットバウアーは困惑気味に答えるが、兵たちと同じく混乱しているようで、私が降伏を匂わせたことに気づいていない。内心で苦笑するものの、すぐに演技を続ける。
「ラウシェンバッハ殿の言葉が正しければ、明後日の朝には我らは全滅してしまうのだ! すぐにでも元凶を取り除き、鷲獅子様に許しを請う準備をせねばならんのではないか!」
「元凶を取り除く……マルシャルク閣下を殺せと貴殿はおっしゃるのか?」
「殺す必要はない。いや、ここで殺せば、責任を取る者がいなくなってしまうぞ。逃げることはできぬだろうが、勝手に自裁されては大変だ。すぐに拘束すべきだ」
シュミットバウアーもその危険性に気づき、大きく頷いた。
「確かにその通りだ」
「私はマイズナー殿にも同じことを提案してくる」
「貴殿がマイズナー閣下に?」
「そうだ。マルシャルク殿の指揮権がなくなれば、最先任であるマイズナー殿が総司令官になるのだ。貴軍の全軍の指揮を執る者と今後について協議する必要がある。私ならラウシェンバッハ殿の考えを聞き出すことができるからな」
シュミットバウアーはそこで私がマルクトホーフェンを裏切るとようやく気づいたようだ。
「マルクトホーフェン侯爵を見捨て、ラウシェンバッハに乗り換えるということか?」
そこで私は嘲笑する。
「何をいまさら。貴軍が敗北した時点で王都の戦いの帰趨は決定付けられているのだ。私とて、このようなところで朽ち果てたくはない」
「……」
シュミットバウアーは蔑んだような目で私を見ている。
「それに鷲獅子様のことを考えれば、ラウシェンバッハ殿が安易に貴軍の責任者と協議するとは思えん。その点、私は全くの第三者だ。橋渡しにはちょうどよいではないか」
「……」
納得できないと顔に書いてある。
「時が惜しい。案内役の騎士を付けてくれ」
この状況を打開する術がないことに気づき、私の提案に乗った。
「仕方あるまい……」
白狼騎士団の司令部からライゼンドルフに近い赤狼騎士団の司令部に向かう。
距離にして五キロメートルほどだが、間には兵士や輜重隊が多く留まっており、なかなか進めない。
案内役の騎士に道を開けさせるが、不完全な情報のみを聞いているためか、不安そうな表情の者が多かった。
赤狼騎士団の司令部に着くと、山に入った兵を戻すために多くの伝令が走り回り、混乱していた。しかし、すぐに団長のオトフリート・マイズナーに面会を申し出る。
「この状況を打開するためにマイズナー殿に会いたい」
赤狼騎士団の騎士が怪訝そうな顔をしているが、それを一喝する。
「全滅したいのか! 今ならまだ間に合うとラウシェンバッハ殿も言っているのだ! すぐにマイズナー殿と話をさせろ!」
マイズナーは髭面のいかにも猛将という男だが、このような状況では何の役にも立たない。騎士はそのことに気づいたのか、それとも私の剣幕に負けたのかは分からないが、すぐに面会が叶った。
「打開策があると聞いたが?」
「まずは人払いをお願いしたい」
怪訝な顔をするが、すぐに周囲から人が消えた。彼も焦っているようだ。
「先に言っておく。私はマティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵様に仕える影……」
そこまで言ったところでマイズナーが激高する。
「奴の手先だと!」
「声が高い。マティアス様はこのような事態になることを想定し、連絡役として私を潜入させていたのだ。まずはマティアス様から言葉を聞け。それとも鷲獅子様に滅ぼされたいのか?」
強気に出るが、マイズナーも打開策がないため、「ぐぬぬ」と唸るだけで何も言わない。
「では伝えるぞ。マティアス様は貴殿との会談をご希望だ」
「会談だと……」
「四聖獣様に逆らったマルシャルクは既にシュミットバウアーによって拘束されている。そうなると、神狼騎士団で最先任は貴殿になる。鷲獅子様の怒りを鎮めるためにも貴軍が暴走しては我らも困るのだ。それにマティアス様は貴殿にもメリットがある話になるとおっしゃっておられる」
「俺にもメリットがあるだと……ラウシェンバッハの口車に乗るなどあり得ぬわ」
興味を持ったようだが、素直に頷くわけにもいかないようだ。
「それならそれで構わぬ。クライン殿に話を持っていくだけだからな」
黒狼騎士団長イェンス・クラインの名を出すと、再び唸っている。
「我らにとってはどちらでもよいのだ。どちらもマルシャルクの策に乗って森に火を掛けにいったのだからな」
「あれは違う! ライゼンドルフに対する総攻撃の準備だ! 火を放つことなど考えられぬ!」
「その言い訳が鷲獅子様に通じるとよいな」
そう言うと、自分でも言い訳など通用しないと気づいたのか、愕然とした表情になる。
「どうすればよい?」
話を聞く気になったようだ。
「まずは神狼騎士団を掌握しろ。その上で王国軍と交渉すると言えばよい。あとはマティアス様が何とかしてくださる」
「それで鷲獅子様のお怒りは解けるのか?」
「影に過ぎぬ私には分からんよ」
そう言って嘲笑すると、再び顔を紅潮させる。
「何だと……」
それを無視して話を続けていく。
「だが、マティアス様は大賢者マグダ様の愛弟子だ。私はあの方が幼い頃から知っているが、鷲獅子様が相手であっても、主張すべきところは主張されるはずだ。それに貴殿にメリットがあるという話も間違いないだろう。あの方は虚言を好まれぬ。もっとも貴殿が受けるメリット以上に我らにメリットはあるのだがな」
そこでマイズナーは無い知恵を絞って考え始めた。
この単細胞が考えても無駄だろうと思うが、邪魔をせずに黙っている。
「今の話に嘘はないのだな? 俺に不利益は生じないと信じてよいのだな」
「その認識で構わんよ。但し、マティアス様の策に完全に従う場合だけだ。中途半端なことをすれば、すべてを失うと思っておいた方がよい。あの方は見た目こそ優しいが、不当な行いに対しては徹底的に対処される。ある意味、鷲獅子様より恐ろしいと思っておいた方がよいだろう」
「グライフ様より恐ろしいだと……あり得ぬ」
「そう思いたければ、それで構わんよ。だが、私の言葉は覚えておけ。後悔したくなければな」
その後、マイズナーは赤狼騎士団を副団長に任せると、神狼騎士団の指揮官たちにマルシャルクの更迭と自身が指揮権を握ったことを認めさせていった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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