第四十八話「駆け引き:その三」
統一暦一二一五年七月九日。
グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ東、西方街道上。ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長
要求を伝えてから一時間、敵に動きが見えた。
『私はラウシェンバッハ領軍の総司令官マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵です。マルシャルク白狼騎士団長が我々に突き付けた要求に対しすべてを受諾すると回答します。これにより、貴軍は我がグライフトゥルム王国軍からの攻撃を受けることはなくなりました。また、総司令官であるジークフリート王子殿下の裁可をいただいた正式なものであり、ライゼンドルフにいるケッセルシュラガー侯爵にも既に伝令を出しています』
ラウシェンバッハの優しげな声が拡声の魔導具によって街道に響いている。
(どうやら賭けに勝ったようだな……)
周囲の兵たちも攻撃を受けることがなくなったと聞き、安どの表情を浮かべている。
『しかしながら、貴軍の要求は理不尽なものであると言わざるを得ません。マルシャルク団長が付けた条件は以下のようなものだったのです。ライゼンドルフを含む西方街道の封鎖を解くこと、神狼騎士団の行軍に対し、完全な安全の保証を行うこと、神狼騎士団に対し、食糧及び飼葉等の物資を提供すること、神狼騎士団の負傷者の治療を行うこと……』
そこまで言ったところで、ラウシェンバッハは劇的な効果を狙ったのか、言葉を切る。
『以上の要求が認められない場合、神狼騎士団はライゼンドルフ及び周辺の村々に対し、約二週間前に実行した策を実行する。約二週間前、すなわち森への放火を再び実行すると脅してきたのです。この要求に対し、我々は屈せざるを得ませんでした。なぜなら、代行者である鷲獅子様と助言者である大賢者マグダ様に、このような愚行は二度と起こさせないと約束したからです……』
その言葉に兵たちに動揺が走る。
「嘘だろう……」
「鷲獅子様は神の定めに反すれば、この世から消し去るとおっしゃっていた。俺は嫌だ! やってもいないことで罰を受けるのは!」
「大賢者様も二度はないとおっしゃった! 今度は四聖獣様すべてが国を亡ぼしに行くと警告していた! もう終わりだ!」
兵たちが口々に叫んでいる。
「落ち着け! これは敵の策略だ! 私にそのような意図はない!」
私が叫んでも誰一人反応しない。
その間にもラウシェンバッハの話は続いていた。
『皆さんもご存じかもしれませんが、私は大賢者マグダ様より弟子と名乗ることを許されております。つまり、大賢者様にいつでも意見を述べることができるのです。既に我が配下の影を叡智の守護者の塔に走らせています』
舌打ちをしたくなるが、努めて冷静に兵たちに声を掛ける。
「弟子であっても大賢者様が軽挙妄動されるはずがない! 敵の策略に乗せられるな!」
私の声は周囲の者に聞こえているが、拡声の魔導具を使うラウシェンバッハより少ない。
『私はこの事実を包み隠さず、また、何も付け加えずに報告しました。大賢者様がどのようなご判断をするのか、非才の身には分かりかねますし、私如きの言葉で四聖獣様や大賢者様が動かれることはないでしょう。ですが、大賢者様は私が嘘偽りを言う者ではなく、また、世界の存亡を第一に考えていることを理解してくださっています。更に言えば、先日鷲獅子様からも我が軍を疑ったことに対する謝罪の言葉をいただきました』
大賢者の弟子であり、四聖獣からも信頼されていると伝えてきた。
一方的な恫喝だけであった我々との違いを明確にしてきたが、そのことに驚きを隠せない。
(あの強大な力を持つ鷲獅子様から謝罪を引き出しただと……言葉を発するだけでも寿命が縮む思いであったのだ。信じられん……)
兵たちも私と同じく驚愕している。
(この状況はまずい。兵の動揺を抑えるだけではなく、鷲獅子様に対しても奴以上に説得力のある言葉で説明せねばならんのだから……)
そんなことを考えるが、奴は更に追い打ちを掛けてきた。
『大賢者様がいらっしゃるグライフトゥルム市はここから約三百キロ。影の足であれば、遅くとも明後日の朝には到着できるでしょう。それに鷲獅子様がいらっしゃるヴォルケ山までは百五十キロほどです。グライフ様の力強い翼であれば、一時間ほどで到着されることでしょう……』
兵たちが絶望する。そして武器を捨て、跪いて許しを乞うている。
「俺たちは何もしていないんです! お許しを!」
「神よ! お助けください!」
ラウシェンバッハは兵たちの動きが分かっているかのように話を変えてきた。
『先ほど赤狼騎士団と黒狼騎士団が松明を持って山に入ったという報告を受けました。火を点ける意図がないにしても、この事実は非常に重いと思います。それにそろそろ暗闇が迫ってきました。万が一、松明に火を点ければ、その時点で一切の言い訳はできなくなるでしょう。もしグライフ様の慈悲に縋るつもりがあるのであれば、直ちに彼らを引き揚げさせるべきです。今ならまだマルシャルク殿が暴走したという言い訳ができる可能性はゼロではありませんから』
嫌らしいことに私を貶めてきた。
「奴の声に耳を傾けるな! 森に火を放つなどと私は一言も書いていない! ここで動揺すれば奴の思う壺だ!」
しかし、私の声は誰の耳にも入っていなかった。
「まだ日は落ち切っていない! 今ならまだ間に合う!」
「赤狼騎士団と黒狼騎士団に伝令を送れ!」
兵が勝手に動こうとしている。
「伝令など不要! 敵の策略に乗せられるな!」
私が止めに入ろうとしても、彼らは私を無視して西に走り出す者が続出する。
『最後に伝えておきます。先ほども申し上げましたが、我が軍はあなた方の安全を保証しました。しかしながら、皆さんは侵略者であり、グライフ様の制裁を受けたとしても我が国に同情する者は誰もいません。もちろん私もです。我々がマルシャルク殿の要求を呑む際、どのような思いをしたか、あなた方にも容易に想像できるでしょう』
突然変わった話に走り出した兵たちの動きが止まる。
(何が言いたいのだ?)
私には彼が何を言いたいのか理解できなかった。
『ですが、悔い改め、良き隣人となるのであれば、望みはあります。もう一度言いますが、私は大賢者様の弟子と名乗ることを許された者です。そして、大賢者様には今後二度とこのようなことが起きないように手を打たねばならないとお伝えし、この戦いの後に協議するためのお時間をいただいています。法国軍の兵士諸君、今ならまだ間に合うのです』
奴の優しげな声を受け、兵たちの顔に希望の色が見えるようになった。
これで止めを刺された。
今の言葉で鷲獅子様に怯える兵たちは、私より大賢者の弟子である奴のいうことを聞くべきだと考えるはずだ。
(見事なものだ。情報操作の達人というのは真のことだったな。我が軍の兵が鷲獅子様の怒りに触れ、怯え切っていることを看破している。普段ならこの程度の誘導にすべての者が引っかかることはないのだが……)
そこで何が悪かったのかと考えた。
(欲を掻きすぎた報いなのだろうな。マルクトホーフェンの要請など無視して帰国していれば、最低限、私は今の地位を確保できただろうし、今後に繋げることもできた。しかし、これで私の退路は完全に断たれた。あとは一人でも多くの兵を帰国させるため、私一人の責任であったとグライフ様に認めさせる方法を考えることしかできない……)
私はその場で立ち尽くすことしかできなかった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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