第四十六話「駆け引き:その一」
統一暦一二一五年七月九日。
グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ東、西方街道上。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
ラウシェンバッハ騎士団はレヒト法国北方教会領軍に執拗に攻撃を加えていた。
しかし、敵は狭い街道を利用して頑強に抵抗し、未だに崩壊の予兆はない。
(さすがはマルシャルク団長だな。兵力的に余裕があるとはいえ、減っていく物資と昼夜問わず攻撃される状況にあっても兵の士気を保っている。彼だけは生かして返すわけにはいかないな……)
当初、マルシャルクは戦略家としては優秀だし、組織運営者としても秀逸だと思っていたが、王国内に侵攻した後の戦いを見る限り、指揮官としては二流止まりだと思っていた。
しかし、この撤退戦では用兵家としてはともかく、統率者としての能力も侮れないと思い始めている。
その追撃戦も最終盤に突入しようとしていた。
敵の先頭はライゼンドルフの入り口にある防衛線に到達し、北方教会領軍は前後を王国軍に抑えられる形になった。そして、あと数日で物資が底を尽くはずだ。
「マルシャルクは何をしてくるのだろうな」
総司令官であるラザファムが聞いてきた。
「正攻法なら、ライゼンドルフに強引に攻め込むくらいしか打開策はないね。もっともケッセルシュラガー侯爵もそれに対応すべく、強固な防御陣を構築して待ち構えているけど」
「兵の質ならケッセルシュラガー軍より法国軍の方が上だ。いくら防御を固めても法国軍が死兵となって攻撃したら耐えられないのではないか?」
神狼騎士団の兵士は全員が身体強化を使える。
二倍から三倍程度で使える時間も短時間だが、逆に言えば、それだけの能力を持つ兵が死に物狂いで襲い掛かれば、通常の兵士なら恐慌に陥る可能性が高い。
「その点も大丈夫だよ。メルテザッカー殿には対抗策を伝えてあるから」
対抗策と言っても大したものではない。
頑丈な防護柵と五メートルにもなる長槍で守りを固め、長槍兵の隙間から弩弓兵が狙撃するというものだ。
つまり、エッフェンベルク騎士団の戦い方に近い方法で、かつそれを更に強化したものと言える。特に弩弓兵の数を多くするように言ってあるから、防護柵の前に敵兵の死体の山ができるはずだ。
この他にも山を強引に突破してきた際の遊撃戦のやり方も伝えてある。ラウシェンバッハ騎士団の第四連隊と偵察大隊が支援する体制を構築しており、奇襲を受けることはないはずだ。
その説明をすると、ラザファムも納得した。
「なるほど。だとすると、敵も打つ手がなくなり、降伏勧告を受け入れるかもしれないということだな」
「そうなってくれると楽でいいけど、降伏の条件にマルシャルク団長の身柄は絶対に入れるから、素直に従うかは微妙だと思っているよ」
そう言ったものの、手を拱くつもりはなかった。
どちらの方向にも突破は敵わず、物資も尽きる。降伏の条件を大々的に伝えることで、マルシャルクが反対しても兵たちが納得しないように誘導するのだ。
「しかし手がないのだろう? いや、さっき正攻法ならと言ったな。何か手があるのか?」
「一つだけある。やられると困る手が……」
そこまで話した時、通信兵がやってきた。
「イリス様より通信が入っております。マティアス様に至急相談したいことがあるとおっしゃっておられます」
そう言って受話器を渡してきた。
■■■
統一暦一二一五年七月九日。
グライフトゥルム王国中部ライゼンドルフ東、西方街道上。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人
午後三時頃になり、そろそろ交代の時間だと考えていた時、通信兵がやってきた。
「偵察隊からの報告です。敵将マルシャルクが前線近くに来ております」
その報告に義弟のヘルマンが好戦的な笑みを浮かべている。
「前線で自ら指揮を執るのでしょうか? それなら好都合ですね。全力で攻め掛かれば、討ち取ることができますから」
「それが狙いかもしれないわよ。もっとも罠を仕掛ける余裕なんてなかったと思うけど」
敵将の意図が分からず、少しだけ困惑していた。
『敵将に告ぐ! 私は白狼騎士団長、ニコラウス・マルシャルクだ! こちらの要求を記した文書をそちらに投げる。早急に総司令官に連絡し回答せよ。期限は日没。期限までに受け入れの回答がなければ、その文書に記してある打開策を実行する』
それだけ言うと、布袋がこちらの陣の中に投げ込まれた。
中を検めると、先ほどマルシャルクが言ったように封書が入っていた。
「何が書かれているのでしょうか?」
ヘルマンが興味深そうに聞いてきた。この期に及んで逆転できる手はないと思っているからだ。
封書を開き、簡潔な文章を読んでいくと、その内容に怒りを覚えた。
「奴らはまだ懲りていないの!」
書面をヘルマンに渡すと彼も同じように憤っている。
「約二週間前に行った策を再び実行するだと……」
そこに書かれていたのは、こちらの要求が認められない場合、十三日前の六月二十六日に行った策、すなわち森に火を放つ策を再び実行すると書かれていたのだ。
「マティに繋いで、大至急よ」
通信兵に命じるが、怒りで冷静さを保てない。通信が繋がる間に何度か深呼吸をして落ち着きを取り戻していく。
「マティアス様がお出になりました」
受話器を受け取ると、すぐにこちらの状況を説明する。
「マルシャルクは北方教会領軍がヴェストエッケに戻るまでの安全の保証と、食糧などの必要物資の提供を要求してきたわ。引き換えの条件が約二週間前に行った策、すなわち火計を実行しないこと。ライゼンドルフとその周辺の民一万の命が惜しければ、要求を呑めとあるわ。以上」
『やっぱりその手できたか……悪いけど、その文書を持って大至急総司令部に戻ってくれないか。今後の対応を協議したいから。以上』
驚いたことにマティはこのことを想定していたようだ。
「了解。とりあえず攻撃は中止するけど、ラウシェンバッハ騎士団は引き続き警戒させるわ。それでいいわね。以上」
『それで構わない。ヘルマンには第四連隊を周囲の山に派遣して警戒を強めるように伝えてほしい。以上だ』
ヘルマンにそのことを伝え、護衛のみを引き連れて馬を走らせる。
総司令部は十キロメートルほど後方にあり、三十分ほどで到着した。
既に兄様やハルトも集まっており、すぐに会議が始まった。
「まずはその文書を読んでくれないか」
夫の言葉に私は頷き、文書を読んでいく。
「レヒト法国北方教会所属神狼騎士団はグライフトゥルム王国軍に対し、以下の要求を行う。一つ、ライゼンドルフを含む西方街道の封鎖を解くこと。一つ、神狼騎士団の行軍に対し、完全な安全の保証を行うこと。一つ、神狼騎士団に対し、食糧及び飼葉等の物資を提供すること。一つ、神狼騎士団の負傷者の治療を行うこと。以上の要求が認められない場合、我々はライゼンドルフ及び周辺の村々に対し、約二週間前に実行した策を実行する。白狼騎士団長、ニコラウス・マルシャルク」
読んでいるうちに再び怒りが湧いてくるが、何とか感情を爆発させることなく読み切った。
「何という破廉恥な! これは完全に脅しではないか!」
兄様が憤っている。
「奴らは四聖獣様を恐れないのか! 信じられん!」
ハルトも憤っているが、全く同感だ。
「大規模な火災が起きれば、ライゼンドルフのケッセルシュラガー軍もそちらに対応しなくてはならなくなるから突破は容易だ。それに前回と同様に追撃もできないだろう。物資はライゼンドルフである程度奪っておき、ヴェストエッケに連絡して運ばせることで何とかなる」
「だからと言って、やっていいことじゃないわ」
「前回は首謀者だけが制裁を受けただけだからね。今回も決死兵を募って実行すれば、それ以外の兵は生き残れる可能性は十分にある。まあ、ブラフの可能性が高いのだけど」
マティの言葉にジークフリート王子が質問する。
「脅しだけの可能性があることは分かるが、実行自体は可能なのだろうか? 以前のように準備はできないし、今の場所ではライゼンドルフまで火が届くことはないと思うのだが」
「難しいですが、不可能ではありませんね。街道沿いの崖も身体強化が使える兵なら登ることは難しくないからです。可燃物はないですが、一万以上の兵が松明をもって火を放っていけば、大火災を発生させることは可能です。その場合、どこまで火が広がるかは分かりませんが、ライゼンドルフの近くに魔窟が生まれ、大氾濫が起きれば、多くの民が命を落とすでしょう」
「しかし、こちらも兵を送り込めば対応できそうな気がするが」
「同じように兵を送り込んだとしても、一度火が着いてしまえば、こちらには木を切り倒すしか対処方法がありませんから、消すことは困難です。それに一箇所でも見逃せば、火は広がっていきますから、圧倒的にこちらの方が不利ですね」
夫の説明に皆、肩を落としていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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