第四十一話「第三王子、鷲獅子と邂逅する:前編」
統一暦一二一五年六月二十六日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、西方街道上。第三王子ジークフリート
レヒト法国の北方教会領軍が撤退のために森に火を放った。
森に火を放つ行為が神によって禁じられ、それを破った者は四聖獣に制裁を受けるということは、辺境にいた私でも知っている。
法国軍の行ったことに驚きながらも、マティアス卿と共に現場に向かう。
出発前、マティアス卿からエッフェンベルク騎士団と共に、リンドウ谷に残るよう言われた。
それに対し、私は反論している。
『王になるのであれば、命懸けで消火活動に当たっている兵たちの姿を見ておくべきだ。彼らの働きに報いねばならないのだから。それに森に火を放つことの危険性も直に見て知っておくべきだと思う』
私の言葉でマティアス卿も納得してくれたが、釘は刺されている。
『おっしゃりたいことは理解しました。しかし、活性化した魔獣がどの程度危険なのか、誰にも分からないのです。それに禁忌とされている理由が他にもあるかもしれません。現地の負担を減らすために、安全なところにいるという選択肢があることも覚えておいてほしいと思います』
『承知した』
その後、マティアス卿の馬車に乗り込み、西に向かった。
馬車には護衛である影しかおらず、この時間を利用して彼に今後のことを確認する。
「打つ手がないという話だったが、本当に何もないのだろうか」
イリス卿に打つ手がないと言っていた通信を横で聞いていたのだ。
「正直なところ、大規模な森林火災を鎮火させる術はありません。火を消すには重曹などの消火剤を使うか、手動ポンプを作って水を大量に撒くという方法がありますが、森林火災ほどの大規模な火災に対し、ただの人に過ぎない我々にできることはほとんどないのです……」
重曹や手動ポンプが何なのかは分からないが、火災への対応も彼の知識にはあるようだ。
そこでマティアス卿は何かを思い出したようだ。
「一つだけ可能性があります」
その言葉に前のめりになる。
「それは?」
「自然に期待することです」
言っている意味が全く分からない。
「自然に期待する? どういうことだろうか?」
「大規模な火災が起きると、空気が暖められて上昇気流が生じます。上昇気流が起きれば、地表面に近い暖かく湿った空気が持ち上げられ、上空の冷たい空気と接触して雨を降らせることがあります。ただ、真夏のような湿度が高い時期で、強い上昇気流でも起きない限り、そのようなことは起きませんから、神頼みという感じでしょう」
マティアス卿の知識の広さと深さに驚くが、可能性があると分かっただけでも希望は持てる。
「それよりも早急に魔獣対策を行う必要があります。現地から東に三十キロ行けば、ノイムル村がありますし、西にも小さいですが村があります。それに大氾濫が発生すれば、西方街道の他の宿場町にも影響が出るでしょう。ラザファムもその辺りは分かっていますから、魔獣を倒すことに注力していると思いますが、効果的な対策を立て、実行しなくてはなりません」
その言葉に大きく頷く。
私も辺境にいたこともあり、魔獣の恐ろしさを聞かされていたからだ。
魔獣は普通の獣と違い、憎悪しているかのように見境なく人に襲い掛かる。
普段は魔素溜まりから離れることはないが、大氾濫で移動を開始すると、そこに住む者が全滅するまで襲うことをやめない。
また、その集落を壊滅させても他の集落を探すために移動し、同じことが繰り返される。それが下流の町を次々と呑み込む水害に似ていることから、大氾濫と言われるようになったと聞いている。
馬車を走らせ、正午過ぎに火災現場に到着した。
しかし、状況がよくないことはすぐに分かった。
山側では煙が立ち上り、見える範囲だけでも数百メートル以上が燃えており、消火活動が成功しているとは思えなかったのだ。
指揮を執るラザファム卿が私たちのところにやってきた。
「斜面の下側では木の伐採で延焼を防ぐことができましたが、上側は危険すぎて近づけません。このままでは更に高い位置まで燃え広がり、そこから左右に広がるのではないかと懸念しています」
「そうか……最善を尽くしてくれたことは私でも分かる。卿を含め、作業に当たっている者すべてに感謝したい。その上で今後について協議を行う。マティアス卿、現地を見てどうだろうか? 打つ手は見つかりそうか?」
マティアス卿は悲しげな表情で首を横に振る。
「ここまで燃え広がってしまっては、人の手では対処のしようがありません。消火活動はやれる範囲で行い、魔獣への対応を主にした方が建設的です」
「そうか……先ほど言っていた雨には期待できないのだろうか?」
私の問いにラザファム卿らが首を傾げている。
私は馬車の中で聞いた話を掻い摘んで説明し、マティアス卿に視線を向けた。
「風は吹き始めていますが、煙の流れを見る限り、熱による上昇気流ではなさそうです」
「分かった。雨は神頼みだと聞いている。ならば、我らにできることをやろう。ラザファム卿、引き続き全体の指揮を頼む。ヘルマン卿は延焼防止、アレクサンダーは魔獣への対応を。ハルトムート卿とイリス卿の部隊と第一連隊は今後のために休憩させよう。マティアス卿、付け加えることは?」
予め馬車の中で話し合っていたため、私が命令を伝えた。
「法国軍は十キロ以内にはいません。現在位置を探らせてはいかがでしょうか」
法国軍への対応についても聞いていたのに、最初に伝えるのを忘れてしまった。
「ラウシェンバッハ騎士団の偵察大隊から派遣してもらおう。ヘルマン卿、済まないが、偵察大隊に命じてくれないか」
「了解しました。こちらに到着次第、追跡を命じます」
その後、散発的に襲い掛かってくる魔獣を倒していくが、火の勢いは変わらなかった。煙が立ち込め、どこまで燃えているか分からないほどだ。
午後四時頃、突然雨が降り始めた。
「これで火は消えるぞ!」
「もっと降れ!」
兵たちが喜んでいる。
私も雨を避けて馬車に入ったマティアス卿に声を掛けた。
「卿の言っていた通りになったな。さすがは千里眼殿だ」
しかし、マティアス卿は訝しげな表情で空を見つめており、私の軽口に乗ってこない。
「どうしたのだ? 大規模な火災の後に雨が降るといったのは卿だが?」
「私の勘違いかもしれませんが、不自然な気がします。カルラさん、ユーダさん、魔導の可能性は考えられませんか?」
その問いに彼の護衛である影のカルラが答える。
「僅かですが、上空で魔素が動いた気がしました。ユーダ、あなたはどう?」
「私も同じ印象を受けました。ただ、自然現象と言われれば、否定できません」
ユーダも何か感じていたようだ。
「少し様子を見て、雨が十分に降ってくれるようなら、山の中に残った火種を消しましょう。それまでは兵の体力を温存させた方がよいでしょう」
「そうだな」
そう言ったものの、既にラザファム卿が命令を出しており、魔獣に対応する部隊以外は燃え残った木の下でマントに包まって雨宿りを始めていた。
私もマティアス卿の馬車に入り、雨宿りをする。
もっと降ってくれと祈っていると、それが通じたのか、一時間ほど本降りの雨が続いた。
雨が止み、雲が去っていくと、太陽の光が差し込んできた。そして、美しい虹を作る。
山の上の方を見上げると、雨が降る前のような黒い煙はなく、白い靄が掛かっているだけだった。
「ハルト隊は山に登れ! イリス隊は魔獣に対処せよ! ラウシェンバッハ騎士団と伐採隊は野営準備を行え!」
ラザファム卿が次々と命令を出していく。
「鷲獅子が降りてきます」
私の護衛である影のヒルデガルトが上空を指差す。
見上げると、猛禽類とは違ったシルエットが見えた。
すぐに兵たちも気づいた。
「四聖獣様がお怒りだ!」
「俺たちは何もやっちゃいません。お許しを!」
兵たちは恐れ慄き、平伏している。
「恐れる必要はない! お怒りを買うようなことは何もしていないのだからな!」
ハルトムート卿が陽気な声で叫ぶが、兵たちの態度は変わらなかった。
私自身、鷲獅子が近づくにつれ、その威容に圧倒され、膝を突きそうになっている。
「ハルトも言っていましたが、私たちは何も恥ずべきことはしていません。説明は私がします。殿下はラザファムと共に後ろで待機していてください」
本来なら責任者である私が説明すべきだが、上手く説明できる気がしない。ここはマティアス卿に任せるしかないと思い、頷いた。
鷲獅子がゆっくりと野営地の真ん中に降りてきた。
その背には大賢者マグダの姿があり、思わず安堵の息を吐き出してしまった。
(大賢者がいるなら、我々がやっていないと分かってくれるはずだ)
しかし、鷲獅子が放つ威圧感は変わらず、背中に冷たいものが流れていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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