第三十五話「西方街道追撃戦:その六」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、西方街道上。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
撤退戦が始まってから五時間ほど経った。
防御陣から五キロメートルほどの場所まで後退している。
(さすがにラウシェンバッハの軍は強い。我らが死を覚悟して突撃しても止められぬ。明日の朝まで粘るつもりだったが、ここが限界のようだな……)
既に三千近い兵が討ち取られ、俺の周りには千五百ほどしか残っていない。
最初のうちは少数の決死隊と弓兵隊で足止めをしようとしたが、数回の攻撃で対応方法を見いだされてしまった。
そのため、街道から外れて丘の上に潜んで奇襲を掛けさせようとしたが、敵の偵察隊に見つけられ、逆に敵が送り込んだ別動隊に殲滅されてしまう。
こうなったら正攻法しかないと、街道の幅を埋め尽くす戦力、具体的には五百人で防御陣を作り、待ち構えてみた。
これなら同数での戦いになるから、死を覚悟した我々の方が有利だと思ったからだ。
しかし、これも失敗に終わった。
我々餓狼兵団は早朝から森の中での行動が続き、疲労がピークに達していた。命令を出してもすぐに動ける者はほとんどいないほどだ。
一方のラウシェンバッハの軍は一時間ごとに兵を入れ替えている。
そのため、疲れなど一切見えず、逆にやる気が漲り、指揮官が抑えるような命令を出していると聞いている。
その差がはっきりと出てしまった。
最初の五分ほどは互角に戦えるものの、すぐに突破を許し、包囲殲滅されてしまうのだ。
それでも兵の数が多い分、時間は稼げた。
しかし、その戦法も二回で終わった。敵がすぐ後ろに迫っており、陣を構築する余裕がなくなってしまったのだ。
敵が迫っても疲れ切った兵たちは座り込んだまま動けない。
「立て! それでも神に認められた名誉普人族か! 家族のため、一族のために最後に力を振り絞れ!」
俺の叱咤に兵たちはノロノロと立ち上がる。
「一番隊はここで敵を待ち受ける! 残りの者は丘の上に登れ! 我ら一番隊が敵に突撃を掛けたら、丘を駆け下りて側面を突け!」
自暴自棄になったわけではない。
兵の疲労を考えれば、これ以上、後退しても時間が稼げないと判断しただけだ。
敵兵を一人でも道連れにする勢いで攻めれば、敵は守りを固める。守りに入れば、こちらが全滅するまでに時間が掛かるから、それで僅かでも時間が稼げると思ったのだ。
「五人一組で敵に当たる! 組の誰かが攻撃した相手を全員で攻撃するのだ! 仲間がすべて倒れたら、どこかの組に入れ! 敵を一人でも多く道連れにするぞ! 餓狼兵団の意地を見せつけてやるのだ!」
「「「オオ!」」」
兵たちが気力を振り絞って歓声を上げた。
俺は司令部直属の伝令、黒犬族のハリーを呼んだ。
伝令の中で一番若く、まだ十六歳になったばかりの少年で、この中では一番元気そうだ。
「ハリー、お前は俺たちの戦いを見届けた後、これをマルシャルク閣下に渡すのだ。そして、閣下から問われたら事実のみを伝えろ」
そう言って予め作っておいた、これまでの戦いの報告書と今後の部隊編成方針の素案を彼の手に押し込む。
ハリーは目を見開き、反論してきた。
「嫌です! 俺も一緒に戦います!」
「駄目だ。ここで全員が戦死すれば、敵の状況を伝えることができん」
「なら、他の人でもいいんじゃないですか! 俺より足の速い人はいっぱいいます! だから一緒に戦わせてください!」
必死に訴えてくる。
「他の者では途中で力尽き、本隊まで辿り着けん。それにお前は目がいい。暗闇の中でもお前なら閣下のところまで辿り着ける。誰かが一族や家族に俺たちのことを伝えなければならんのだ。それをお前に頼みたい」
俺が頭を下げると、ハリーは驚いたのか声が出ない。
「敵の偵察隊がいる可能性がある。丘に登る隊と一緒に上に行き、少し離れた場所に身を隠せ。あとはタイミングを見て西に向かえ。分かったな」
俺に取り付く島がないと感じたのか、ハリーは小さく頷く。
それから細かな指示を与え、俺は最後の一戦に向けて気合いを入れ直した。
■■■
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、西方街道上。ラザファム・フォン・エッフェンベルク伯爵
追撃開始から五時間。
餓狼兵団はついに観念したようだ。
「敵は最後の攻撃を仕掛けてくる! 死に物狂いの攻撃だが、冷静に対処すれば、問題はない! 防御を固め、敵の動きが鈍ったところで攻撃するのだ!」
兵たちに注意を与えた後、義勇兵団を率いているアレクサンダー・ハルフォーフ殿に声を掛ける。
「私はここで指揮を執る。アレク殿は前線で兵たちを鼓舞してほしい」
「承知した。まあ、鼓舞というより俺も前線で暴れるだけなんだが」
そう言って苦笑する。
「卿なら後れを取ることはないと思うが、敵は最後の一兵まで死に物狂いで攻撃してくる。普通なら倒れるような負傷を与えても油断しないでほしい」
「了解だ。イリス殿とハルト殿にその辺りは聞いている。兵たちにも油断しないよう俺からも徹底しておこう」
それだけ言うと、前線に向かった。
伝令を呼び、第一連隊のエレン・ヴォルフ連隊長への命令を伝える。
「エレンに伝えてくれ。第一連隊は丘を登り、敵の側面に出られる位置につくように。戦場への突入はエレンの判断に任せる」
ハルトムートとイリスにも伝令を送った。彼らには特に指示することはなく、自らの判断で最善の行動を採ってくれとだけ頼んでいる。
伝令が走り出したところで、通信兵を呼ぶ。
「通信兵! マティアスに繋いでくれ」
すぐに通信の魔導具にマティアスが出た。
『こちらマティアス。何か問題でも? 以上』
「問題は発生していないが、君の助言が欲しい。敵は最後の決戦を挑んでこようとしている。第一連隊は敵の側面に出られる位置に移動させた。ハルトとイリスはこちらの状況を見て動いていいと伝えてある。何か注意すべき点があれば教えてほしい。以上だ」
すぐにマティアスから返答が来る。
『私がグラオベーア兵団長なら一人でも多くの敵を道連れにしようと考える。それを防ごうと守りを固めれば、それだけ時間を稼げるからね。しかし、餓狼兵団の兵士たちは疲弊している。時間が経てば気力が尽きて攻撃の手が緩んでしまう。ここまではいいかな? 以上』
昔と同じようにこちらが理解しているか確認してきた。
そのことが懐かしく、微笑ましい気持ちになるが、今は決戦の前だと気を引き締めて答える。
「言いたいことは分かる。時間を稼ぎたいが、兵たちの体力と気力がもたないというジレンマを抱えていることは理解している。以上だ」
『兵たちの気力を保つために一番いいのは指揮官が鼓舞すること。恐らくグラオベーア兵団長は前線近くに出るはずだ。兵団長が自分たちと一緒に戦っていれば、兵たちの士気は確実に上がる……』
その点は気になっているところで、彼の説明に集中する。
『しかし、逆に言えば、グラオベーア兵団長さえ討ち取ってしまえば、敵兵の士気は一気に落ちるということだ。それに討ち取れなくとも、彼が下がれば兵たちの気力は保てない。結果として、早く終わらせることができるということだ。そのためにはアレクサンダー殿がグラオベーア兵団長に迫れる体制を作ることが重要だ。以上』
相変わらず、こちらが見逃している点をきちんと指摘してくれた。
前線に近いところで鼓舞することはある程度想定していたが、対処法まで考えていなかった。彼はそれが諸刃の剣であり、チャンスだと教えてくれたのだ。
「了解した。アレク殿は前線に出ることになっているが、グラオベーアが見つかったらそこに向かうように言っておく。他には何かあるか? 以上」
『イリスを近くに呼んだ方がいいね。予備兵力はハルトの隊だけで充分だし、私のところからでは戦場が見えないから、彼女の方が適切な助言ができると思うから。以上』
「確かにそうだな。助かったよ。では、これより指揮に専念する。以上だ」
そう言って通信を切った。
すぐにアレク殿に指示を出し、イリスを呼び出す。
「ハルトには悪いけど、いいところで呼んでくれたわ。後ろでやきもきしたくなかったもの」
妹はそう言って笑っている。今から死闘が始まるとは思えないほど暢気な表情だ。
「ユリウスがいてくれたら、もっと楽だったんだけどね。でも、アレク殿でも十分すぎるわ。彼なら一人で百人くらいは倒せそうだから」
私たちの同期、“魔弾の射手”のユリウス・フェルゲンハウアーがいれば、グラオベーアを狙撃で仕留めることができるからだ。
「いずれにしても損害を最小限にすることが我々司令部の役目だ。適切な助言を頼んだぞ。“月光の剣姫”殿」
ユリウスの二つ名を思い出し、戯れで妹を二つ名で呼んでみたが、口を尖らせて抗議し、反撃してきた。
「その恥ずかしい名で呼ばないでよ! “氷雪烈火”殿」
「悪かった! 私もその名で呼ばれるのは死ぬほど恥ずかしいんだ」
そこで二人で大笑いする。
周りの兵たちは私たちを見て、同じように笑っていた。
私と妹は期せずして兵たちの緊張を解くことに成功した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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