第三十三話「西方街道追撃戦:その四」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、西方街道上。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
追撃戦が始まり、一時間ほど経った。
青狼騎士団が伐採した木に火を着けて敵陣に煙を送り込み、混乱したところに矢を放つ。
この策を考えたのは青狼騎士団長のハンス・ユルゲン・ゲラート殿だ。五千名近い兵が一時間ほどかけて集めた木や草はそれなりに多い。
但し、その話を聞いた際、私は禁忌を犯すことを躊躇い反対した。
「丘の上は森に繋がっています。危険ではありませんか」
しかし、マルシャルク閣下はゲラート殿の策に賛成した。
「森に火を放つわけではないのだ。街道の端で野営する時に火を使うこともある。そう考えれば、禁忌に抵触するとは言えまい。それにこの時期の立木は燃えにくい。街道沿いだけなら燃え広がることはないだろう。仮に森に火が回りそうになったとしても、王国軍が必ず消してくれる。だから問題はない」
兵たちも最初は嫌がったが、マルシャルク閣下の言葉を伝えることで無理やり納得させている。
火を放つことにしたが、伐採したばかりの木は乾燥しておらず、きちんと着火するか不安があった。そのため、着火用の枯れ草を多く集めてある。
それでも実際に火を着けてみるとすぐには燃えなかった。
そのことに焦ったが、用意しておいた枯れ草に火が回り、何とかギリギリで間に合った。
煙が流れていくのを確認した後、命令を出す。
「矢を放て!」
視界が遮られているため、前線で戦っている味方にも流れ矢が当たる可能性は高い。
俺たち餓狼兵団には専門の弓兵隊はおらず、多少訓練を受けた程度だからだ。
それでも兵たちは矢を放っていく。
その顔は無表情だが、味方を射ることに忸怩たる思いがあるはずだ。それでも必要なことだと、心を鬼にして矢を放っているのだ。
その非情な策が上手くいったと思った時、部下の一人が報告する。
「敵の第二陣が盾兵を送り込みました!」
相変わらずラウシェンバッハ軍の対応は速いと舌打ちをしそうになる。
「構わん! 我らの目的は敵を倒すことではない! 時間を稼ぐことだ! 矢を撃ち尽くしたら後退するぞ!」
本来の作戦では敵が混乱しているところに斬り込み、更に混乱を大きくし敵の足を鈍らせる予定だった。しかし、敵の指揮官が冷静に対処してきたため、ここで斬り込んでも味方に損害が出るだけだと考えて見送っている。
「全力で走るぞ! 走れぬ者は敵の足止めを頼む! 行くぞ!」
既に怪我人が多く出ており、全力で走れない者が多い。家族同然の仲間に命を捨てろという命令は出したくないが、一秒でも時間を稼ぐために涙を呑んで命じた。
障害物の向こう側で戦っている者も含めれば、五百名以上の兵を犠牲にすることになるだろう。それで稼げる時間は火が完全に消えるまでの二十分ほどだ。
決して長くはないが、この稼いだ時間で有利な場所に移動できればいいと割り切っている。
(ここから先は防御陣も罠もない。だが、十キロも進めば、街道は更に細くなる。そこまで行ければ、敵に反撃を加えて足を鈍らせることは難しくない……)
我が兵団の兵は三千五百ほどになるが、街道の幅が狭くなれば、一日以上は時間を稼げる。
俺は先行する部隊と共に全力で西に向かった。
■■■
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
「何度も思っているけど、本当に厄介な敵だね、餓狼兵団は」
第二陣の再編作業をしながら報告を受けたが、思わず独り言が出てしまう。
追撃戦が始まったが、餓狼兵団の抵抗が思いのほか強く、更に青狼騎士団が伐採した木に火を放ち、煙幕として使ってきたため、ほとんど進めていない。
火計は地球では大昔からある戦術だが、この世界では攻城戦以外で使われることはなかった。森の中でそれを行えば、一国を亡ぼすことができる代行者、四聖獣の制裁を受けるからだ。
そして、四聖獣はフィーア教だけでなく、レヒト法国の国教トゥテラリィ教でも神の使いとして崇められる存在だ。そのため、指揮官が命じたとしても純朴な兵士は拒否する。
現代で言うなら戦術核兵器を現場の判断で使うことに似ているかもしれない。だから、森の中で火計が行われたことに驚きを隠せなかった。
「兄上が厄介と思う敵というのは初めてのような気がしますよ」
実弟のヘルマン・フォン・クローゼル男爵が笑いながら話し掛けてきた。
彼は第二陣である義勇兵団を率いるため、一緒に再編作業を行っていたのだ。
本来ならラウシェンバッハ騎士団の団長である彼は、騎士団と共にあるべきだ。しかし、義勇兵との付き合いが長いこと、狭い戦場では連隊以下での戦いにならざるを得ず、団長の出番は少ないことから、義勇兵の指揮官になってもらったのだ。
「そうかもしれないね」
そう言って苦笑する。
「義姉上が二番手にいてよかったですね。私ではあれほど的確に支援できなかったと思います」
妻のイリスは二番手の指揮官として、義勇兵一千名を率いている。
「そうだね。私でも無理だと思うよ」
「二番手はハルトムート卿の方がよいのではないかと思っていたのだが、さすがはマティアス卿だな。見事な布陣だと思う」
私たちの会話にジークフリート王子が加わってきた。
「私もそう思います。ハルトさんでも同じように対応できたでしょうけど、義姉上の方が騎士団の兵や義勇兵の士気が上がります。不甲斐ない姿を義姉上に見せまいと奮闘するでしょうから。それも念頭に置いていたのですよね?」
弟の言葉通り、最初からその考えはあった。
「ハルトもアレクサンダー殿も信頼できるけど、義勇兵が暴走しないようにするには彼女が一番だからね。私よりも適任だと思っているよ」
獣人たちの私に対する忠誠心は尋常なものではない。その忠誠心は妻であるイリスにも捧げられているが、彼女の場合、私を守る“同士”という認識があるため、“私の考えに一番沿っている方法”という言い方をすれば、素直に受け入れられる。
「木は燃え尽きたが、敵はこの後どうするのだろうか?」
王子の言う通り、短時間で刈り取った木や草など三十分も掛からずに燃え尽きた。念のため、第一連隊と義勇兵が確実に消火されたことを確認している。
「偵察隊が追っていますが、本隊は全力で撤退しているようです。この辺りより守りやすいところまで行き、そこで時間を稼ぐつもりでしょう」
ちなみにラウシェンバッハ騎士団の偵察大隊三百名と第四連隊は昨日から森の中で活動し続けているため、二個偵察小隊六十名以外は一旦引き上げさせている。
敵の後方に回して撹乱してはどうかという意見もあったが、満足な休息も摂れず、携行食糧だけでこれ以上作戦に従事させることは思わぬミスを招くことから、私の権限で引き上げさせた。
偵察小隊はそれぞれ南北の丘の上に配置し、十名の分隊単位で敵を監視している。餓狼兵団が殿となったことから、哨戒部隊がいなくなり、少数での行動ができるようになったためだ。
「ということは我々の出番は当分ないということですか?」
ヘルマンが何とも言えない表情で聞いてきた。
「そうなるね。何か問題でもあるのかな?」
「義勇兵たちがやる気になっているんですよ。防御陣での戦いでは一千名、追撃戦では三千名ですから、半数しか戦っていません。このまま出番がないと言うと、気落ちするだろうなと思ったんです」
防御陣での戦いではラウシェンバッハ騎士団とエッフェンベルク騎士団が主体だった。複雑な戦術が必要になる可能性は低かったが、指揮命令系統の弱い義勇兵団では不安があったからだ。
「餓狼兵団を殲滅させたとしても、神狼騎士団が二万近く残っているよ。それにライゼンドルフまで半月近く追撃戦が続く。四千の兵を遊ばせておくことはないから、そのことを伝えておいてほしいね」
「兄上の言葉として伝えておきます」
そんな話をしていたら、通信兵がやってきた。
「ラザファム様から通信が入りました」
ラザファムはアレクサンダーの隊に同行し、全体の指揮を執っている。
『敵を突破したが、第一連隊に多くの負傷者が出ている。そちらに移動させるより、治癒師部隊を送ってくれた方が早い。至急派遣してくれ。以上だ』
「了解。すぐに送るよ。以上」
敵の防御陣を突破したが、煙幕を使った奇襲で多くの負傷者を出しているらしい。
ラウシェンバッハ騎士団には約六十名の治癒魔導師がいる。これは王国の正規軍である王国騎士団の倍だ。
それも王国騎士団より優秀な上級魔導師クラスが多く、骨折程度の怪我ならすぐに復帰できるほどだ。
治癒魔導師に加え、衛生兵三十名も派遣する。
「追撃はイリスの隊か。無茶しなければいいんだけど……」
そんなことを思いながら、情報を整理していった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
感想、レビュー、ブックマーク及び評価(広告下の【☆☆☆☆☆】)をいただけましたら幸いです。