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第三十二話「西方街道追撃戦:その三」

 統一暦一二一五年六月二十五日。

 グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、西方街道上。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人


 エレンの第一連隊が敵の殿(しんがり)部隊である餓狼(フングリヒヴォルフ)兵団(トルッペ)を押している。途中で少しヒヤリとする場面があったが、援軍がいると露骨に見せたため、グラオベーア兵団長は攻撃の手を緩め、すぐに陣形を整えている。


(凄いわね。我が軍に来てくれたら、すぐに将軍に推薦するのだけど……まあ、絶対に無理なのだけど、もったいないわ……)


 そんなことを考えてしまうほど、グラオベーアの指揮は秀逸だった。


「イリス様、もう少しお下がりください」


 私の護衛である(シュヴァルツェ)(ベスティエン)猟兵団(イエーガートルッペ)のサンドラ・ティーガーが進言してきた。


「それはできないわ。義勇兵たちを率いるには先頭に立つ必要があるのだから」


 私が率いているのは大柄な獣人族(セリアンスロープ)である虎人(ティーガー)族、獅子(レーヴェ)族、熊人(ベーア)族の三つの部隊だ。


 それぞれ四百人、三百人、三百人の計一千名だが、大隊長に当たる者がおらず、通信兵を配置して私が直接指揮を執ることにした。

 そのため、最も指揮が執りやすい前衛にいる必要があった。


「それは分かっておりますが、騎乗されておりますので、とても目立ちます。狙撃兵がいる可能性はゼロではありません。ご自重いただければと思います」


「それも分かっているわ。でも、あなたたちがいれば守り切れると信じているわ」


 それだけ言うと返事を聞かずに、通信兵を呼ぶ。


「ティーガー隊が前に出過ぎているわ。速度を落とすように命じなさい」


 第一連隊のだいたい百メートルくらい後ろにいるが、中央に本隊としてベーア隊、右翼にティーガー隊、左翼にレーヴェ隊という大雑把な配置だ。これ以上の陣形ができるほど軍として成熟していないためだ。


 エレンたちが前進しているため、我々も彼らに合わせて前進しているが、ティーガー族は敵兵を見て逸ってしまったらしい。


「各隊に連絡。出番は必ずやってきます。それまでは第一連隊に任せ、命令通りに進みなさい」


 私の命令が届くと、兵たちに落ち着きが戻る。


(敵は第一連隊の追撃を上手くいなしているわね……)


 最初こそ全軍で守りを固めていたけど、下がり始めてからは千名程度の部隊が矢面に立ち、残りの三千ほどがその後方で三重の陣を敷いている。


(一つの陣を強引に突破しても次の陣で迎え撃つつもりね。それに最前線の兵がある程度削られたら、次の陣が前に出るのかもしれないわ。エレンが抑え気味だから成り立っているのかもしれないけど、見事な撤退戦だわ……)


 感心しているだけでは芸がないので、ラウシェンバッハ騎士団から参謀として呼び寄せた情報参謀のミーツェ・ハーゼに声を掛ける。


「敵の動きを記録しておいて。マティが後で知りたがるでしょうから」


「了解しました。総司令部には適宜報告し、メモも残していますが、正式な戦闘記録という形で報告できるようにしておきます」


 マティに鍛えられただけあって、既に記録は残していたらしい。


「頼むわ……それにしてもエレンもなかなかやるわね。兵に損害を出さずに敵を確実に削っているわ……」


 そこで各隊に指示を出す。


「各隊に連絡。第一連隊の戦いをよく見ておきなさい。彼らの次に戦う私たちが無様な姿を見せないように、どうすればいいのか考えながら見るのです」


 丘の上は第四連隊と偵察大隊が掌握しており、伏兵の恐れはない。そのため、周囲を警戒する必要はなく、兵たちは目の前の戦いを集中して見ていた。

 目的を持って見ることで、過度に興奮しないことも狙っている。


 三十分ほど経ち、辺りが暗くなり始めた。


「灯りの魔導具と松明の準備を」


 獣人族(セリアンスロープ)だけならまだしも、私やハルトのように指揮官が普人族(メンシュ)であるため、戦場の状況を確認するための灯りは必要だ。


 それに獣人族(セリアンスロープ)も夜目が利くとはいえ、暗闇でも昼間と同じように見えるわけではない。また、丘の上から監視し、適宜総司令部に情報を送っている偵察隊も灯りがあった方が正確な情報が得られる。


 だから、事前に準備するようマティから指示されていたのだが、これも伏兵がいないという前提だからこそできることだ。

 伏兵の可能性があるなら、狙撃を防ぐために灯りは極力使わなかっただろう。


 その間に第一連隊が敵の前衛を突破した。

 しかし、予想通りに第二陣が受け止め、前進速度はほとんど変わっていない。


「餓狼兵団もやるわね……各隊に連絡。そろそろ総司令部から第一連隊と交代する命令が出ると思うわ。準備しておくように」


 私の周囲でも大柄な熊獣人たちが武器を握り直している。


 追撃戦が始まって一時間ほど、日は沈み、空はオレンジ色から群青色に染まりつつあった。低い位置に半月の月が出ているが、谷間にある街道は既に暗闇に包まれ、点灯させた灯りが丘を照らしている。

 この間に最初に餓狼兵団と接触した場所から一キロメートルほど進んでいた。


「マティアス様からイリス様に通信が入っております」


 通信兵が私に近づき、通信の魔導具の受話器を差し出す。


「こちらイリス。第一連隊と交代の命令かしら。以上」


『いや、青狼騎士団が伐採した木がある場所が近い。先行して戻っていた五百ほどの兵がそこにいるらしいから、何らかの罠があるかもしれない。注意してほしい。以上』


 第一連隊と餓狼兵団がいるため、その障害物は見えないが、餓狼兵団の後陣が陣形を変えつつあるように見える。


「了解。餓狼兵団が障害物を避けるために丘から降り始めたわ。偵察隊から待ち受けている敵兵の情報はあるかしら。弓を持っているなら注意が必要なのだけど。以上」


『弓や弩弓を持っていないことは確認済みだ。防御陣というには薄く広がりすぎていることが気になっている。以上だ』


 敵の意図が分からず、マティも少し苛立っている感じだ。

 通信を切ると、各隊に罠の可能性があることと第一連隊への支援の準備を命じた。


 それから更に進み、餓狼兵団の陣形は前衛一枚だけに変わった。その後ろの両側の丘には伐採した木や草が無造作に並べられている。


 我々が防御陣の前に置いたものより遥かに少なく、獣人族の身体能力なら簡単に飛び越えられそうだ。


(街道にないのは撤退のためだけど、あの程度では大した障害にならないわ。そんなことはマルシャルクやグラオベーアも分かっていると思うのだけど……もしかしたら!)


 そこであることに気づいた。


「通信兵! 総司令部に連絡! 障害物に火を掛ける可能性あり! 煙で視界を奪い、飛び道具で攻撃してくるかもしれない! 急いで!」


 私の叫びに周囲の兵が訝しげな表情を浮かべている。

 これだけ森に近い場所で火を放つことは禁忌だからだ。


 森で火災が起きると、魔素溜まり(プノイマプファール)が活性化し、強力な魔獣(ウンティーア)が大量に発生する。そして、大氾濫(アンシュトルム)に至り、周辺の町や村に大きな被害をもたらす。


 そのため、故意に行った者は(ヘルシャー)の忠実な僕である四聖獣の制裁を受けると言われており、森に火を放つような行為など考えられないのだ。


 通信兵が総司令部に連絡している間、前線に目を凝らす。

 照明や松明の光だけでははっきりしないが、後衛部隊が丘の上にまで広がっているように見えた。


「ミーツェ、あなたなら敵の後衛部隊が見えるかしら。弓を持った兵はいる?」


「確認します!」


 ミーツェは熊獣人の兵の肩に器用に乗り、目を凝らす。


「敵兵が弓を拾い上げています!」


 どうやら草の中に隠していたようだ。


「ベーア隊! 盾を構えて前進! 第一連隊の盾になるわよ!」


 その命令に被るようにミーツェが叫ぶ。


「伐採した木に火を着けました! 思ったより火の勢いが強いです!」


 すぐに目に染みるような匂いが漂い始め、煙が流れてきた。

 敵は風上という条件を利用し、煙が多く出る伐採したばかりの木や草に火を放ったのだ。


「ティーガー隊とレーヴェ隊は第一連隊の退却路を確保! 第一連隊が下がったら、敵の反撃部隊を撃破しなさい!」


 ベーア隊が前進し、ティーガー隊とレーヴェ隊がそれぞれ丘の上に上がっていく。

 私自身はティーガー隊の方に向かい、視界を確保する。


 煙は充満するというほどではないが、眼を開け続けることは難しい。周囲では鼻が利く者がくしゃみをし、咳き込む者も多かった。


「布で口を覆いなさい! 盾を持っている者は前に出て! ここまで矢が飛んでくるかもしれないから!」


 その直後、前方で複数の兵が苦悶の声を上げた。

 どうやら敵が矢を撃ち込んだようだ。


(してやられたわ。エレンたちは大丈夫かしら……)


 そんなことを考えながら、敵の出方を見守っていた。


下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。

また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。


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