第三十一話「西方街道追撃戦:その二」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
神狼騎士団が撤退を開始した。
我々餓狼兵団はそれを支援するため、殿で敵の追撃を妨害する。
これまでの戦いで約三百の兵を失い、ほぼ同じ数の負傷者を出している。重傷者は後方に送っているが、軽傷者は応急処置だけで部隊に残っているため、総数は四千五百だ。
軽傷者を含めた五百名は本隊とは別の任務を与え、残りの四千人で街道を封鎖する。
「黒狼騎士団が通過したら街道を塞ぐ! 多少突破されても構わん! だが、すぐに穴は塞げ! 味方を逃がすために、マルシャルク閣下を無事に帰国させるため、ここで一分でも長く時間を稼ぐ!」
俺の言葉に兵たちは静かに頷いている。
その表情は思っていたより穏やかだ。俺も同じような表情をしているはずだ。
俺を含め全員が、ここで死ぬことが家族や一族にとって必要なことだと思っているためだ。
黒狼騎士団が通過した。
敵は罠を警戒してか、積極的に攻撃は仕掛けず、距離を取って進んでくる。
俺たちは黒狼騎士団が通過した直後に街道とその両側の丘にV字型に陣を敷いた。街道が一番分厚く、敵の突撃を受け止め、両側の兵は迂回されないように妨害に徹するのだ。
敵の先陣はラウシェンバッハ騎士団のようだ。
逸ることもなく、整然と進んでくる様はそれだけで精鋭だと感じさせるほどだ。
相手にとって不足はないが、一分でも時間を稼ぎたい俺たちにとって一番嫌な相手でもある。
「敵を倒そうと考えるな! 敵は傷つけば下がる! 深追いはするな!」
これはマルシャルク閣下から言われたことだ。
『ラウシェンバッハは兵が死ぬことを極端に嫌う。だから、負傷したらすぐに後方に下げるはずだ。負傷者を下げるために最低でも兵が一人いる。つまり、一人を傷つければ、二人の兵が下がることになる』
森の中の戦いでも動けなくなった負傷者を運んでいる兵を見ており、閣下の言葉に納得していた。
しかし、追撃隊の指揮官はここで手柄を上げるべく、強引に突破するつもりらしい。
マルシャルク閣下は彼らの忠誠心を少し甘く見ていたようだ。
『第一連隊! 突撃! マティアス様のために敵を粉砕せよ! この戦いも俺たちが決めるぞ! 突撃!』
俺より十歳ほど若い狼人族の将が剣を振りながら叫んでいる。
『『『オオ!』』』
兵士たちは明るい表情で応えた。その表情から強い絆があることが分かる。
(ラウシェンバッハに助けられていたら、俺もあの中にいたのだろうか……)
彼らの表情を見て、そんなことを一瞬考えたが、すぐに戦いに集中する。
ラウシェンバッハ騎士団の鋭い攻撃が、俺たちの陣形を斬り裂いていく。
それを埋めようと命令を出そうとするが、その前に別の場所に穴が開けられてしまう。兵たちは命令を待つことなくその穴を埋めようと動くが、強引に押し込まれ、穴を埋めるどころか広げられていく。
「無理に前に出るな! 少しずつ下がりながら攻撃せよ! 三番隊! 投石開始! 二番隊! 一番隊の援護に回れ!」
敵が止まったところで、北側の斜面から用意しておいた石を投げる。
投石の訓練はしているものの、あまり得意ではない。しかし、密集した敵に対し、命中率は悪くなかった。
十人ほどが石を受けて倒れる。
三番隊から歓声が上がるが、すぐに石を投げ始めた。
『右斜面からの投石に注意しろ! 第三大隊に連絡! 投石部隊に攻撃!』
兵たちの声で微かにしか聞こえないが、敵の指揮官はすぐに対応してきた。
斜面では三番隊が敵と切り結び始め、投石が止まる。
戦い始めて十分ほどで血の匂いが充満してきた。
その匂いの原因は我々のようだ。前線で倒れている兵のほとんどが我が兵団の者で地面が真っ赤に濡れている。
「怯むな! 敵を押し返せ!」
そう叫びながら、伝令を呼ぶ。
「二番隊は突撃だ。タイミングは我々が下がった時だ。頼んだぞ」
敵の攻勢が強すぎ、時間すら稼げない。
そのため、用意していた策を早々に使わざるを得なくなった。
(せめて日没までは時間を稼ぎたかったんだがな……)
まだ午後六時頃で、日没には一時間ほどあった。
■■■
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。エレン・ヴォルフ第一連隊長
俺たちは名誉ある先鋒に抜擢された。
戦いが終われば、第二連隊や第三連隊から羨ましがられるだろう。
戦い始めると、敵の抵抗は予想通り強かった。
追撃戦の前、マティアス様から注意を受けていたのだ。
『敵は味方を逃がすためなら全滅してもいいと考えている。そうすることが一族や家族を守ることになるからね。でも君たちは違う。家族のために生きて帰る必要があるのだからね』
おっしゃることは理解できるが、どうしていいのか分からなかった。
『どうしたらいいんでしょうか?』
『敵本隊にすぐに追いつかなくてはいけないと思っていないかい? そんなことはないからね』
いつもの優しい笑顔でおっしゃられるがまだ意味が分からない。
俺が困惑の表情をしていると、更に説明してくださった。
『神狼騎士団は普人族しかいない。つまり、日が落ちれば行動に支障が出る。もちろん松明や灯りの魔導具を使うのだろうけど、明るい時とは比較にならないほど行動しづらいはずだ。それに彼らは早朝に出発し、二十キロほど行軍した後に戦っている。だから相当疲れているはずだ。つまり、行軍速度が一気に落ちるということだね』
そこでようやく理解できた。
俺たちラウシェンバッハ騎士団や義勇兵団は夜目が利くから暗くなっても行動できる。特に義勇兵団は戦闘に参加していないから疲れていない。いつも通りに追撃できるはずだ。
だから無理に突破する必要はないということだ。
そのため、俺は部下たちに無理な攻撃は命じていなかった。但し、それが敵に伝わると更に時間稼ぎをされるため、戦場では強引に突破するような命令を出すと言ってある。
「第二大隊! 斬り込め!」
その命令通りに第二大隊は前進するが、冷静さを保ったまま、敵兵を一人ずつ確実に始末している。
(これで敵将も焦るはずだ。そこに勝機がある……)
そんなことを考えた直後、敵が動いた。
中央の部隊が下がり始め、それに釣られるように直属の第一大隊が前に出る。
その直後、殺気のようなものを感じ、首筋がヒヤリとする気がした。そして右を見ると、敵の投石部隊の後ろから伏兵が現れ、雪崩を打ったように突撃してくる。
「第一大隊! 前進中止! 右翼側に注意せよ! 第三大隊に連絡! 敵を正面から受け止めるな!」
その命令は僅かに遅かった。
第三大隊は敵の投石部隊の妨害をすべく、丘の斜面で強引に距離を詰めていたが、それが仇になった。
敵兵は第三大隊の兵士を巻き込みながら斜面を転げ落ちていく。そこに戦術などなく、ただ闇雲に我が方の兵士に組み付いてくるのだ。
武器での攻撃を想定していた第三大隊の兵たちはその行動に対応できなかった。
そして、その策によってできた隙間に投石部隊が走り込み、第一大隊の側面に出ようとしている。
更に後退したはずの正面の敵もそれに合わせて前進しており、このままでは第一大隊は二方向からの攻撃を受けることになる。
「第一大隊! 守りに徹しろ!」
叫びながら戦場を見回して支援できそうな部隊を探すが見つからない。
「無理に攻撃するな! 守りに徹するんだ!」
同じことを叫ぶしかなく、口惜しい。
「イリス様の部隊です!」
兵の声で後ろを振り返ると、義勇兵団の先頭を進むイリス様の姿が見えた。
真っ白な装備で白馬に乗っているため、歩兵しかいない義勇兵団の中では非常に目立つ。
側面から襲ってきた敵もイリス様の部隊に気づいており、動揺が広がった。
これでこの奇襲に耐えられると判断し、今度は兵を鼓舞することに切り替える。
「第一連隊よ! ここが踏ん張りどころだぞ! イリス様の手を煩わせるな!」
兵たちも敬愛するイリス様に助けられたことを恥じ、攻撃が激しくなる。マティアス様のご命令には反することだが、ここは攻勢を強めた方が損害は少なくなると割り切った。
それが功を奏したのか、餓狼兵団はゆっくりと下がり始める。しかし、その動きに隙はほとんどなかった。
「攻撃中止! 隊列を整えろ! すぐに追撃に移るぞ!」
こうして一度距離を取るが、思った以上に兵が倒れていた。
「衛生兵は負傷者を後方に下げろ! 各大隊長は損害状況を確認しつつ隊形を整えろ! 急げ!」
俺たちはすぐに隊形を整え、追撃を再開した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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