第二十九話「エンツィアンタールの戦い:その十三」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。第三王子ジークフリート
敵の動きが更に慌ただしくなってきた。
伝令たちが各部隊を行き来し、それに従ってこれまでと違った動きを見せている。
一番大きな動きは、北の丘から戻ってきた青狼騎士団と餓狼兵団が、休む間もなく行動を開始したことだ。
「偵察隊からの報告です。青狼騎士団と餓狼兵団が北側の丘を登っています。場所はここより西約二キロ、目的は不明とのことです」
情報参謀からの報告にマティアス卿が首を傾げる。
「餓狼兵団はともかく、青狼騎士団がこの時間から林に入っても役に立たないと思うのだけど……監視を強化するように伝えてほしい」
更に前線での戦闘も激しくなってきた。
これまでこちらを翻弄するような攻撃を行っていた赤狼騎士団が突如、強引に突破を狙うような激しい攻撃に切り換えたのだ。
「アレク殿に連絡。敵の動きに惑わされるな。目の前の敵だけを相手にするよう兵たちに徹底させてほしい」
私の護衛騎士アレクサンダー・ハルフォーフは義勇兵一千名を率いて左翼で防衛戦を指揮している。何箇所かで押し込まれているものの、ここから見る限り危なげはない。
しかし、完璧に抑え込んでいるラウシェンバッハ騎士団やエッフェンベルク騎士団に比べると不安があるのか、ラザファム卿が気にしている。
「偵察隊からの情報です。青狼騎士団が丘に生えている木を伐採し始めました。餓狼兵団は丘の上をこちらに向かって移動しています」
情報参謀が報告すると、マティアス卿の表情が曇る。
「青狼騎士団は何をしているんだろうか? 防御陣を作ろうとしているのかな? それとも大規模な罠……」
千里眼と呼ばれるマティアス卿が悩んでいる姿は珍しい。
「偵察隊からの情報です。黒狼騎士団が前進しています。午前中と異なり、騎乗の兵も多いとのこと」
報告が入るが、前線では戦闘が更に激しさを増している。
「ディートリヒに連絡。長弓兵隊は中央に攻撃を集中させろ……」
赤狼騎士団は中央でも強引な攻撃を行っており、防護柵に取り付こうとしている。そのため、エッフェンベルク騎士団の団長ディートリヒ卿が対応に苦慮しているようだ。
「第四連隊からの報告です。別動隊の白狼騎士団が北に転進。このままの速度なら三十分後に左翼の側面に到着するとのことです」
「マティ! 別動隊に第一連隊を当てたい。問題はないか?」
ラザファム卿がマティアス卿に確認する。
「問題はないけど、敵の動きが不自然だ。第四連隊の妨害は継続させるが、第一連隊はギリギリまで動かさない方がいい」
確かに私にも不自然に見える。
「了解だ。だが、このままではアレク殿に大きな負担が掛かる。タイミングを間違えないでくれよ」
戦いの喧騒だけでなく、血の匂いが防御陣の後方五十メートルにある本陣にまで届き始めた。
「偵察隊からの報告です。餓狼兵団が前進を止めました。位置はここより西約一キロ。部隊間で頻繁に連絡を取り合っているとのことです。青狼騎士団は作業を継続中です」
私には何が起きているのかさっぱり分からなかった。しかし、この緊迫した状況でマティアス卿に聞くわけにもいかない。
「戻ったわよ。ずいぶん派手に戦っているようね」
振り返ると、イリス卿がハルトムート卿と一緒に立っていた。
「お疲れさま。いいところに戻ってくれたよ。ハルト、疲れているところ悪いけど、ディートのところに応援に入れるように準備しておいてほしい。中央の攻勢が強くて厳しいみたいだからね」
「了解だ。突撃兵旅団はここで待機させておく。疲れていると言っても、この程度で動けなくなるような柔な奴はいないから、いつでも命令してくれ」
それだけ言うと、ハルトムート卿は突撃兵旅団に戻っていった。
「イリス、君には私と一緒に敵の動きについて考えてほしい。単純に攻勢を仕掛けてきているとは思えないんだが、敵の意図が読めない」
そう言いながら、情報が掛かれているメモと地図を見せる。
「確かに大攻勢を掛けてきているように見えるけど、青狼騎士団と餓狼兵団の動きが妙ね……大攻勢なら餓狼兵団をもう少し前進させるはずなんだけど……」
二人の天才軍師が頭を悩ませているが、更に情報が入ってくる。
「赤狼騎士団が下がっていきます。代わりに黒狼騎士団が前に出ました」
いつの間にか黒狼騎士団の前衛が到着していたようだ。
「第四連隊から情報です! 白狼騎士団が西に転進! 第四連隊に向かっているそうです!」
大攻勢の邪魔になる第四連隊を排除しようとしているようだ。
私がそう考えた時、イリス卿が叫ぶ。
「分かったわ! 敵は撤退する気よ!」
次の瞬間、マティアス卿も声を上げる。
「そう言うことか! ラズ! 敵の攻勢は長く続かない! とりあえず、現状維持に努めるよう、各部隊に指示を出してほしい」
「了解だ。敵は撤退前に一度押し込もうとしていると考えていいのだな」
「それで間違いないよ。追撃は第一連隊と義勇兵団がいいと思う。準備をさせてもいいかな」
「それも了解だ。だが、追撃隊の指揮官はマティ以外だ。これは譲れん」
「分かっているよ。私が一緒だと足手まといだからね」
それだけ言うと、マティアス卿は通信兵に指示を出す。
「義勇兵団に連絡。事前に指示してある追撃戦の隊形で待機せよ。エレン! こっちに来てくれ!」
私は知らなかったが、既に追撃戦の具体的な指示まで出してあったらしい。
マティアス卿はエレン・ヴォルフ連隊長を呼び、指示を与え始めた。
その間にイリス卿に話を聞くことにした。
「忙しいところ済まないが、敵が撤退を考えているというのは、どこで分かったのだろうか?」
イリス卿は疲れているはずだが、にこやかな表情で説明し始めた。
「まず、青狼騎士団が丘に登って木を伐採し始めたところが異常です。恐らく、その木を障害物にして我々の追撃部隊を待ち受けるのでしょう」
「なるほど。それは分かった。しかし、白狼騎士団の動きや前線での攻勢、それに餓狼兵団が近づいてきたから突破を狙っているようにしか見えなかった。他には何か理由があるのだろうか」
「白狼騎士団の別動隊の動きは少し違和感がありますね。途中で餓狼兵団から伝令が出たようなので、その時点で作戦が変更になったのではないかと思います。それに赤狼騎士団の攻勢が別動隊への伝令のすぐ後からでした。別動隊と連携するなら、こちらの陣に動きがあってから攻勢を強めるはずです。タイミングが早すぎる点が気になりました」
言われてみれば、確かにその通りだと思った。
別動隊は足場が悪い場所から攻撃するため、牽制ならともかく、主力にはなり得ない。そう考えると、別動隊がこちらに混乱を与えた後に正面から攻勢を強めた方が合理的だ。
「私は集まった情報を見たので気づいただけです。殿下や夫のようにその都度情報を聞いていたら、同じように悩んだと思います」
「それはどうしてなのだろうか?」
「情報が入るたびにその情報の整合性を考えるからです。白狼騎士団の別動隊への伝令が最初の動きなのですが、これだけでは何を考えているのか全く分かりません。その後、別動隊が北に転進しました。これだけを聞けば、赤狼騎士団を支援するため、防御陣の側面に向かっているようにしか見えません。ちょうどその頃、赤狼騎士団が攻勢をかけていたのですから、すべてが整合しているように感じたのです」
「確かにその通りだ」
「しかし、我が軍と違って法国軍には通信の魔導具がありません。ですので、情報伝達に時間が掛かりますから、タイミングを合わせることは非常に難しいのです。そう考えると、最初の伝令は撤退の命令を伝えるもので、白狼騎士団の別動隊は撤退に見えないように欺瞞行動として進軍方向を変えたと考える方が自然でしょう」
「なるほど。しかし、黒狼騎士団が前進したのはどういうことだろうか?」
「赤狼騎士団が撤退した後、黒狼騎士団がいなければ、我が軍はすぐに追撃に入るはずです。しかし、黒狼騎士団と入れ替わると考えれば、追撃せずに様子を見ます。午前中にこちらを誘引するような動きを見せているのですから。ですが、赤狼騎士団が完全に下がり、我々が追撃を始めれば、黒狼騎士団はすぐに撤退するはずです。そのために機動力のある騎兵を用意したのでしょう」
「ようやく分かってきた。餓狼兵団は赤狼騎士団と黒狼騎士団が通過した後に殿となるべく、位置を変えたのだな。そう考えると青狼騎士団が木を伐採した理由が分からなくなる。確かに障害物にはなるが、殿である餓狼兵団の後ろにあっても意味はないと思うのだが?」
私の問いにイリス卿は小さく首を横に振った。
「確かにあの場所では餓狼兵団が撤退する時に邪魔になります。我々の目を引き付けるための欺瞞行動だったのかもしれませんね……」
彼女にもはっきりとは分からないらしい。
話を聞いている間に敵に動きがあった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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