第二十八話「エンツィアンタールの戦い:その十二」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
戦場が慌ただしくなってきた。
午後三時頃に南の丘に潜む偵察隊から情報が入った。
「偵察隊より報告です。白狼騎士団から三千ほどの兵が出陣し、南の雑木林に入ったとのこと。場所はここから西に五百メートルほどとのことです」
街道が緩やかに湾曲しており、ここからは直接見えない場所だ。
「迂回作戦を諦めていないということか。あの辺りには嫌がらせの罠があったな。どの程度時間を稼げるんだ?」
総司令官であるラザファムが聞いてきた。
「あの距離なら二時間が限界だろうね。もっとも敵も暗くなる前に抜けておきたいと考えているだろうから、多少の損害は許容する気で強引に進むはず。そうなると、最短で一時間といったところかな」
午前中に黒狼騎士団が同じように丘に入ったが、彼らは無用な損害を恐れてすぐに諦めている。しかし、今回は時間との勝負になる。日が傾けば、ただでさえ見通しが利かない雑木林では、普人族に過ぎない白狼騎士団の兵は身動きが取れなくなるからだ。
「それなら第四連隊に妨害させつつ、義勇兵団に準備をさせるべきだな」
ラウシェンバッハ騎士団第四連隊は南の丘にあり、敵の本隊の動きを監視している。
また、予備兵力の義勇兵団六千は防御陣から見えない丘の陰に隠してあった。白狼騎士団が丘の上から義勇兵団を見つければ、攻撃を断念するかもしれない。
「それがいいね。司令部直属も動かしておこう。こちらが気づいていることは敵も分かっているだろうし、何もアクションを起こさないのは不自然だからね」
義勇兵団の残り二千名が司令部直属となっている。ラウシェンバッハ騎士団と交代しているため、今は半分の一千だが、その一千名を南の丘に近づける配置とした。
その後、敵が白狼騎士団から赤狼騎士団に代わった。それまでと同じように絶え間なく攻撃してくる。危機感を覚えるほど激しいものではないが、こちらの動きを牽制するような嫌らしい攻撃だ。
そんな状況が三十分ほど続いた後、新たな情報が入ってきた。
「餓狼兵団と青狼騎士団が街道に降りてきました。青狼騎士団が四千五百、餓狼兵団が二千五百ほどです」
餓狼兵団は哨戒部隊も街道に戻っており、これでほぼ全数が帰還したことになる。
更に追加の情報が入ってきた。
「餓狼兵団から二十名ほどの部隊が白狼騎士団の跡を追っていきました。伝令だと思われます」
その情報にラザファムが疑問を口にする。
「このタイミングで伝令? どういうことだろう? 命令の変更ならきっかけは何だろうか? マティ、君に分かるか?」
「そうだね……タイミング的に餓狼兵団から何か情報が入ったのだと思うけど……私にも分からないね」
餓狼兵団のグィード・グラオベーア兵団長は優秀な指揮官だ。新たな策を思いついたか、何らかの情報を見つけたため、総司令官のマルシャルクにそれを進言した可能性がある。しかし、その内容までは思いつかなかった。
「第一連隊を丘の上に向かわせた方がよくないか? エレンたちなら何があっても対応できるだろう」
ラウシェンバッハ騎士団第一連隊は遊撃、決戦、防御に至るまで何でもこなせる万能型の部隊だ。また、指揮官であるエレン・ヴォルフ連隊長は私の下で学んでおり、ラザファムが一目置くほど優秀だ。
ラザファムは第一連隊を配置しておけば、不測の事態でも柔軟に対応できると考えたようだ。
しかし、私の考えは違った。
「第一連隊は予備戦力として残しておいた方がいいだろう。白狼騎士団が囮で餓狼兵団や青狼騎士団が本命ということもあり得るからね」
「君がそう言うなら、第一連隊は総司令部直属として手元に置いておこう」
第一連隊は総司令部直属として、我々の前に配置された。
■■■
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長
午後四時頃、日が傾きつつある中、前線で戦う赤狼騎士団も無理な攻撃は仕掛けず、敵の目を引き付けている。
(マイズナーも正念場と分かっているようだな。杞憂だったか……)
赤狼騎士団長のオトフリート・マイズナーは私に対して思うところがあるのか、これまで協力的な姿勢は見せなかった。しかし、この作戦では主役となることから、それまでのわだかまりはいったん棚に上げ、協力する姿勢を見せている。
前線を見ていたが、青狼騎士団と餓狼兵団が引き上げてきたという報告が入った。
すぐに青狼騎士団長のハンス・ユルゲン・ゲラートと餓狼兵団のグィード・グラオベーアが現れた。
「ご苦労だった。タンクレートが三千の兵を率いて敵の側面を突く。少なくとも一時間は掛かるから、それまでは休んでほしい。特に餓狼兵団はしっかり休んでくれ」
副団長のタンクレート・シュミットバウアーらが出発してから一時間近く経っているため、あと一時間は掛かるだろう。
私の言葉に二人は頷くが、ゲラートが憂い顔で話し始める。
「グィード殿の部下が捕虜から聞き出したのですが、既に王都は陥落しているようです」
その言葉に首を傾げる。
これまで負傷して動けなくなった敵の偵察兵を何人か捕虜にしていたが、いずれも王都はまだ包囲中だと言っていた。細かく聞いても言葉に矛盾はなく、事実だと思っていたのだ。
私の懸念に気づいたのか、グィードが説明する。
「瀕死の者から聞き出した情報です。仲間だと油断させ、家族に伝える最後の言葉を聞き出す振りをして情報を得ました。恐らくですが、偽の情報を伝えるようにラウシェンバッハが指示していたのではないかと思います。他の捕虜に鎌をかけてみたところ、眼が泳いでおりましたので」
これまで王国兵を何度か捕虜にしたことがあった。その際、指揮官クラスは頑なに情報を吐かなかったが、兵士たちは少し脅せば、知っている情報をベラベラと話していた。今回も同じだと思い込んでいたが、情報を重視するラウシェンバッハなら対策を取っていてもおかしくないと気づく。
「瀕死の者から……だとすれば、嘘を吐く余裕などない。事実である可能性が高いということか……そうなると、この戦い自体が無意味。すぐにタンクレートを呼び戻さねばならんな」
今回の目的はグレゴリウスが国王であり続けるため、王都シュヴェーレンブルクに篭るマルクトホーフェン侯爵派を助けることだ。
しかし、既にマルクトホーフェンらが敗れているなら、今から王都に行く意味がない。
「シュミットバウアー副団長には我が兵団から伝令を送ります。その方が早いですから」
グィードはそう言うと、部下のところに戻っていく。
「最初から最後までしてやられ続けたということか……」
ラウシェンバッハの掌の上で踊らされていたことに悔しさが込み上げる。
「問題はこの後です。我が軍が撤退すれば追撃してきます。既にこちらの兵力の配置は分かっていますので伏兵の不安はありません。全力で追撃してくるでしょう」
ゲラートの言葉に今は後悔している場合ではないと頭を切り替える。
「確かにそうだな。まずはこちらが撤退する気だと気づかせないようにせねばならん。時間を稼げば、敵も追撃を諦めるだろうからな」
「どういうことでしょうか?」
私の言葉の意味が分からず、首を傾げている。
「ラウシェンバッハの軍は二百キロ以上を僅か七日で移動している。つまり一日当たり三十キロだ。これほどの速度を出そうとすれば、輜重隊は最低限しか連れていないだろう」
我が軍でもそうだが、輜重隊の移動速度は一日に二十キロメートルほどだ。それ以上の速度だと物資を満載した荷馬車の車軸や車輪がもたないからだ。
ラウシェンバッハのことだから先読みして物資を送り込んでいた可能性はあるが、大量の物資を動かせば、マルクトホーフェンの手の者が気づくはずだ。
「しかし、自国内での移動です。食糧だけなら街道上の町や村から集めることができるのではありませんか?」
ゲラートの言わんとすることは分かるが、今の状況には即していない。
「我々が徴発した後だぞ。王国中部が豊かな土地でも一万を超える軍を支えるだけの物資があるとは思えん」
「確かにそうですね。そうなると、四十キロほど引き離せれば、大規模な追撃を受ける可能性は低いということですか」
「そうだ。幸い我が軍の輜重隊は二十キロ先にある……」
そこであることに気づいた。
「いや、これはまずい状況だな……」
「何か問題ですか?」
ゲラートが首を傾げている。
「ああ。北の森の別動隊は引き揚げたと聞いたが、南の森の別動隊は未だに残っている。今のところ、この近くにいそうだが、奴らの機動力を考えれば輜重隊が危険だ」
輜重隊の護衛は白狼騎士団の五番隊一千名だ。私自らが鍛えた精鋭だが、輜重隊には一千輌もの荷馬車がある。それに敵の獣人族部隊は奇襲攻撃を得意としているから、少数の兵でも荷馬車を焼くことくらいはできるはずだ。
現在、物資は二十日分しかない。王都に戻り、勝利すれば問題はないと考えていたが、ヴェストエッケに戻るなら、本国側からの輸送と途中の町ライゼンドルフで強制的に徴収したとしてもギリギリだ。つまり、荷馬車を失うことは敗北を意味するということだ。
しかし、打つ手が思いつかない。
「今から輜重隊のところに兵を回すことは現実的ではない。敵を誘引することになりかねんからな……」
「ならば、敵の別動隊をこちらに引き付けるしかありませんね。こうしてはいかがか……」
ゲラートが作戦を提案してきた。
その提案に従い、準備を始めた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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