第二十五話「エンツィアンタールの戦い:その九」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
敵の別動隊を発見した。
発見できたのは敵が移動した痕跡が残っており、それを追うことができたからだ。
痕跡から少なくとも千人以上の部隊だと分かり、緊張が走る。
現状、偵察部隊を加えても六百名しかおらず、我々の倍の戦力と対峙しなくてはならないからだ。
部下たちに注意を促そうとした時、敵は早くも動いてきた。こちらの動きを察知し、先に我々を排除しようと攻撃を仕掛けてきたのだ。
『『前進せよ! 前進せよ!』』
狂気を孕んだような声が響き、無造作に切り込んでくる。
「その場で守りを固めよ! 落ち着いて対処すれば勝てぬ相手ではない! 青狼騎士団が来るまでの時間を稼ぐのだ!」
そう言いつつも、青狼騎士団が到着するまでには三十分以上掛かる。その間、この狂戦士たちの攻撃を凌ぎ続けられるのか全く自信がない。
もちろん、我々もやられっぱなしではなく、敵兵を何人も討ち取っている。しかし、敵に主導権を握られ、組織的な反撃ができず、敵の数倍の損害を出していた。
『『『前進せよ! 前進せよ! 前進せよ!』』』
俺の目の前を獅子族の戦士が大剣を振り回しながら通り過ぎた。
彼らはその言葉通り、立ち止まることなく、真っ直ぐに進んでいく。
部下の一人が追い討ちを掛けようと近づくが、その後ろから来る別の戦士に斬り殺された。
「無理に反撃するな! 守りを固めてやり過ごせ! 敵には戦術もへったくれもないぞ! 指揮官は冷静に対処せよ!」
声を張り上げるが、“前進せよ!”という声に掻き消され、俺の命令はほとんど届かない。伝令を走らせようとするが、敵兵の間を抜ける際に斬り殺されている。
十分ほどで敵兵が消えた。
「敵を追うのだ! 敵の位置を把握し続けろ!」
敵を見失えば、再び奇襲を受けてしまう。そのため、ここにいる全軍で敵を追撃する。
追撃しながら、敵の罠に嵌ったのではないかという考えが浮かぶ。
(敵はこの辺りの地理に詳しい。誘い込まれた可能性は否定できんな……それに奴らは東に向かった。我々が追撃することは想定しているはずだ。何らかの罠が仕掛けられているかもしれん。しかし、このまま見失なってしまえば、こちらに向かっている青狼騎士団が危険だ……)
森の中での行動が得意な俺たち餓狼兵団でさえ、まともに対応できないのだ。身体強化が使えるとはいえ、普人族の兵士では俺たちの数倍の損害を被ることすらあり得る。
「伝令! 青狼騎士団に連絡せよ! 敵は奇襲を仕掛けてくる。注意されたしと」
伝令が騎士団に向かって走っていくが、無事に辿り着けるか不安が残る。
(敵は俺たち以上に情報を重視している。伝令が出ることは想定しているだろう。ゲラート殿は油断していないだろうが、あの敵兵には手を焼くはずだ。どうすればよいのだろうか……)
青狼騎士団長のハンス・ユルゲン・ゲラート殿はマルシャルク閣下が信頼する優秀な将だが、森での戦闘経験はほとんどないはずだ。
(敵の注意をこちらに向けさせるしかないか。そうなると我が兵団に大きな損害が出ることは間違いない。だが、それでもやらねばならん)
俺は部下たちに追撃を命じると、自らも前線に立って走り始めた。
■■■
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人
餓狼兵団の強行偵察隊を発見し、攻撃を敢行した。
ラウシェンバッハ騎士団の偵察隊が我々突撃兵旅団に加わったお陰で、敵の位置が判明し、奇襲に近い形で攻撃できた。
しかし、敵を突破した後に確認すると、多くの兵が傷ついていることが分かった。
「思ったより被害が大きいわ。青狼騎士団はともかく、餓狼兵団に強襲を掛けることは避けた方がいいわね」
私は走りながら、指揮を執るハルトに進言すると、彼は首を横に振った。
「それは無理だな。俺たちがやりたくなくとも、奴らは必ず追撃してくる。追いかけてくるだけなら、俺たちが通ったところを進めばいいから、引き離すことは難しいだろうしな」
「そうね……」
そこであることを思いつく。
「青狼騎士団に攻撃をしてその間を抜けていけば、餓狼兵団は追ってこられないわ」
「どうしてだ?」
「突撃兵旅団も餓狼兵団も獣人族の兵士ばかりよ。奇襲を受けた後の青狼騎士団の兵士が追撃してきた餓狼兵団に襲い掛かる可能性は高いわ。恐らく、餓狼兵団のグラオベーア兵団長もそのことに気づくはず。彼は思ったより頭が切れるから」
「確かにそうだな。それなら青狼騎士団を突破し、森の奥に逃げ込めば、餓狼兵団を引き離せる。場所を変えて、青狼騎士団を襲撃すれば、敵に混乱を与えることができるはずだ」
作戦と言えるほどのものではないが、突撃兵旅団に細かな戦術は無理だし、目的は敵に損害を与えることではなく、森の中での行動を諦めさせることだ。
森の中での行動を諦めるということは街道での戦いになる。今の防御陣なら突破することは難しいから、合理的なマルシャルクなら諦めて撤退するはずだ。
「問題は餓狼兵団ね。彼らの能力と忠誠心は危険だわ。こちらの半分にも満たない五百人ほどの強行偵察部隊だったのに大きな被害を出している。私たちと同じ二千人規模で攻めてきたら対処は難しいわね」
「そうだな。さっきは奇襲に近い形だったから敵も混乱したが、次はあれほど混乱しないだろう。そう考えると、餓狼兵団とやり合うのはできるだけ避けたい」
指揮命令系統が不完全な突撃兵旅団では戦うたびに削られていくだけだろう。
「ミリィの連隊が合流してくれれば、助かるのだけど……」
ミリィ・ヴァイスカッツェの第四連隊は南側の森で敵の監視を続けている。
「いや、第四連隊がいても状況は変わらんだろう……」
ハルトの言葉を遮るように通信兵が報告する。
「偵察隊より青狼騎士団を発見したとのことです。位置はここより約一キロ東の3Cの丘、西に向かって行軍しています」
今回も地図に番号が振られており、場所はすぐに分かった。
「偵察隊には騎士団長がどこにいるか探らせてくれ。イリス、一旦北東に向かってから、南に抜けようと思うが、どう思う?」
正面からぶつかるのではなく、側面から攻撃するつもりらしい。
「そうね……次の丘で北東に向かえば、丘を回り込む形になるから敵に見つかりにくくなるわ。突破した後は、3Dにある丘の東側に生えている一本杉を目印にすればいいわね」
「伝令! 次の丘で北東に向かう。その後は丘を回り込む形で攻撃を掛ける。各隊の隊長にその旨を伝えろ」
伝令は復唱した後、走り出す。
再び通信兵が報告を上げてきた。
「後方より餓狼兵団が接近中。数は確認できるだけで二百以上。このペースでは十分ほどで最後尾にいる負傷者の集団が追いつかれます」
突撃兵旅団には治癒魔導師はいないが、衛生兵がいるため、負傷者には応急処置が行われている。しかし、応急処置ではどうしてもスピードが出ず、遅れがちになる。
そのため、五十名ほどが護衛として付き添っているが、追いつかれたら全滅する可能性が高い。
「やはり追ってきたか……負傷者には身を隠しつつ4Eに向かうように伝えろ」
ハルトが言った場所は谷になった場所で、隠れやすい。それに敵は青狼騎士団を守るために追ってきているから、負傷者に向かう可能性は低いはず。
「速度を上げるぞ! 突撃兵の真価を見せてくれよ!」
ハルトの言葉に周囲の兵が笑みを浮かべる。本当は声を上げたいのだが、攻撃時以外はできるだけ静かにするように命じているためと、体力を少しでも温存するためだ。
ハルトが身体強化を使ってスピードを上げる。
ほとんど全力疾走という速さで、付いていくのがやっとだ。
それでも何とか意地で付いていくと、青狼騎士団らしき青い装備の集団を発見した。
「突撃兵旅団よ! 前進せよ!」
ハルトの叫びに、兵士たちが荒い息で応える。
「「「前進せよ! 前進せよ! 前進せよ!」」」
私も同じように声を張り上げていた。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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