第二十二話「エンツィアンタールの戦い:その六」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール北森林地帯。イリス・フォン・ラウシェンバッハ子爵夫人
本隊が戦闘に入って一時間、太陽は中天に差し掛かろうとしていた。
私たち別動隊、突撃兵旅団は西方街道の北約二キロメートルの森の中にいる。
戦場からは五キロ半ほど離れているが、未だに敵本隊の位置が判明せず、待機している状況だ。
「情報が入ってこないな。こちらから偵察隊を出してみるか?」
ハルトがそんなことを言ってきた。
気持ちは分かるけど、突撃兵旅団に専門の偵察隊はないし、ここが敵の哨戒線ギリギリのはずだから、下手に動けばこちらが見つけられてしまう。
「焦ってもいいことはないわ。それにあの人が手を打ってくれるはずよ。それまでのんびり待ちましょう」
大したことではないと聞こえるように、わざとのんびりとした声で話す。
「そうだな。ちょっと早いが、昼飯でも食って気持ちを切り替えるか……」
「そうね。それがいいわ」
ハルトも愚痴を言いたかっただけのようで、すぐに切り替えて、兵たちの気分を変えようと命令を出した。
「伝令! 各隊に連絡。いつ出撃命令が来るか分からんから、今のうちに昼飯を食っておけと伝えろ。なあに、もうすぐうちの軍師様が俺たちの出番を作ってくれるはずだ。そうなったら忙しくて飯を食う時間が無くなる。何と言ってもうちの軍師は人使いが荒いからな」
伝令たちが彼の言葉を聞いてニヤニヤしている。
命令を伝える時、今の言葉も一緒に言うだろうから兵たちにも伝わる。
そうなれば、待ち時間の苛立ちも収まるだろうし、司令官が自分たちと同じ思いをしていると知れば、無理な命令でも喜んでやるはず。
こういったところが、マティがハルトのことを天才と言うゆえんだろう。
「真面目な話、マルシャルクに隙ができると思うか?」
先ほどまでとは異なり、私にだけ聞こえるような小さな声だ。
「どうかしら? マルシャルクは戦略家としての能力が高いことは分かっているけど、戦術家としての能力は未知数よ。それにマルシャルクに隙はできなくても、他の団長はどうかしら。これまで活躍していたのは餓狼兵団だから、功を焦る者が出ないとも限らないわ。その点、私たちの方はそう言った心配がない分、安心ね」
今回の指揮官は全員気心が知れている。連隊長以下も暴走しそうな者はいない。
一方の北方教会領軍はマルシャルクが掌握しているとはいえ、完全に心服しているわけではない。そこに付け入る隙があるとマティは考えている。
「そうだな……お前に来てもらってよかったよ。ランダル河ではマティの作戦通りに進んだし、敵の情報は常に入ってきたから不安はあまりなかった。唯一、俺自身の能力に不安があったくらいだ。だが今回は情報が入らないし、作戦通りに進んでもいない。適切に助言してくれる参謀がいてくれて助かっている」
「それはよかったわ」
そんな話をしていると、通信兵が近づいてきた。
「マティアス様よりイリス様に通信が入っております」
そう言って受話器を掲げている。
「ありがとう」
そう言って受話器を受け取り、話し始めた。
「こちらイリス。何かあったの? 以上」
『第四連隊から情報が入った。餓狼兵団は第四連隊の追撃をやめ、五百名程度の部隊が北に四つ、南に一つ入った。また、敵白狼騎士団は我々本隊から約三キロ西の街道上に、その一キロ後ろに赤狼騎士団がいることが判明した。しかし、青狼騎士団の位置は分かっていない。餓狼兵団についてだが、目的は強行偵察だと思われるが、どの程度の範囲まで移動するかは不明だ。そちらに向かう可能性が高いから注意願う。以上』
ようやく敵の本隊の位置が分かった。位置が分かっていない青狼騎士団はともかく、私たちの方が西に、つまり後方にいることになる。奇襲を仕掛けるにはいい場所だ。
しかし、最も警戒すべき餓狼兵団が集団で森に入ったことから、私たちがどう動けばいいのか判断が付かない。
「白狼騎士団と赤狼騎士団の位置の情報、餓狼兵団の動きについては了解したわ。その上で私たちがすべきことは何かしら? 以上」
『まだ方針は決まっていないが、当初の作戦を破棄する可能性が高い。餓狼兵団と接触した場合は殲滅してほしいが、深追いはしないようにしてくれ。敵が君たちの存在を疑って索敵している可能性が高いが、青狼騎士団と共同で迂回作戦を行っている可能性もある。とりあえず、周囲の警戒を強めてほしい。以上』
「了解したわ。新たな情報が入ったら、すぐに教えて。以上」
通信を切ると、ハルトが深刻そうな顔で聞いてきた。
「餓狼兵団の目的が分からないな。マティが言う通り、青狼騎士団を別動隊として迂回させるための露払いの可能性はある。それにこの森の中で我々だけで五千の兵と戦うのは厳しいな。せめて第四連隊の支援があれば、選択の幅が広がるんだが」
我々突撃兵旅団は二千名。それに対し、青狼騎士団五千に加え、二千程度の餓狼兵団がいるから敵は三倍以上になる。だから、撹乱を得意とするラウシェンバッハ騎士団第四連隊の支援を期待する気持ちは分からないでもない。
しかし、私はそこまで悲観的ではなかった。
「そうでもないわよ。青竜騎士団と邂逅するのは悪くないわ」
私の言葉にハルトが首を傾げる。
「この森の中で命令を伝えるのは至難の業だぞ。独自で判断して行動できるだけの教育を隊長たちにしていないから、分断されたらヤバイと思うんだが」
突撃兵旅団はその名の通り、敵を粉砕する超攻撃的な部隊だ。個々の兵士の能力は高いし、森の中での行動にも慣れているが、命令が行き届かない森の中で集団戦が行えるほどの練度はない。
「ものは考えようよ。青竜騎士団もこんな場所で組織だって攻撃できないわ。なら、行先だけを明確にしておけば、うちの突撃兵たちなら自力で突破して合流してくれるでしょう」
突撃兵たちの突破力はランダル河殲滅戦で証明されている。
神狼騎士団はランダル河で戦った聖竜騎士団に比べ、集団戦を得意としている。しかし、視界が開けておらず、足場の悪い森の中では百人単位でも連携は難しいだろう。
十人隊が複数程度なら、迷いがない突撃兵を止めることは不可能だ。
「敵と接触したら、一撃離脱で突破すればいいということか……確かに悪くないな。マティに今の案を提案してくれ。あいつなら俺たちの前に青竜騎士団を誘い込むくらいのことはやってくれるだろう」
そう言ってニヤリと笑う。
「分かったわ。彼に提案してみる。でも、認めてくれるかは分からないわよ。出発する時も無茶はさせるなと釘を刺されているんだから」
それからすぐにマティに連絡を入れる。作戦の概要を伝えると、彼はいろいろと質問してきた。
旅団全体に命令を行き届かせることはできるのか、機動力はどの程度落ちるのか、目標とする場所を明確に指定できるのかなどだ。
『……了解した。ラズの承認が必要だが、そちらでも主だった隊長に今の作戦を伝えておいてくれ。敵の動きが分からない以上、いきなりその状況になるかもしれないからな。以上』
「分かったわ。それなら一つだけ頼みがあるの。北側にいる偵察隊の一部をこちらに回してほしい。以上」
『目的は? 確かに偵察隊は引き揚げさせるつもりだったが。以上』
餓狼兵団が二千ほど入ったから、偵察隊は引き上げるしかない。
「偵察隊は広い範囲の地形を把握しているはず。一撃離脱作戦を行う時の合流地点を決めるのにその情報がほしいの。以上」
偵察隊は昨日からこの辺りの地形を調べており、地図にない情報まで知っている。そのため、目印にできる地形や安全なルートなどを教えてもらえると考えたのだ。
『了解した。作戦を実行するかどうかは別として、一度合流させる。以上だ』
通信を終えると、ハルトに報告する。
「兄様に確認するみたい。だけど、彼は乗り気だったわ。主だった隊長たちに話しておいてほしいと言っていたから」
「マティが賛成なら実行だな」
「そうね。それから偵察大隊の一部が指揮下に入りそうよ。彼らがいれば、作戦の成功率も上がるわ」
私の言葉にハルトが頷く。
「それはいいな。そこまで気づかなかったから、本当に助かるよ」
ハルトはそう言って微笑んだ後、各隊の隊長に命令を出した。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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