第二十一話「エンツィアンタールの戦い:その五」
統一暦一二一五年六月二十五日。
グライフトゥルム王国中部ノイムル村西、エンツィアンタール。グィード・グラオベーア餓狼兵団長
敵ラウシェンバッハ騎士団の哨戒部隊を追って一時間ほど経った。
敵は準備万端だったようで、落とし穴のような罠だけでなく、地形まで完璧に把握していた。
敵は灌木の茂みや大木の上から奇襲を仕掛け、それに気づいて敵を追うと、更なる伏兵が襲いかかってくるという巧妙な戦術を採っている。
そのため、敵はほとんど倒せていないが、こちらは百人以上が戦闘不能になり、後方に下げている。幸い、戦死者はごく僅かで負傷者がほとんどだが、気が滅入る展開だ。
それでも徐々に対処法が分かってきた。
「無暗に敵に近づくな! 襲ってきた奴だけを相手にしろ! 全員で周囲を探れ! 通り過ぎたところでも後ろに気を配れ!……」
思いつく限りのことを叫び、部下たちに注意を促す。
それが功を奏したのか、損害は目に見えて減った。
これで何とかなると思った時、伝令が走りこんできた。
「マルシャルク閣下より、直ちに追撃を中止し、街道に戻れとのことです。黒狼騎士団が苦戦しているため、その支援のための策を講じたいとのことでした」
苦戦しているという言葉に一瞬疑問を持った。
(黒狼騎士団はある程度戦ったら敵を引きずり出すために後退するはず。苦戦するような戦いにはならんはずだが……向こうでも罠があったのか? ラウシェンバッハが相手ならあり得ないことではないが……)
それでもすぐに意識を戻す。
「了解した。すぐに街道に戻ると閣下に伝えてくれ」
敵を追い詰められそうだったため、部下たちが不満を口にする。
「もう少しで追い詰められたのに……」
「いつもいいところで横やりが入る」
言いたいことは分かるが、宥めることしかできない。
「雑魚を相手にするより、大物を相手にした方がいい。すぐに引き上げるぞ!」
もっとも俺自身は助かったと思っている。
(あれだけの準備していた敵だ。この程度で終わるはずがない……それに少しずつ削られていくから部下の士気の低下も馬鹿にならん。いい頃合いだ……)
各隊に撤退の伝令を送った後、すぐに街道に引き返す。
起伏の激しく鬱蒼とした木が邪魔な丘だが、街道に戻るだけならそれほど時間は掛からない。
街道に戻ると、すぐに白狼騎士団の本陣に向かった。
マルシャルク閣下がすぐに俺を見つけ手招きをする。その横には青狼騎士団長のハンス・ユルゲン・ゲラート殿が憂い顔で立っていた。
「追撃中に急な命令変更で済まん。だが、厄介なことになった」
閣下は俺のような獣人族に対しても気遣いをしてくれる。そのことに感謝の念が沸くが、時間がもったいないのですぐに本題に入った。
「黒狼騎士団が苦戦していると聞きましたが?」
「戦い自体は特に問題はない。苦戦しているとはいえ、大きな損害は受けておらぬし、敵も打って出る気はなさそうだったからな」
口振りから自身で確認されたと思った。
「問題は敵を引きずり出せんということだ。そして、あの場に居座られたら、正面からでは崩しようがない」
ゲラート殿がその言葉に頷く。
「私は見ていないが、相当堅い防御陣らしい。陣を迂回しようにも森の中には罠が多数あってまともに進めぬらしい」
「我々もその手で苦労しました。大した罠ではないですが、損害は馬鹿になりませんし、移動に時間が掛かりすぎます。我々でも一時間で一キロ進めればよい方でしょう」
俺の言葉にマルシャルク閣下が頷く。
「そのことが厄介なのだ。打開するためにはいずれかの部隊が迂回して奴らの後方に出なければならん。しかし、いつ辿り着けるか分からぬ部隊を待っていては策が立てられん。そもそも敵の方が索敵能力は高いのだ。ウロウロしているうちに敵に翻弄され、恐らくいるであろう別動隊に襲撃を受けたら厄介だ。別動隊は三千ほどいるから最悪の場合、全滅しかねん」
確かに視界が遮られ、進む方向さえ誤りそうな森の中に地図や案内人なしで突入することは自殺行為だろう。
敵の別動隊だが、俺も最大で三千程度だと思っている。この深い森で戦うなら、それ以上の数は邪魔にしかならないからだ。
「我が青狼騎士団が奇襲部隊になるのだが、私の部下では森の中でまともに動けん。面倒を掛けるが、貴兵団に案内を頼みたい」
ゲラート殿が申し訳なさそうに言ってきた。この方もマルシャルク閣下と同じく、我々に隔意を持たない珍しい普人族だ。
こういう方の手助けなら、やる気も出る。
「では、我々が安全に通れるルートを探ってまいりましょう」
「地味な上に危険な任務ばかりで済まぬ」
マルシャルク閣下はそう言って俺に頭を下げる。
「頭をお上げください! 我らは閣下に救われた身! この程度のことは何ほどでもありません!」
これは正直な思いだ。
確かに罠が張り巡らされ、奇襲を得意とする部隊が潜む森に入ることは気が進まない。しかし、我々にしかできない任務なら喜んでやる。
「そうか……では、哨戒部隊は今まで通りに本隊の周囲に敵の偵察隊を近づかせるな。それ以外の三千を三百ずつの十隊に分け、南北の丘陵地帯に放ってくれ。目的は森の東に抜けるルートを見つけ出すこと。ルートが発見できなくとも明日の夕方には戻れ」
閣下は敵の哨戒部隊の襲撃を考慮し、比較的大部隊での偵察を命じられた。少数では敵の哨戒部隊に倒されてしまうことを懸念されたのだろうが、この編成では効率が悪い。
「閣下のご命令に逆らうことになりますが、十名程度の部隊を十隊ほど先行させ、五百名程度の部隊がその後方から支援する形にしたいと思います。先ほどまでの森の中で戦いを考えると、大部隊で動いてもあまり意味はありませんので」
敵の哨戒部隊は地形を使った奇襲を仕掛けてきている。そのため、大部隊で動いても、一撃離脱の攻撃を受けるだけで捕捉できない。そうであるなら、少数の偵察隊を扇状に先行させ、敵が襲ってきたら、後方から救援に向かい、敵を撤退に追い込む方が合理的だ。
「それに万が一、敵の別動隊が見つかった場合、部隊を細分化しすぎれば、戦力を集中するために多くの時間を必要とします。この方式であれば、六百名の部隊が五つになります。その五つの部隊に伝令を出せば、索敵に出ている百名はともかく、五百名の本隊は即座に動けますから、二千五百の兵を集めることができます。敵の別動隊が三千程度なら充分に渡り合えます」
「なるほど……グィード、お前に任せる」
マルシャルク閣下は少し考えた後、俺の提案を受け入れてくれた。
「すぐに部隊を再編して、迂回ルートを見つけ出します。では」
そう言って頭を下げ、すぐに兵団本部に向かった。
餓狼兵団も神狼騎士団と同じく、千名で千人隊、百名で百人隊という形であり、五百人の部隊なら、同じ千人隊の百人隊を五つ統合すればよい。偵察隊は別の部隊になるが、連携する必要はないので問題にはならないだろう。
隊長たちを集め、今回の作戦を説明していく。
「目的は青狼騎士団の侵攻ルートを見つけることだ。だが、敵の別動隊がいる可能性が高い。それを見つけた場合は、その排除も我らの仕事になるだろう……」
マルシャルク閣下やゲラート殿には言わなかったが、森の中では青狼騎士団が苦戦するため、我ら餓狼兵団が対応するつもりでいたのだ。
「南はあの哨戒部隊がいる。一隊は偵察しつつ、敵の進軍を妨害せよ。他は北に向かうぞ」
俺の言葉に隊長たちが頷く。
「伝令のやり取りは頻繁に行う。敵は俺たちが思いもつかんような手を打ってくる。油断せず、慎重に行動しろ。頼んだぞ」
隊長たちは俺の言葉に真剣な表情で頷き、各部隊に戻っていった。
(青狼騎士団の露払いも考えておいた方がいいだろう。そうなると、俺も森に入った方がよさそうだな。現地を見ておけば、ゲラート殿に助言もできるだろうし……)
こうして俺たち餓狼兵団は無数の罠が仕掛けられ、敵の精鋭が潜む森に入ることになった。
下に前作のリンクがあります。こちらもご興味があれば、よろしくお願いします。
また、地図や世界設定などを集めた設定集もありますので、興味のある方はご確認ください。
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