月食の夜の奇跡
(プロローグ)
女性の地位向上が叫ばれて久しい。確かに女性の社会進出は素晴らしい。才能のある女性たちは仕事に生きがいを感じ、独身を好む。結婚には健全な未来がイメージできないからだろう。男女同権って言うけれど、実際は女がどんどん忙しくなるだけ。家事も子育ても介護も当然のようにやらされ、そして稼ぐことまで求められるのだからたまらない。
夫婦支え合うどころか、できる者への強依存。休むヒマも無い。そして、過労や病気に倒れて初めて気がつく。失ったものの大きさを。確かに充実していた。ある意味幸せだった?どれだけ尽くしても、愛情をかけても一方通行。報いられない思いは、重くのしかかって来る。酷使してきた体は悲鳴をあげる。そして、枯渇した魂は?いつ強制終了しても不思議はない。「気がついて」と病気は最後のシグナルを出してくれているというのに。従順な女たちは、それを運命だと受け入れて悲惨な末路を辿るしかないのだろうか?
(夫婦戦争)
雅子は、結婚してからというもの一度たりとも旦那の言うことに逆らったことはなかった。夫婦喧嘩がひどかった両親のようにはなりたくなかったからだ。特に子供の前では、絶対に口答えはしない。夫に従順な古風な女性がいいと思っていたからだ。
子どもに対し、教育方針も全然違う。夜、子供が寝静まってから、夫には自分の考えを言うようにしていた。子供たちの前で否定すると、男の沽券にかかわるとでも思うようで激怒するからだ。根は優しい人なのだが、男としてのプライドが高い。しかし、そんなところも結婚前は男らしいと思っていた。女の言いなりになって、家事や育児に甲斐甲斐しい男は、嫌いだったのだ。
自分の父親も亭主関白だったから、男が家事をしないのは、当たり前だと思っていたし、台所でうろつく男は、みっともないとさえ思っていた。しかし、そうやって年齢を重ねていくうちに、旦那は何もできない、口出しだけする、うっとおしい夫になってしまった。すぐ、言ったことをしないと怒る。なんでも言いなりにならないと不機嫌になる。忙しすぎる家事に疲れて倒れているのに、自分の食事の心配ばかりをする。
妻のことを、どう思っているのか?子供も大きくなって、家にはあまりいなくなったら喧嘩が耐えなくなった。「そのくらいのこと自分でしてよ。私も腰が痛いんだから」と言うと「男に指図をするなんて」と怒る。仕方ないので、体にムチ打って頑張っていたら、病気になった。ガンで、あと半年の命だと言われたのだ。夫は憔悴しきっていた。雅子の前で愚痴ばかりを言う。「お前がいなくなったら、どうしたらいいんだ。俺の面倒は誰が見てくれるんだ。娘も何もしてくれない。文句を言うと、どこかに行ってしまって、帰って来ない。家の中は滅茶苦茶だ。掃除も洗濯もしてない。着るものも、無くなってきた。大体、お前の育て方が悪いんだ」と。同じ病室に入院している人々は、あきれていた。「なんて、ひどい旦那なの。こんな深刻な病気で苦しんでいるのに。自分のことばかり言って。」と。「いいんです。どうせ、短い命なんだし、あと少し我慢したら彼と別れられるんだから。」と。悲劇のヒロインのように、皆の同情を得て、自分の人生を顧みて涙していた。そんな時、娘と息子がお見舞いに来てくれた。子供たちも「ママ大丈夫?ママがいなくっちゃ、うちは大変なんだから。元気になって早く帰って来て」と哀願するのだった。「パパから聞いていないの?」と聞くと、半年しか生きれないことなど何も話していなかった。毎日毎日、愚痴ばかりを言っているらしい。そして、雅子のことを「役立たず」と罵り、子供たちに自分の世話をするように強要して暴れるのだと言う。
多分、今までやったこともない家事に追われてパニックで、他人のことも将来のことも考えられないのだろう。今日も、ひどい恰好をして病院に来て罵る。「こんなんじゃあ、仕事にも行けない。靴下ひとつ、どこにあるのかわからない」と。お風呂にも入っていないらしい。食事も外食ばかりのようだ。家事のやり方を教えるが、全然やる気がないのだから、途中で怒って帰ってしまう。
辛い抗ガン剤と闘いながら、こちらは食欲も失せ、反抗する元気もないというのに。話をするのさえ億却だった。見かねた看護師が、旦那の見舞いをを断ってくれるようになった。それで、少し元気になった。
実際、ガン病棟にいると、それぞれの患者の人生が伺い知れた。自分だけ不幸だと思っていたのだが、同室には、もっと悲惨な運命と闘ってきた女性がいた。幼い子供たちが来て、賑やかにしていると思っていたら、その後、女性のすすり泣きが聞こえてきた。聞けば三十代の若い女性で、浮気者の旦那に翻弄されて今も地獄を見ているらしい。浮気相手の女性のことをママと呼ぶ子供たち。旦那は病気のせいで何もできない妻に子供のためだと離婚を迫る。死にゆく彼女の思い出は幼い我が子の記憶にすら残らないだろう。ガンになったら、旦那を取り返すことができると思っていた彼女だったが、そうはいかなかった。他の女に気が変わった男の冷酷さ。ガンは隠れていた本音をあぶりだす。負けて欲しくはないが、痛々しくて声もかけれない。
しばらくして、女性の姿は見えなくなった。他の病室に変わったのか?手術はうまくいったのか?看護師に聞いても教えてくれなかった。最近は、抗ガン剤の治療も日帰りが多い。
雅子は数値が、かなり悪かったせいで検査入院できただけ。半年の命だと告知されても、手術も抗ガン剤も放射線治療もしないなら入院はさせてくれない。抗ガン剤の治療を拒んだ雅子は、しばらく通院して治療方針を立てると言うことになった。しかし、いきなり退院と言われても、帰宅したら病がひどくなるような気がしていた。家に帰れば容赦ない家事が待っている。病院に入院していたおかげで、旦那の呪縛から、抜け出せそうな気がしていたのに。
(家族からの逃避行)
雅子はパートだったが、収入が多いため旦那の扶養から離れ社会保険をかけていた。そのおかげでガンや鬱などの病気で、やむなく仕事ができなくなった時に傷病手当が出るらしい。普通のサラリーマンの旦那の収入だけでは二人の子供を育ててローンを支払うことなどできないから、パートで働かざるを得なかったのだが。こんな風に役立つとは思ってもいなかった。
ガン保険にも入っていたので、入院した日数分とガンだと診察されただけで入るという三百万円も嬉しい。死を前にしても、お金のことばかり考えてしまう。長年培われた貧乏性のせいかと思うと嘆かわしい。しかし、医者が認めてくれたら温泉治療も医療控除として認められるという話を聞くと、家に帰らず療養の名目で温泉に行ってみたくなる。
主治医もクレーマーの旦那の元に帰るのは心配らしく、心よく診断書を書いてくれた。インターネットでガンにいいと言われる湯治場を探す。行きたかった所はいっぱいある。結婚してからは自分の好きな所に行っていないことに気がつく。せめて死ぬ前に贅沢したってかまわないだろう。
まずは、北海道にでも行ってみようか?一人でも追加料金のない安いツアーを見つけた。できるだけ家から遠くに逃げたかった。旦那の呪縛から逃れられたら、ガンも消えるのではないかとさえ思えた。どこかで、こんな奴隷のような日々から逃げ出したくて病になったのではないかとさえ思えてきていた。
「病気はね、気を病むって書くでしょう。精神的なストレスとか自分を犠牲にしてきた報いで体に症状が出たりするのよ。あんな、ひどい旦那といたら誰だって病気になるわよ。近くで見ている私でさえ精神を病んで眠れなくなるくらいだもの。そうそう、今すぐ行方をくらまして好き放題やるのもいいわよ。温泉なんてどう?あなたよりも一週間後にしか退院できないけれど連れて行きたい温泉いっぱいあるのよ。二人で旅行がてら楽しみましょうよ。私には家族もいないし、こんなに病院にばかりいて一生を終わるなんて、まっぴら。」と同室の上品そうな同年齢の女性に誘われて旅に出る決心をしたのだった。とりあえず、彼女を待っている間だけ、一人旅になるが、怖いというより初めての冒険にドキドキワクワク。家に帰るより数倍いい気がした。たぶん、家に帰っても安住できるはずなどない。山のような洗濯に寝る場所もない散らかった部屋。そして、旦那の心無い言葉。そんな光景が目に見えるようだったからだ。元気なら、そんな罵声を受けながらも夜も眠らず働き続けることはできただろう。
しかし、ここ数日、旦那と離れて今までの生活の異常性に気付いた。しかも、無理のきかない体で、あの苛酷な環境に身を置くなど自殺行為のような気さえしてきていた。主治医に「家族には退院したことは内緒にして欲しいんです」と頼むと「これ以上の抗ガン剤や放射線治療をしても体を逆に痛めるだけなので、実はホスピスも考慮に入れていたのです。まだ、ご旅行とか考える意欲があるうちに、お好きなことをされるといいと思います。ウチの母も雅子さんと同じで僕たちのために犠牲になって、最後にはガンに侵されて救うこともできなかった。まだ僕も若い頃だったんでね。やっきになって、手術や放射線治療や抗ガン剤をやって、かえって母を苦しめてしまった。たくさんのガン患者を診て来て、クオリティライフってことの方が大切だって思うようになった。医者は病気と闘って、患者の気持ちに向き合えなくなる。長年ガン患者を診ていると医者の無力なことに自暴自棄になったこともあったよ。そもそも、ガン細胞なんて持っていない人なんていない。毎日発生し、免疫が活躍してくれているから症状化しないだけなんだ。手術で取っても、すぐにまたできる。根本的な解決にはなってはいない。雅子さんのように新たな環境に旅するなんていいと思う。ライフスタイルの改善で笑って日々暮らしているうちにガン細胞が消えたってことあるんだよ。もしかしたら、旦那さんがガンの元凶だったりしてね」と笑った。雅子も、つられて笑っていた。
病院を出ると神田にある独身時代よく行った寿司屋に向かった。明日は昼の便で北海道に行く。手荷物は下着と着替えが2枚入っているだけだから、腹ごしらえをしたら百貨店にでも行こう。北海道は寒いのだろうか?
神田に来るのは何年ぶりだろう?駅を降りた時の、この感じ。安い飲み屋が連なる商店街に、昔憧れの上司が連れて行ってくれた寿司屋があった。いくらするのかはわからない。お品書きに値段は書いていない。それでも今日は好きなものを好きなだけ食べようと決めていた。抗ガン剤のせいで口内炎になっているし、味覚もおかしいから量はどうせ食べれないだろう。まぐろやウニ、えんがわなどを食べただけで、満足してしまった。それでも最後にトロタクと山芋梅の手巻をたのむ。関西には無い、そして、思い出の味だったから。失った時を取り戻す旅の始まりに、どうしても食べたくて、ここへ来た。
(失恋して結婚)
あれは、関西から上京してきたばかりで、江戸前寿司を食べたのも初めてだった。仕事に慣れないで、叱られてばかりいた。そんな自分に営業課の部長が「寿司でも食べに行こうか?」と誘ってくれたのだった。要領が悪い雅子は、その日も残業していた。いつも最後までいたので戸締りも鍵をかけるのも慣れていた。いつの頃からか、部長はそんな雅子に付き合って残業してくれるようになった。そして、寿司屋で「そんなに真面目に毎日仕事してくれるのは嬉しいけれど、体を壊されたら上司としては管理不行き届きってことになるから。まあ、今日はちゃんと食べて、よく寝て土日は自分の好きなことして楽しみなよ。」と奢ってくれたのだ。
部長はお酒に強く随分飲んだせいか,数万円を払っていた。勧められるまま食べた寿司は格別だったが、支払いが気になって贅沢そうなネタは遠慮した。そして「これだけは食べてみて」と勧められたのがトロタクだった。油の乗ったトロとたくあんを一緒に巻いているので触感が面白い。それでいてトロの旨さもひきたてている。最後にトロの甘さが口に残った。そして、いつものシメが山イモと梅の手巻きだった。寿司米は入っていない。山イモのサクサク感と梅の爽やかな酸味が高級なノリにくるまれていて歯ざわりがいい。今までの魚臭さを消して美味しい記憶だけを残存させてくれていた。それから部長は何度か雅子を夕食に連れて行ってくれた。そして、時々冗談みたいにホテルに誘った。しかし、左手の結婚指輪が気になって、誘いを断り別の男性と付き合った。別に好きでもない男性を部長の誘いを断る名目のためだけに利用した。しかし、部長への恋慕の気持ちは、ますます燃え上がった。自分を制止していたのは道徳心?浮気という道から外れた邪悪なものへの畏れ?しかし、その選択は間違いだった。自分の心を偽って大好きだった部長の胸に飛び込めなかったという不甲斐なさ。あの後、部長は次の年に入った新人女性と結婚した。左手にあった結婚指輪は、とっくに崩壊していた夫婦仲を悟られないための男の武装でしかなかった。
それからは、後悔ばかりの日々だった。付き合う男性を、つい部長と比べてしまう。優しくて冗談ばかり言って笑わせてくれた。いつもポジティブで悩みも相談事も笑い飛ばしてくれた。それでいて、ちゃんと見てくれていて、いつも褒めてくれた。認めて理解してくれた。女をバカにすることもなく、リスペクトすらしてくれた。いつも一緒にいるのが楽しかった。卑小な自分も部長の前では自身を持つことができた。どんなに大変な仕事も部長の役に立てると思うと辛くはなかった。むしろ、悦びでもあった。恋している時は、心は不安定で、ウキウキしたり、寂しくて涙が出たりと自分が自分でないようで苦しかった。『こんなに好きだと平常心で生活なんてしてられない。だから、結婚相手は、それほど好きではない男性を選ぼう』と考えた。それが、今の旦那だ。平凡なサラリーマンとの結婚。変化に乏しいが、特別心配事も無い落ち着いた生活だった。不幸だったとは思わない。子供もできた。平均的な、ありきたりな普通の生活。皆と同じように子育てに奮闘し、子供が小学生になったらパートに行き家計を助ける。旦那の両親の介護が始まり、自分の親の面倒を見るヒマが無かった。葬式にも出ることはできなかった。自然と親戚付き合いも無くなった。親からの相続も兄弟に任せきりになった。少しのお金が振り込まれて、親戚付き合いも無くなった。長い長い舅姑の介護の末に、嫁は何ひとつもらえないという理不尽。手伝うどころかお見舞いにも来なかった小姑たちが、葬式の時も雅子をこき使った。そして、やっと子供たちも大学を卒業して就職も決まり、雅子のパートは正社員よりも高い給料をもらえるまでになった。経済的な不安がなくなって、ホッとしたら、体調が悪くなって診断でガンだと告知されてしまった。
(頑張り過ぎてガンになる)
「働き過ぎだ」と仲間には、よく言われた。しかし、頼られたら、嬉しくて断れない性分なのだから仕方ない。あんなにワガママだった旦那の両親に仕えていたのだから、パートの仕事なんて苦痛ではない。むしろ、家に帰って、旦那の罵声を受ける方がストレスだった。
どこの旦那も、同じようなものだと聞いていた。家事など何もしない。妻が疲れて帰って来ても、食事ができてないと怒り、お風呂が沸いていないと文句を言う。洗濯は全ての家事が終わって夜中に干す。その時、取り込んだ洗濯物は少し乾燥機に入れて、たたむことにしている。夜露に湿ったままだとカビが生えたりするからだ。そんなこんなで寝るのは深夜の二時過ぎになる。しかし、朝は七時には起きて朝食と皆の弁当を作らなければならない。皆が朝食を食べている隙に夕食の段取りをする。家族が全員いなくなって、テーブルの上を片付けながら残飯を食べて食器を洗う。ゴミを集めて、掃除機をかけ、九時前にバイト先にすべり込む。制服に着替えて、タイムカードは判を押したように九時五分前。そこから商品の搬入、陳列、惣菜作りと、あちこちから呼ばれて雑用を色々していたらオープンの店内放送が流れる。その日の担当レジで、サービス品に目を通す。入り口付近のダンボールの中身が陳列されずに放置されているのが見えた。走って行って並べていたら、店長に叱られる。「まだこんなことしてるのか」と。向うの方で担当者がヤバイと思ったのか、こちらに来ないで逃げたのが見えた。
雅子は、いつも気が付き過ぎて、仲間の失態をフォローして貧乏くじを引いてしまう。幼い頃から見ていて『ばかだなぁ』と思っていた母親と同じことをしているのに気がつき苦笑する。そう、母も過労で倒れて、長い病棟暮らしの末に亡くなった。最後は、施設に入れられ、家族は誰も行かなかった。それぞれの都合があって、雅子だって行けなかった。自分も、そんな末路をたどるのだろうか?雅子は家族に迷惑をかけないよう一人で入院を決めた。
末期で手術もできない。痛み止めも効かない。抗ガン剤は副作用ばかりで合うものが見つからなかった。ゲノム治療も、医師の決断が今ひとつ踏み切れなかったというのもある。治療方針が決まらないままベッドの都合もあって入院となった。
急なことで、何も用意することができなかった。しかし、最近の病院にはコンビニもあるし、寝間着も借りることができて、安いクリーニング代だけ払えばいいようになっていた。下着類も洗濯できるし乾燥機もあったので助かった。自分でするのが辛い時にも看護師に頼めばしてもらえる。身寄りのない人が多く入院しているから充実してきたサービスのようだ。
結婚しないで一人暮らしの人が都会には多い。浮浪者や生活保護の人でも医者にかかることができる。お金が無くても国が出してくれるので、安心して入院できる。こんな国は世界中探してもないだろう。旦那は主治医から病気の説明は受けたはずなのに、何日もお見舞いすら来なかった。家族がいても孤独だ。それでも、ポジティブに物事を考え、至れり尽くせりのホテルにでもいるつもりで入院生活を楽しもうと考えた。入院食もおいしい。薄口なのに、よく栄養バランスも考えられていて、料理好きな雅子には勉強になった。
しかし、抗ガン剤治療が始まると、いきなり食欲も無くなり、体もだるくて苦しくなった。口内炎もできたし、髪も抜け初めて医者に泣いて懇願した。「抗ガン剤治療は止めてください。緩和治療や痛み止めとかで。苦しいのは嫌。助けてください」と号泣したら、薬を変えてくれたのか、楽になった。そうして、苦しんでいる時に限って旦那がやって来た。しかも、皆の前で雅子を叱責する。看護師に止められて追い出されるまで自分の不幸を言い立てる。
こんな時に本性はわかるものだ。同室の女性が、優しくなぐさめてくれた。それがキッカケで仲良くなって、様々な情報をもらうことができた。パートでも社会保険をかけているなら傷病手当がもらえること。保険会社に電話して先にもらえる保険料を生きている間にもらって好きに使うことなどなど。死を待つしかない人生に少しの悦びがあるかも知れないという予感が精神的に救いとなった。
半年の命だと言われているが、その女性は二年生きているし、傷病手当や保険金を使って、一時退院の時に最後の人生を楽しんでいるのだと話てくれた。そんな体験を聞くと前向きになれた。『働かなくても一日生きているだけで、お金がもらえる。それだけでも生きている価値がある』と思うと家族をアテにしないで残りの生涯の幕引きができる。『どうせ家族は自分が死んでも便利な家政婦がいなくなって不便だとしか思わないだろう。悲しんでくれる人などいない』と諦めながら、寂しくて惨めで布団の中で息を殺して泣いた。
(ガンは自分の生き方の間違いを教えてくれるもの?)
少しの間、入院して家から離れて、わかってしまった。家には取りに帰らなければならないものなど無いということ。会いたい家族も、見たい顔も無かった。『私の死を悼んで悲しんでくれたなら。ほんの少し、優しく助けてくれるなら』そんな、ささやかな期待も打ちのめされた。いつ退院するのかも聞きもしない家族。頼ることなどできない人々の元に帰る気がしなかった。
スマートフォンの電話の電源を入れる。旦那から何十件も着信が入っていた。「私の事は死んだと思って忘れて下さい。」とメールして携帯電話の電源を切る。次は郵便局に行って新たな通帳を作って、家に残して来た預貯金は使えなくするだけだ。いつから、こんな大胆なことをやらかそうと思ったのだろう?ずっと無視していた深い怒りが噴き出してきて、ガマンできなくなった。冷静にになって自分を取り戻せたと言うべきかも知れない。全てを振り切って自由になったら、せいせいして何だか元気になった。
北海道に来て美味しい魚やウニやイクラを食べたせいかも知れない。そろそろ同室の彼女と温泉旅行の打ち合わせをしなければならないと思い連絡したが、繋がらない。仕方なく病院に電話して、さりげなく主治医に聞くと、数日前に亡くなっていた。一緒に温泉旅行しようと約束していたのに。あんなに彼女との旅行を楽しみにしていたのに。雅子は落胆のあまり、北海道の旅から帰って来た羽田空港で、何も考えずに沖縄に飛んだ。
目的もない。何をするでもない。ただ、自分の命が尽きるまでの束の間の息抜き。いつ病に倒れ、絶滅するかもわからない命なのだから。行きたいところには、今すぐ行こう。できるだけ贅沢なホテルを選んで宿泊する。こんな時に節約してみじめなホテルを選んだりしたら、自殺したくなるような気がしたからだ。しかし、はじめての土地で、新たな出会いと目の前の新鮮な発見にかまけていたら一人旅も逆に楽しくなっていた。
社交的な雅子は、すぐに誰とでも仲良くなったし、働こうと思ったらマメなので即戦力になり、どこの職場でも重宝された。あちこちの町で、求人募集を見てはアルバイトして日銭を稼いで楽しんでいた。『どうも、遊び歩いているだけでは、つまらない。働くのが好きなのだなぁ。』と、苦笑する。住んで初めてわかることも多い。沖縄に住んでいる人は、昼間から海では泳がないとか。ビーチで遊んでいるのは旅行者ばかりとか。
しばらくして沖縄に慣れて来たら、ふと人恋しくなった。スマートフォンの電源をつける。もう家族から連絡は入らなくなった。昔作ったフェイスブックを検索してみる。結婚して沖縄に移り住んだ友人がいたのを思い出したからだ。苗字が変わっているのか?捜せなかった。仕方ないのでインスタグラムに沖縄の風景をアップしておいた。まさか家族は昔の名前でSNSをやっているとは気づかないだろう。
「沖縄?」と高校時代の親友の一人から、すぐにメッセージが入った。「誰か沖縄に知人はいない?」とレスポンスを返す。「聞いてみる」と返事があった。
(初恋の人との再会)
次の日、珍しい人からメッセージが入っていた。それは高校時代に憧れていた小林勉。頭が良くて、確か東京の有名私立大学に進学、そのまま大手商社に入社したと噂で聞いていた。その彼が、今は沖縄で民宿をやっていると書いてあった。なんという偶然。思いもよらない再会の予感。雅子は小林に憧れていた。たぶん、小林も雅子に恋心を寄せていたに違いない。
誕生日にくれたハンカチは?何年か大事にしていたのに、今はどこにやったのか記憶に無い。それでも可愛いリボンをかけた小さな包みを別れ際に差し出した恥ずかしそうな小林の顔は今も目に浮かぶ。「ハンカチ?ありがとう」と口では言ったが『でも、別れの時に渡すって聞くけど』と不吉な予感に苛まれ胸がちょっと痛んだ。その後、予感は的中して、小林は東京に。雅子は地元の大学に進学して、二度と会うことは無かった。
女は、どれだけ成績優秀でも他府県の大学への進学などはできない。経済的な問題もあるが、女が東京など行って一人暮らしなどしたら、ろくなことがないというのが大人たちの意見だった。『頭のいい女は男に疎まれて結婚が遠のく』と信じられていた時代だ。『女は優秀でも仕事ができてもいけない。男に花を持たせるような、三歩後ろを歩くような控えめな女で家を守っていかなければならない。』が常識だった。自由な恋愛なんて不純異性行為だと勝手にレッテルを貼られるので恋心は知られないように気をつけていた。手さえ握ったことのないプラトニックラブ。小さな小花柄のピンクのハンカチは切ない初恋の象徴だった。
小林に会ってみたかった。その民宿に行ってみようと思った。病で老けてしまっている姿を見せたくは無かったのだが、人恋しかった。誰かと話がしたかった。昔の自分に合いたかったのかも知れない。小林の思い出の中にいる高校生の自分って、どんなだったのだろう?
(出会いによって何かが変わる)
「山下さん?懐かしいなぁ。面影あるよ。何年ぶりだろう?」と少し小太りした小林だったが、話をしていると高校時代が蘇って来る。あの切ない思いが込み上げて来て、隣で肩を抱かれると小娘のように赤面した。「リストラされて、新規一転。憧れていた沖縄で海の見える家を買って、家族で移り住んだけど。妻も娘も馴染めなくてね。今は一人で無理をしないで、素泊まり専門の民宿のオヤジさ」と豪快に笑った。「一人かい?女が一人で旅行って、何かあるんじゃないかと皆不安がらない?」と聞かれて「自殺とか?」と横目でニヤニヤしながら言うと噴き出して「山下さんには、ありえない話か」と爆笑された。
結婚以前の苗字で呼ばれて、昔に帰ったような気がした。「いろいろあるんだから。こう見えても」と言うと心配気に「そうなんか?」と言ったきり、沈黙がいたたまれないのか焼酎をあおった。「強いのね」と感心すると「そりゃあ、筋金入りのアル中だからね」とおかわりをしていた。おかげでフラフラになって、居酒屋から雅子が支えて連れ帰ることとなった。
民宿には他には誰も客がいなかった。夏休み前の平日だったせいもあっただろう。男一人できりもりしているせいか、掃除も行き届いてはいない。布団も何だかカビ臭い。小林はイビキをかいて泥酔している。仕方ないので、タオルケットをかけて、彼を起こさないよう気をつけながら掃除をした。つい体が動いてしまう。長年の習性なのか?綺麗好きというより神経質な性分なのだ。病気のせいで以前のようには動けなかった。休みながらも、つい気になって、ほとんど徹夜状態で民宿を磨き上げた。疲れて客間のベッドに横になった。波の音がする。まるで海の上に浮かんでいるような錯覚に陥る。
どれほど寝たのだろう?何だか良い香りに目が覚める。「山下さん、ゴハン食べる?」と小林の軽快な声が階下から聞こえてくる。「はーい」と返事をして、ゆっくりと起き上がると窓の向こうにコバルトブルーの海が見えた。太陽にキラキラ輝く水平線。潮風の香り。眩しい陽光。数日前から沖縄に来ていたのに、初めて沖縄の海を見た気がした。『うわーっ。気持ちいい』と両手を挙げて伸びをしたら、どこかの骨がカクリと音を立てた。こんな時、年齢を感じてしまう。長い間、床を拭いた後の腰の痛みとか、無理した時の肩のコリとか、尾をひいてしまう。もう若くはないのだと、実感させられる。
「山下さん、ありがとう。あれから掃除してくれたん?朝起きたら、どこもかしこも綺麗になってたんでビックリしたわ。」と喜んでいる。「何も無いけど、パン焼いてみたんや。塩は沖縄のなんやけど。どう?焼きたては、うまいから早う食べてみ」と懐かしい関西弁が出る。「うん、イケる。このスパムも沖縄らしいわ。」と美味しそうに頬張るのを見て「変わらんなあ」とほほ笑む。「高校の時から変わらんって?若々しいってこと?」と聞くと笑ってごまかされた。「そんなキャラやったっけ?」と小林も笑う。『この笑顔が好きだったよなあ』と、ちょっと胸が跳ねる。見た目はお互い老けたけど、話をしていたら外見などは気にならない。まるで、あの頃の二人に戻ったみたいだ。そう、高校生のあのプラトニックな関係に。
どちらにしても、とっくに男と女とは意識できない年齢だったし、今更恋などと想像もつかない。失われた数十年前の青春。そこには、変わらず恋人未満、友人にもなり得ない同窓生の二人が寄り添っているだけだった。たぶん、何も起こらない。何日も二人きりでも男女の深い関係にはなりそうにない。思い出だけが二人を繋いでいた。タイムスリップして、あの頃に帰りたかった。親しくしていた共通の友人や先生たちの噂話は尽きない。何でも無いことが、あの頃には面白かった。ただ一緒にいるだけでハイテンションだった。「それで、山下は家族はいるんか?」と小林が聞いた。突然過ぎて、「さあね」と説明するのを避けた。「いつまで沖縄にいる予定なん?」と聞かれて「ずっと?明日をも知れぬ旅カラスだから」と笑って煙にまく。小林も諦めて「掃除してくれるんやったら、何日でも居たらええやん」と歓迎してくれた。「しゃあないな。ここをピカピカに磨いて、手料理でも披露するかな。惚れても知らんよ」と冗談めかして笑顔を作る。「こんな汚くしとったら客も来ん。山下さんは救世主かも知れんしな。ナンマイダブツ?ナンミョウホウレンゲキョウ?アーメン?なんかわからんけど、拝んどこう」と手を合わすので「気色悪い。やめてよ」と手をヒラヒラと振る。「いや、高校時代は憧れのマドンナやったから。夢のようや」と冗談ぽく笑う頬が少し赤かった。人は思い出を今と重ねて、束の間時間を飛び越え夢を見る。そこには、くたびれた中年の男女しかいないのに、確かに学生服を着た青春の日々が蘇っていた。『あの時、好きだと言っていたら運命は変わっていたののだろうか?』などと無駄な妄想を雅子はシャットダウンする。
二階からは見えていた海は庭塀と木立ちに阻まれて見えない。同じ位置にいても、見える風景は違う。あたりまえのことが可笑しかった。「昨夜は掃除して徹夜だったから、まだ眠い。悪いけど、もう少し寝て来ていい?」と言い終わらないうちに階段を上がっていた。二階の部屋からは明るい陽光と眩しく光る海が見える。さっきよりも青く波が白く空はどこまでも広がっていて美しかった。いまだかつて、雅子は、こんな風景を見たことがなかった。まるで、絵葉書のような、何の陰りもない常夏の海がそこにはあった。若ければ、飛び込んではしゃいで浜辺で駆け回っていたことだろう。そんな青春時代を過ごさなかった。いつも勉強に追われ、社会人になると仕事に追われ、結婚すると子育てと家事に追われた。いつもいつも何かに追われて、こうやってじっくり周囲の風景を見ることが無かった。死を意識して、最後に神様がくれた、これはご褒美なのだと思った。
(共依存人間にしたのは私?)
夢を見た。家族の顔が目に浮かぶ。みんな批判的な目で雅子を見ている。家族みんなの自立を阻んだのは自分の献身的な愛のせいだとわかっている。しかし、近くで困っている人がいたら、つい助けたくなる。お節介だと思う。本当は自分でできるまで見守って応援してあげるべきなんだろう。しかし、代わりにやってしまう。おかげで、掃除も洗濯も料理も、壊れた電化製品の修理も力仕事も全部頑張ってやってしまって、旦那も子供も何もできない人間にしてしまった。皆から尊敬されたかったのだろうか?できることを自慢したかっただけなのだろうか?本当は怖くて仕方なかった。自分を必要としてくれないことが。存在価値が無いと思われるのが。できそこないの母親のせいで子供が苦労するとは言われたくなかったから。年齢を重ねるほどに、バカにされ邪魔にされることが怖くて必死に働いていたような気がする。そこまで自分を犠牲にして尽くすことなどないのに。長年自分自身を大切にしなかったツケが溜まってしまって、こんな病気になってしまったのか?あんな家族にしてしまった加害者は自分だった。だから遅いかも知れないけれど、家族から離れてあげなければならない。自分が消えることが、皆のためなのだ。もうすぐ死ぬ運命なのだから。別れは辛い。ガン病棟で仲良くしていた女性の死は、同じ病気だっただけにショックは大きかった。そんなこともあると覚悟していたつもりだったけれど、平常心ではいられなかった。明るく優しく美しい女性だった。「一緒に旅行に行こうね」と約束したのに。数日間、彼女がいなくなってしまったこと。もう二度と会えなくなってしまったことなど受け入れられなかった。出会って、まだ日も浅いと言うのに悲しくて仕方ない。誰にも看取られず。退院するはずだった日に眠るように逝ってしまったらしい。まるで、雅子に旅行を勧めるためだけに出会ったみたいだ。彼女の幸薄い人生を思うと涙が溢れてくる。
人は時々他人と比べて幸不幸を感じるという習性がある。失礼な話だが、彼女に比べたら自分は随分マシだと思う。彼女は神戸出身で、親兄弟を震災で亡くして天涯孤独な身の上だった。あの地獄絵を体験し精神を病み、孤児院で育った。それでも必死で勉強し、様々な資格を取った。派遣会社に就職し重宝されたが、正社員にはなれず数年前から仕事が来なくなった。派遣の定年は33才と言われている。仕方なく夜も働いて、過労で倒れ、精密検査でガンが見つかった。そこから入退院を繰り返していた。頭のいい彼女は、孤独と闘いながらも、楽しみを見出し、前向きに生きていた。「死は、最後の祝福だ」と彼女は、よく言っていた。黄泉の国へ行けば、また会えるのだろうか?残された者の苦しみ。守られなかった約束。まるで彼女からバトンを渡されたかのように、自分は自由に旅をしている。死の恐怖と孤独と寂しさを友として?いや今まで経験したことの無い未知の世界は、束の間いい夢を見せてくれている。昔の思い出を探りながら、生きていることの輝くかけらを探している。そして、運命は想像外に奇想天外。未来はある日、突然強制終了されるかも知れない。しかし、人生は捨てたもんじゃない。憧れていた初恋の相手との再会。あの青春の輝いていた自分に会えた。もう、それだけで生きている甲斐があった。
「この家を出て何ができる?そんな年で、誰が雇ってくれる?お前なんか、おとなしく三食昼寝付きの家政婦をしていたらいいんだ。俺に養ってもらうしか能の無い役立たずなんだから」との旦那の言葉が、リフレインされる。あの牢獄から逃がさないために放たれていた呪縛の言葉。もっと早く離れるべきだった。本当の自分は愛される真面目で勤勉な人間だったと思い出す。人一倍頑張ってきた。誰よりも皆のために尽くしてきた。良き人であろうと、あらゆる欲求やわがままを遠ざけ、誠実に生きてきた。だから苦しかった。両親の期待も裏切れなかった。先生や友人たちの要望にも応えたかった。でも、いつも寂しかった。一人ぼっちで、誰も愛せなかった。今、自分は自由で山下家の娘でも柴田家の嫁でもユウちゃんとミヨちゃんのママでもない。この肉体は、やがて朽ちて塵となって風に舞うのだろうか?あの海に吸い込まれて。魚たちと戯れ、あるいは餌となって海を旅するだろうか?そんなことを夢想しながら眠り込んでいたらしい。
(好きな人と好きなことをする)
「山下、昼メシは何度声かけても返事が無かったから、寝かしておいたけど。夕食ぐらいは一緒にしようや」と小林の声で起こされた。深い睡眠だったのだろう。十時間も寝ていたらしい。窓から見える海は、暗闇の中で月明かりだけが輝いていた。これからこの海を眺めながら、生命の息吹に癒され感動しながら日々を送ることになるのだろうか?「これ何?ソーメンを焼いたの?でも、おいしそう」と雅子が言うと「これぞ、吾輩の唯一の自信作ゴーヤとソーメンのなんでも炒めてチャンプル。栄養満点。沖縄のご当地名物ということにしてある」などと、大げさなわりに適当なウンチクと皿に大盛の炒め物が出てきた。それと、アワモリ。お酒は欠かせないようだった。ほかに、つまみが数品。豚の耳とかテビチという豚足などは生まれてこのかた食べたことが無かったが、癖になる味だった。「やっぱいいね。姥桜といえど、誰かと飲むのは華がある」などと茶化して笑う。「誰が、姥桜なん?」と睨みつける。笑いに厳しい大阪人らしいボケ突っ込みで笑いが絶えない。こんなに笑うのも久しぶりだった。「高校生の時、小林君のこと好きやったの知ってた?」と、したたか酒を飲んで酔った勢いで告白した。「俺も山下のこと好きやった」と急に真面目な顔をして言うものだから、噴き出してしまった。思いっきり笑ったら涙が出てきた。「笑いすぎとちゃうか?」と小林は、いじけてコップの酒を飲み干した。「奥さんとはどこで知り合ったん?」と聞くと「そんなこと聞いてどうするん?」と、そっぽを向いた。「ええやん。教えてくれたって。なんか、他人の恋話聞きたい気分やねん」と甘えるように言うと「山下の方は、どうやったん?」と聞かれて「そんなもん忘れたわ。と言うか、思い出したくない」と興覚めして、空いた皿を片付ける。「ごちそうさま。美味しかったわ。明日からは、私が作るから。もうすぐ夏休みやから、忙しくなるんやろ?」と言いながら、洗い物をしていると後ろから小林に抱きすくまれた。「ずっと好きやった。忘れられんかった。ここに山下がいるなんて夢のようや」と言うなりキスをされた。「ちょっと」と避けようとしたのは、蛇口を閉めたかったからなのに。小林は誤解して「ごめん。こんな俺なんか嫌やろ?」と、すごすごと元にいた場所に行って、立ったまま、酒をラッパ飲みした。雅子は急いで水道の蛇口をひねって水を止めて、小林の背中にすがりつくように抱きしめる。「ウチも、ずっと好きやった。久しぶりに会っても、あの頃と変わらん。お互い年はとったけど、懐かしくて。ううん、あの時の思いを叶えたい。」と言うのも待たずに押し倒された。「ちょっと待って」と言う声も激しい接吻で、かき消された。波の音がする。特に騒がしいのは台風が発生しているせいかも知れない。そんなことを思いながら、情欲に溺れていった。死を前にすると、これほど人は奮い立たされるものなのか?もう何年も男に抱かれていない。自分の女子力なんて、とうの昔に廃れてなくなってしまったものと思っていた。雅子の体は、そもそもは旦那しか知らない。しかも、結婚して子供を作るための儀式のような、義務のような営みだった。快楽なんて感じたこともない。子供ができて、無罪放免されてホッとしたのを覚えている。
小林の体は下腹も出ていたし持久力だって無かった。それ以前に気持ちとは裏腹に持病の糖尿病のせいか、お酒の飲みすぎが原因なのか?合体することは叶わなかった。しかし、そんなこと、どうでも良かった。自分を好きだと言ってくれた。愛しいと思って求めてくれた。そのことが嬉しかった。こんな年で、死を意識している病気の体で、誰かに愛されることなんて考えもしなかった。『そもそも女に情欲なんて、あるはずない。自分に限っては絶対に』と思っていた。しかも、旦那に離婚届は送ってはいたが、まだ出してくれていないみたいだったから不倫になる。『もしバレたら慰謝料は取られるのだろうか?』と怖れを抱く。『どこから不倫になるのだろう?』と思うと、最後まではしていないのだから未遂ではないかと言い訳してみたり。人の道を外れた罪悪感が、こんなに甘美なものだとは知らなかった。止めなければならないと思えば思うほど、求めてしまう。いつ終わりが来るか、わからないから、この一瞬が愛おしくて仕方ない。今だけ。今しかないと思うから余計に狂おしい。
情熱と愛とは違う?若い時なら、そうかも知れない。年齢を重ねたら、無くなるものだと思っていた。年甲斐も無いと雅子は驚き戸惑っていた。窓の外には美しい満月が浮かんでいた。荒々しい波の音もけたたましい風が窓を打つ様も、雅子たちに警告を発しているかのように思えた。
(寂しい心を温め合って)
雅子は、ここを最後の地にしたいと思っていた。小林にも自分の病気について話した。たまに辛そうにする雅子に、それからは心をくだいてくれるようになった。あの夜、二人はひとつになれなかったことが、きっと小林にはショックだったのだろう。雅子のガンを克服したいとの思いもあって、急に健康志向になったようだ。お酒もたばこも止めてくれた。誰かのためなら頑張れるタイプのようだ。
「朝飯できたよ」と、今朝も階下から小林の声がする。具だくさんの味噌汁と野菜をふんだんに使った朝食は、雅子の体を考慮して作ってくれたものだ。「食欲が出たみたいやな。良かった」と笑顔を向けて言う。初恋の相手だった彼との夢のような日々。彼には、なぜか甘えられる。今までの自分とは別人みたいだ。
「あの時、僕に勇気があったら、人生はどうなっていただろう?」と彼は聞く。「あの過去のおかげで、今がより素敵なのかも」と私はほほ笑む。
こんなに大切にされたことなどなかった雅子には、くすぐったいような申し訳ないような様々な気遣いがあったが、それを払拭してくれるほど小林は親切だった。
日々は静かに、穏やかに過ぎて行った。気がつけば半年の年月が経っていた。料理上手な雅子のおかげで民宿には、いつも数人のお客がいて、常連さんも本土の美味しい食べ物などをお土産に持って来てくれて、毎晩宴会騒ぎ。雅子の病を知る者は、ガンに良いと言われる民間療法やサプリを持参してくれたりした。そんなみんなの愛情のおかげか、雅子は痛みも無く、病気のことなど忘れるくらい元気に過ごしていた。二人とも、出会った時よりも若々しく、スタイルも良くなって笑顔が絶えなかった。
小林は、あの夜以来雅子を求めることはなかったが、まるで雅子を守るかのように優しくキスをして抱きしめてくれる。愛おし気に髪を撫で、腕枕をしてくれる。それだけで充分だった。沖縄には不思議な力を持つという霊能者が多い。「滅多に起きないから奇跡なんでしょう?」と最初は雅子は会うのを拒んでいた。しかし、月食の日、何か心境の変化があって、会うことになった。その夜の満月は美しかった。そして、徐々に消えて、やがては闇に包まれた。風の強い夜だった。やがて月光に照らされた二人は、まるであの初恋の日のように若返って見えた。そして荒々しい波音に合わせて絶頂をむかえた。やがて二人は深い深い眠りに落ちた。何かが崩壊し、新たな何かが生まれた気がした。本来あるべきところに納まったような、しっくりとくるこの感じ。ずっと一つになっていたいという感覚。ジグソーパズルの最後のピースがハマったような悦び、達成感?この瞬間を何億年も待ち望んでいたような感覚。悦楽よりも安堵という感じ。それから二人は飽きもせずに目が覚めると、どちらからともなく体を寄せ合い求め合った。今更、何を生み出すワケでもないのに。ただただ愛おしくて狂おしい。何度もまどろみ時間を忘れて絡み合って果てては繋がり合った。こんな幸せな営みがあるなんて雅子は知らなかった。このまま死んでもいいとさえ思えるくらい幸せだった。「泣いているの?」と言う小林の声に、これが夢ではないことに安堵した。風と波の音が地球の鼓動のように聞こえて、まるで母体の中にいるかのような錯覚に捉われながら目を閉じる。
(エピローグ)
眩しい陽光に自分が今どこにいるのか?一瞬わからなくなる。過去の日々が、悪夢だったような気がするのは、今が満ち足りているせいだと思う。時間が止まったような逆行しているような不思議な感覚。鏡の中の自分の顔は、ますます潤って若くなった気がする。女は恋をすると美しくなると言うのは本当だと実感する。化粧もしない。できるだけ自然でありたいと思う。魂が欲しているものだけを手にする毎日。色々なものがそぎ落とされ身心共に軽くなっていた。
このタイミングで、霊能者のユタ様と縁が繋がるのも必然のような気がした。百歳とも言われているユタ様は、明るい調子で「何の心配も無い」と笑いながら言う。そんなはずは無いと私は「ガンなんです」と打ち明けると「誰の体にもガンはある。ストレスの元凶を断つことができたら消える」とこともなげに言われたら、不思議と安心してしまう。検査はしていないけれど、確かにガンは消えている気がする。そして最後に「世界には、たった一人の運命の人がいるから。女は人生をかけて探さないと幸福にはなれない。体も心もピッタリと来る相手とつながった時、初めて幸せの扉が開く」と言うメッセージを頂いた。そして、その夜、彼と激しい波の音に体をゆだねながら抱き合った。月食が起きていることさえ気がつかないほど、求め合って、ひとつになれた。その時、まるで金庫の鍵が開いたかのような音が耳の奥で確かにした。「なんで泣いてるの?」と彼に言われて、涙が出るほど感動している自分に赤面する。
明日をも知れない命なのだから、どんな常識も道理も、今の私には邪魔でしかない。せっかく生まれて来たのだから幸せになっていいはずだ。そして、いいことなんて無かった人生だったけれど、もし前世があって、やり残したことがあったとしたら彼への思いを遂げることだったような気がする。
これからは、頭であれこれ考えず今を大切にして自分の気持ちに素直に生きたいと思った。ガンが教えてくれたもの。それは、自分を愛すること。ありのままの自分を認めて、思うがままに生きることだった。