2.教科書汚損の顛末(その2)
「はぁ……はぁ……何て丈夫なのよ、この本。……力を入れるところが間違ってるでしょ……」
高価な教科書がそう簡単に破れたり散けたりしては困るだろうから、それなりに丈夫に作るというのは間違ってはいない筈だ。まぁ、問題の教科書は、悪魔の力で補強済みなのであるが。
「……仕方がないわね。あまり派手な真似はしたくなかったんだけど……」
そう呟いて懐に手を入れるサンドラ。一体何を始めるのか――と、ヘクトーも思わず身を乗り出す。ドキュメンタリーも愈々佳境に入るようだ。
ワクワクしながら見ている観客の目の前で、サンドラはペンナイフを取り出すと、えいや!――とばかりに教科書に突き立てる!
……が、当然ヘクトーの【状態維持】と【不壊】の魔法に弾き返され、傷一つ付ける事ができなかった。
「……何なのよ、これ……幾ら何でも凝り過ぎじゃないのよ……」
むきになったサンドラが目を血走らせて繰り返し凶刃を振るうが、強化済みの教科書はその悉くを涼しげに弾き返す。ぜいぜいと肩で息をしているサンドラとは対照的に。
「……くっ……仕方ないわね。次善の策を採るしかないか……」
おや、他にも手立てを考えていたのか――と、興味津々のヘクトー。何やら悪女と悪魔の知恵比べの様相を呈し始めたようだ。
ヘクトーがワクワクと見ている前で、サンドラが鞄から取り出したのはインク壜。なるほど、傷付けるのが無理というなら、インクで汚してやろうという肚らしい。しかし――生憎な事にその教科書には、先程ヘクトーが【不穢】の魔法をかけたばかりである。内心でせせら嗤っているヘクトーの前で、何も知らないサンドラは余裕綽々といった態度で、
「見てなさいよシーラ・デュモア。貴女を追い落として、あたしが物語のヒロインになるんだから!」
何やら不穏当な決意を表明したサンドラが、今まさにインク壜を傾けんとしたところで――
「サンディ、ここにいたんだ」
「ひゃうっ!」
教室の入口から声をかけたのは、レックスことレクサンド王子の取り巻きの一人。現宰相の次男でもあるシム・ウーゾリーであった。
「シム……脅かさないでよ」
「ご、ごめん、別に脅かすつもりは無かったんだけど……」
「ビックリして手が滑っちゃったじゃない。見てよこれ」
「うわ……これはまた……」
驚いた拍子に手が滑って、インク壜を取り落としたため、教科書はインク塗れの状態である。一瞬狼狽はしたものの、寧ろこれでインクを落とした説明が付いたというものだ――と、内心で〝結果オーライ〟と思っていたのだが……
「……あ、でも……教科書にはそれほど染み込んでいないような……えぇっ!?」
「あ……あれ?」
狙いどおりに事が進んだと内心で北叟笑んでいたサンドラであったが……豈図らんや、シムがハンカチで教科書を拭ってみたところ、そこに現れたのは汚れ一つ無い美品のままの教科書であったから、シムもサンドラも驚きの表情を隠せない。独りウンウンと得意げなのはヘクトーであるが、生憎とその姿は凡人二人の目には映っていない。
「奇跡だ……これは奇跡だよサンディ! 神がサンディの清らかな心をお認めになったんだ!」
「え? えぇ……?」
さて、このシム・ウーゾリーという少年、先にも述べたように宰相の次男であるが、冷徹な政治家である父親への反撥からか、神だの信仰だのに走る傾向が強かった。そんな彼がこの〝奇跡〟を目にした事で、サンドラを巡る状況は些かおかしな事になっていくのだが……それはもう少し先の話になる。
本日はもう一話更新します。