1.教科書汚損の顛末(その1)
「恐らくですけど、次に彼女が行なうのは、自分の教科書を傷付けたり汚したりして、それを私のせいにする事でしょう。場合によっては、私の机に隠すところまでやるかもしれません」
なぜか自信たっぷりに言い切るシーラ嬢に、ヘクトーの方は疑わしげな態度を隠さない。仮にも王立学園の生徒に、そこまで浅はかな行動をとる者がいるのか?
「……我ながら嫌になりますけど、彼女がやりそうな事はある程度見当が付くのですわ」
なぜか憮然とした表情で、それでも確信有り気に言い切るシーラ。
その自信の根拠は判らないが、シーラ嬢が自己嫌悪に陥っている理由は察しが付く。バカの心理が理解できるというのは、自分とバカの間に一脈通じるものがあるという事だ。そりゃ、嫌になるのも道理である。
「彼女は人目の無い時機を見計らって、自分の教科書を傷つける筈です。恐らくは自分のクラスでそれを行なう筈ですわ」
「はぁ……」
「なので貴方には、それを阻止して戴きたいの。手段については任せます」
「は、承知いたしました」
・・・・・・・・・・
姿を消してサンドラの教室へ急ぐヘクトーであったが、さて具体的にどういう手段を採るべきかと、内心で思案を巡らせていた。
対象の行動を監視して、それを阻止するのが基本なのだろうが……頭のおかしい小娘一人のために、そこまでの手間暇をかけるというのも業腹だ。なら……
(……愚行を阻止するというより、その愚行が成就するのを妨げてやれば、結果としては同じだな……)
お嬢様からの要望は、小娘が冤罪をでっち上げるのを阻止するというものだ。言い換えると、犯罪としての要件が成立しなければいい。
(教科書を傷付ける事ができなければ、対象の目論見は失敗に終わる筈。態々バカに付き合って張り付く必要も無い……これでいこう)
そう判断したヘクトーはサンドラの教室に先廻りすると、彼女の教科書および道具の一式に【状態維持】の魔法をかける。念のためにと【不壊】と【不穢】の魔法まで重ねがけする椀飯振舞である。つい先程までただの教科書類だったものが、一気に加護持ちアイテムに化けた。
(……ん? 監視対象が戻って来たか? 間一髪だったな)
処理済みの教科書を机に戻し終えたところで持ち主が戻って来る気配を感じ、速やかに教室の隅に引っ込むヘクトー。丁度好い、ここで高みの見物としゃれ込む事にしよう。
「……ったく……シーラったら何で動かないのよ。話が進まないじゃないの」
はて? ――と、彼女の台詞に注意を向けたヘクトーの耳に、続けられた彼女の呟きが届く。
「おかげであたしがあの子の代わりをやる羽目になっちゃったし……」
訝しみつつ見ているヘクトーの目の前で、サンドラは辺りをキョロキョロと見廻して目撃者がいない事――ヘクトーの姿は見えていない――を確かめると教科書を取り上げ、握った両手に力を籠めて教科書を引き裂こうとしたのだが、
「――くっ! 何よこれ。無駄に丈夫な作りにしてくれて……ふんぬっっっ!」
満面に朱を注いで歯を食い縛り、悪鬼の形相も斯くあらんかとばかりに力を籠めるが……そんな事でどうにかなるほど、悪魔の「加護」(笑)は柔なものではない。持ち手を替え、体勢を変え、果ては一端を足で踏ん付けてから他端を両手で引っ張る――などの悪足掻きまで演じるサンドラ。
姿を消して見ているヘクトーは、笑いを堪えるのに必死であったが、やがて〝これは映像を記録して、お嬢様にも見て戴いた方が良いのではないか〟――との考えに思い至る。これだって或る意味では証拠映像であるし、何なら上司に見せてもいい。そう思い付いたヘクトーは徐に記録の魔術を――こっそりと――発動する。後日になって(悪魔の力ではなく)〝魔道具で記録した〟と主張できるように、態々記録方式を揃えるという念の入れようである。こういうところに気が回る辺り、実は結構優秀なのかもしれない。