2.実務者との相談
上司だという悪魔と相談して詳細をアレコレ詰めた後で、正式な契約を締結し、当事者となったご令嬢――デュモア公爵令嬢シーラ――は改めて見習い悪魔に向き直った。ちなみに、上司は既に契約書を持って礼儀正しく退散している。
「それでは……私の事はご存じだと思いますけど、改めて名告らせて戴きますわね。シーラ・デュモアと申します。貴方の名前は何とお呼びすれば宜しくて?」
「は! 我々の間では真名を知られると色々不都合が多いので、任務中はコードネームを使用する事となっております。今回の任務において設定された自分のコードネームは、-y~N9gPk_*Z+($……」
「ご存じかしら? 発音できないものは『名前』とは言いませんのよ?」
淑やかに、しかし断固たる不同意と若干の苛つきを覗かせて、シーラ嬢は見習いの若者――と言うか少年――の台詞を遮った。少年がビクンと身体を引き攣らせた様子を見ると、この一言で格付けが済んだ模様である。
「貴方の事は『ヘクトー』と呼ぶ事にいたします。構いませんわね?」
「は、承知しました。宜しければ、名の由来を伺っても?」
「そうですわね……ヘクトーというのは、大昔の物語に出て来る英雄の名前ですわ」
「ヘクトー……寡聞にして存じませんでしたが、承知しました。以後、自分はヘクトーと名告らせて戴きます」
「えぇ。宜しゅうに」
こうして、当事者二人の相談は具体的な部分に入っていった。
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「……そうしますと、そのサンドラとかいう小娘が婚約者の方に色目を使うのを止めさせたい。それも目立たないように――というのがお嬢様のご要望で? ……ご無礼を承知の上でお訊ねしますが、それだけで宜しいのですか?」
「えぇ、直に手を下すとレクサンド殿下が煩いのと、騒ぎを大きくすると学園の体面にも関わりますし」
「はぁ……」
あまり納得していない様子のヘクトーであったが、依頼人の意向がそうだとあれば仕方がないと割り切ったようだ。
「それに……少し考えている事があって、彼女を極刑にはしたくありませんの」
「……そこまで悪感情は抱いておられない――と?」
「どちらかと言えば、小娘一人の言動に振り回されて失態を繰り返す、バカたちの方に問題があるでしょうね」
「なるほど……」
「寧ろ、バカが相手とは言え一応は王家の者を、ああまで手玉に取る技倆を褒めるべきかもしれません。……手管は些か下品に過ぎますけれど」
――なるほど。その歳で男を意のままに操る術を心得ているのなら、ハニートラップ要員としても優秀かもしれない。コロリと転がされる男に使い途など無いが、男を転がす女の方は色々と使い処がありそうだ。未成年とは言え公爵家の一員であるシーラ嬢が、確保を考えるのも解らなくはない。
「それに……あまり時間は無いかもしれません。彼女は私の悪評を流そうと試みて、上手くいかずに焦れているようですから」
「……その、〝悪評〟というのをお訊きしても?」
「幾つかありますけれど……そうですわね。まず、私は身分を笠に着て、彼女に意地悪をしているそうなのですわ」
「……思い当たる節がおありですか?」
「多分ですけれど、学園内でのマナーについて注意した事を言っているのではないかと。目上の方への態度が狎れ狎れし過ぎると言っただけなのですけれど」
「そのご指摘に反撥したと?」
「えぇ。学園内では生徒は平等の筈だ――とおっしゃって」
「……は?」
説明するシーラ嬢は失笑を浮かべているが、説明を受けたヘクトーの方は困惑の体である。
「……自分は人間社会の事はあまり詳しくありませんが……学園というのは確か、人間が社会で生きていくための知識などを学ぶ場所では?」
「そのとおりですわ」
「そうしますと……学園外が階級社会である以上、その社会で生きていくためのマナーを身に着ける事は、学園における教育の一環なのでは?」
「私たちはそう考えていましたけど、彼女の考えは違うようですわね。この国とは違う社会の『良識』とやらをお持ちのようですわ」
「……これは……一度なりとその小娘を観察しておきませんと、思わぬ不覚を取るかもしれません」
「その機会は作ってあげられると思いますわ。二つ目に、私は彼女が大事にしているアクセサリーを盗んだのだそうです」
「……は?」
目の前にいる少女は歴とした公爵令嬢。そのお嬢様が、どこの馬の骨とも知れぬ平民出の小娘のアクセサリーを盗んだ?
「いえ、木の実で手作りしたブローチとかいうのではなく、レクサンド殿下からの戴きものだそうですわ」
「……要するに、それが紛失して、盗難の嫌疑がお嬢様にかけられた――と?」
「えぇ。幸いにして直ぐに晴れましたけれど」
「……仔細をお伺いしても?」
「えぇ。ブローチの盗難があったというその日、私は王妃様に呼ばれて王城へ出頭しておりましたの……婚約の件についてお話があって」
「ははぁ……」
「その話はレクサンド殿下にも通っている筈なのですけれど……なぜかご存じでない様子でしたわね」
大方届けられたメッセージに目を通してもいないのだろう――と、小さく冷笑するシーラ嬢。王子としての先が思い遣られる為体である。
「ちなみに問題のアクセサリーとやらは、下町の宝飾店に持ち込まれたのを当家の者が確認していますの。……持ち込んだ者の人相書きも含めて」
「然様で……」
どうやら相手の残念指数はかなり高いようだ。まともに相手してやるのは馬鹿らしい気もするが、
「……かなり変わった思考を持つ相手のようですから、油断しない方が良さそうです」
「その意気で努めて下さいましね」
ヘクトーまたはヘクトルとはギリシア神話に登場する英雄の名前ですが、夏目漱石の飼い犬の名前もヘクトーといいました。