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三人旅

 ベッドにのめりこんで二度と起き上がれないかと思ったほど身体が重かった。目が覚めたなと、他人事のように思った。夢のことより、瞼にまだ張りついて離れない闇が愛おしかった。目を開けるのがもったいなくって、もう一度寝てしまおうかと思ったが、急に夢のことが鮮明に思い出してきて、寝返りをした。


 あんなわけの分からない夢を見るなんて、感傷的にもほどがある。いつから僕は貧弱な夢想家になったのだろう。頭まで布団を被ると、余計にむしゃくしゃしてきた。夢の中で誰かが名乗るなんてことは珍しい。まして、あんな悪夢だなんて。あんな嫌味な言い方をされるとは、侮辱するにも度が過ぎている。


 枕元に置いてある、愛用の銃ブローニングHPを撫で回してみたが、ベッドからは抜け出せない。試しに向いの壁に飾っている悪魔ルシファー像の頭に照準を合わせてみた。心の中で十発撃ち込んだつもりになってみる。罰が当たるだろうか? 


 そもそも、全部空想だ。何を意地になっているんだろう。この偽装だらけの生活こそ、全てではないのか。僕は何を望んでいる? これ以上何を? いや、必要なのは変革か?


 もう月が満ちている。朝食をダリアと一緒に食べてから昼食も取らずにぐったりと眠り落ちていたようだ。


 そういえばダリアたちは本当に僕を待つつもりだろうか。覗いてみるか? さすがにもういないだろう、などと考えたら、少しおかしくなった。さっき、夢の中で僕は一人で生きてきたつもりでいたではないか。これからも変わらず、平凡な町に留まっていればいい。それで十分だろう。本当にそれでいいのだろうか。ふと、視線を左手首に落とした。左手はずっと手袋をしている。そっと、めくると白くなった長い傷がある。死に損ないの証だ。


 このままの生活を維持できるだろうか。たった一人で。傷をそっと撫でてみて、何かを思い出しやしないだろうかと惨めっぽく目を反らした。不本意だが、クロムウェルの言うとおりなのかもしれない。僕は部屋の中をうろうろしはじめた。


 都会国は憧れの場所だ。そこには僕を虜にした、悪魔の概念は死に絶えているが、もう一つの崇拝すべき代物がある。銃だ。一発しか弾の込められないフリントロック式ピストルの時代は終わりだ。何よりあの重厚な色と、手にはまるグリップの握り心地といい、無駄のないリロードといい完璧だ。音もピストルのように乾いた感じがしなくていい。


 ナイフも好きだが、銃は労力がいらない。ただ、引き金を引けばいい。一発放つときに、冷静に思考できる。特にドニを殺るときは、ナイフだと何十箇所刺してしまうだろうか。いや、腕から足にかけて、丁寧に皮膚を削っていくかもしれない。命乞いをしてもらわないと、悲鳴をあげてもらわないといけない。それでも、足りなかったときのことを思うと、焼けつく痛みさえ感じる。


 やはり、銃がいい。今の手順をやるには感情に任せてはいけないのだ。途中で、発狂して一思いに刺してしまうだろう。ベルは楽には死ねなかったのだ。銃、動脈をわざとはずすには冷静にやらなくては。上手くやれば、その先にカタルシスだってあるかもしれない。いや、それならきっとナイフの方が効率がいいような気がする。いやいや、決して醜い復讐になってはいけない。実行するからには、最高の美学を持って形式的にやらなくては。


 ドニのことになると、少々熱が入る。熱を持ってはいけない。あくまで余裕を持たせないと。ここは一つ、呪いの呪文でもそらんじて、気持ちを落ち着かせよう。



「目を縛る、鼻を縛る、耳を縛る、口を縛る、胸を縛る、手を縛る、脚を縛る、いつも不幸があるように」


 呪いの呪文が済んだら少しばかり元気が出て、気持ちも固まりはじめた。お気に入りの銃だけ荷物にまとめて、悪魔辞典や悪魔召喚の技法、黒魔術といった書物には埃がかからないようにしておいた。内容は全て頭に入っているが、お守りとしていくつか持っていこう。


 続けて、黒魔術の歴史を暗唱していると、部屋の片づけがはかどり始めた。こんなに動いたのは久しぶりだ。だけど、動く度に夢で見た黒い影が脳裏を横切っていた。不吉な予感もしていた。ダリアの顔を見るだけだと自分に言い聞かせた。


 町を出るには北門と南門がある。どちらか分からないが、ダリアの匂いを辿っていくと、北門だと分かった。何故か早足になったが、北門が近づくにつれて、足が鈍ってきた。ベルの顔だと思って見てしまっては、立ち尽くしてしまうかもしれない。そのまま捕まったら引き返せなくなる。せっかく引き返す口実をあれこれ考えてきたのに、意味をなさなくなる。北門が見えた頃には、もう帰ろうかと思い始めた。残像を追いかけるようなものだ。


 寝そべっているライオン着ぐるみ男の隣で、不安そうにダリアはずっと辺りを見回して、僕を探していた。立ち振る舞いもよく似ていた。鎧さえ着ていなければベルそのものだ。とうとう足は止まってしまった。このまま遠くからずっと眺めていたい。


 決して近づいてはいけない気がする。目も合わせてはいけない。月光を受けて輝く青い瞳を見てしまったが最後だ。喜ぶどころか目も当てられなくなって、喉も枯れてくる。息をするのも忘れて、頭を垂れた。眩しかった。光に射抜かれたようで、痛みさえ感じた。僕の姿を認めるや否やダリアは駆け出してきた。


「来ーへんもんや思ってたわ。外で待ってたかいがあったわ。匂いで辿ってくれたんか?」


 何も話さなければ、ベルと変わりないのに。さっきの痛みが嘘のように消えた。かえってよかった。あのままでは、謝罪さえしかねない。この僕が一体何に謝るのか分からないが。


「犬みたいな言い方しないで下さい。さっさと行けばよかったんです」


 やはり憎まれ口が出てしまう。やっぱり来るんじゃなかったと後悔してしまう。こいつにベルガモットの代わりが勤まるわけがない。


「マジでつれてく気かよ」


 ロイクが顎をしゃくって僕を示した。


「お前に面倒を見てもらうつもりはありません。あくまで僕は都会国に行くだけです。おまけは黙ってて下さい」


「なんだと?」


「ロイクは怒ったらあかんわ」


 たしなめられたロイクはだみ声でぼやいた。


「それから、ほら、忘れ物ですよ」


 しぶしぶ引き離すように半分投げるように蛙の入った瓶を渡した。


「なんや、なんや、カエルやん! 何でそんな気持ち悪いもん、くれんねん!」


 瓶ごと突き飛ばされた。ダリアの蛙じゃなかったのか。おまけに、蛙が瓶から飛び出てこっちに丸い目を向けている。気味が悪いのはこっちの台詞だ。


「そんな子供の悪戯みたいなことする人や、思わんかったわ!」


 心外だ。忘れ物だと思って持ってきてやったのに。


「もう知りません。わけが分からない小娘ですね」


「意味不明なんわ、あんたの方やわ。まあ、でも来てくれてよかった」


 爽やかな笑顔を見せられては、もう引き返せない。これで僕はベルの束縛から解放されるのか。それとも、これからがはじまりなのか。僕は幸せになれるのか、幸せになっていいのかと、矢継ぎ早に渦巻く思念が、霊のように僕の回りを巡るようだ。


「何でジャメリカなんですか? 都会国は他にもイターアや、イキヒス、ドイットや、ローシャとかありますよ」


「ほんまに都会の建造物を見るんやったらジャメリカやで。なんや他の国はなんやかんや伝統とか、遺跡とか大事に残してんねんで。ジャメリカにもあるけど、そんでも天まで届きそうな高い高い建物とかが、あほみたいにぎょうさん建ってるんはジャメリカやん」


 観光客気分か。まあそれも悪くないだろう。だが、都会国は気軽に行けるような距離ではない。


「それと、ロイクのためやねん。うちはほんまにただの旅人やってんけど」


「物好きですね」


「ま、うちは帰る国がないからどこでも楽しい国に住めればいい思ってんねん」


 帰る国がないという言葉が木霊したように脳へ流れ込んできた。村を追い出されたのは僕も一緒だけど、それで同情するわけはない。ダリアとは違って、村がなくても今こうして生きてはいる。空っぽのまま身体は生きている。


 これが果たして生きていると言えるのだろうか。生きているのは本当に身体だけなのかもしれない。だとしたら、僕は死んだままなのかもしれない。今こうして貴族の身なりをしているのも、僕がそれで仮の誇りを作り出しているにすぎない。誇りも何もない僕には偽物で、身辺を埋め合わせるしかないんだ。


「ま、めぐり合わせも運命やな」


 運命という言葉も嫌いだ。ベルガモットが死ぬことが運命だとしたら、僕はどうすればいいんだ。ドニが憎い。ドニさえいなければと願ってしまう。それは、矛盾だ。ドニがいないと僕は生まれてこなかったわけだ。僕はどうすればいい。


 ドニを憎んで生きろというのか。それも悪くはない。実際ドニを許す日が来るとは思えないから。そうしたら僕の中身は怒りと憎しみしかない。もう何もかも純粋に受け止めるジャンではないのだ。腹の中に虫が巣食っているような鈍い痛みがする。その痛みが続けばいい。目に映る世界も巻き込んでなくなってしまえばいい。これこそ、本物の悪魔だ。僕は悪魔なんだ。


「どんな運命か知りませんが、運命なんて言葉、二度と口にしないで下さい」


「なんやなんや。怒るとこか? 別に同情を買うつもりで言うたんちゃうで。そやな、食人族のあんたの方が辛い思い出もあるんやろうな」


 分かったような口ぶりに腹立たしく思いながら僕はかろうじてまだ青い野原に向って歩き出した。

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