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冒険の勧誘

 玄関の呼び鈴が鳴って、身震いした。消火活動を手抜きで手伝ったことで町長にえらくどやしつけられるのが怖かったのではない。妙な少女のことがずっと頭から離れなかったのだ。この屋敷を訪ねてくるのは、商談話を持ってくる商人か、町の中で一際目立つ僕の振る舞いを怒りに来る町長ぐらいのはずだが、呼び鈴が執拗に鳴らされているのできっとあの少女だと直感した。


 倦怠感から抜け出せなかったが、いよいよ匂いも近づいてくるのでずるずると扉にしがみついた。それでも呼び鈴ががんがん鳴るので何としても追っ払ってやりたい気持ちで、扉を勢いよく開け放った。少女ダリアが目を丸くして驚いている。


「急に開けんとってよ。びっくりした」


 眉根を寄せて不愉快に、かつ率直に嫌味を添えて腕まで組んだ。


「今は気分が悪いんですよ。さっきお礼はいらないと言いましたよね。それとも汚した服の弁償でもしてくれますか?」


 鉄仮面こそしていないが、肩と、腕に鎧を着て今にも戦場に行きそうな少女は、不釣り合いにも無邪気に笑い出す。僕の顔を見ていることに気づいて、改めてベルと似ていることに衝撃を覚えながらも、扉を閉めることが空恐ろしくなった。大げさかもしれないが、この扉を閉めることが枝分かれする運命の一つに思えた。


「おしゃべりやねんな」


 大きなお世話だ。笑っている姿を間近で見ると、背丈もベルと同じで見入ってしまうが、ベルは決して歯茎まで見せて笑うようなまねはしない。


「何故笑うんですか? 僕は可笑しいことを話した覚えはありません」


 さっき覚えた衝撃は喜びだったのだろうか。落ち着かず、痛みに似た痺れにも取れる感覚が頭から足先まで捉えている。珍しく言葉も上ずっている気がする。


「あんた何震えてんや。噂よりおもろいわ。派手な格好しとるくせに小心者かいな」


 これにはプライドが許さない。いくらベルガモットとそっくりだからといって言っていいことと悪いことがある。この瞬間吹っ切れた。この小娘はベルではない。


「用がないなら帰って下さい」


 いざ口に出してみると、本当にこれでいいのかという疑問がもたげたが、これでいいに決まっていると眼光鋭く睨みつけて扉を閉めにかかった。


「町長から聞いてるで。変な奴やし、悪い噂しか聞かへんから、あんたの屋敷にだけは行かん方がいいってな。そんなん言われたら逆に行ってみたくなるやんか」


 町長の言いそうなことだ。僕のことが髪の一本まで嫌いらしい。この小娘も、まだ会って間もないのに失礼極まりない発言を平気でしゃべくり散らすので、また扉を開けた。


「町のカフェに行こうや」


「いい加減黙れませんか。その口ひんまげてあげましょうか」


 第一ベルガモットは死んだのだ。この世に二人として同じ顔があっていいわけがない。


「そんなむくれてんと、行こうや行こうや。ちゃんとお金はうちが払うから」


 零れ落ちてしまうのではないかと思わせる瞳が、僕を捉えた。甘酸っぱい懐かしさを感じて、困惑してしまう。


「どうしてもというなら、行ってあげてもいいですけど長居はしません。僕を嫌っている人がいるので」


「べ、別にうちは種族で嫌ったりせーへんで」


 確かにこの少女は図々しくも人を見る目はあるのかもしれない。食人族というレッテルや、吸血鬼じみた僕の身なりを素直に受け止めてくれた人はなかなかいない。


 町の寂れたカフェについて行く間も少女は無駄に喋り続けた。メタセコイアの並木道を通る間中は、鳩の寒々しい泣き声しかしないので少女の大きな声が鼓膜を震わせた。名前はダリアだともう一度告げて、都会国に行く旅の途中だとか、いちごが好きだとか興味のないことを話した。全て聞き流すことに疲れはじめた頃、カフェに着いた。安すぎて口に合わないから、一度も入ったことがない。珍しい客が来たと、僅か数人の客が僕の顔をしっかりと覗き見てくる。店員まで、よそよそしくなって、盆を落としそうになっている。


「何も頼まへんの?」


 水だけ頼んで黙っている僕にサラダをほうばりながら尋ねてきた。サンドイッチも運ばれてきた。


「こいつがいるって聞いてなかったですからね」


 ライオンが飲食店に入れるなんて聞いたことがない。


「どういう意味だよ」


 ふてくされたロイクが肘をついて、爪で机をこつこつ鳴らして悪態をつく。中指の爪は取れかけている。


「そういう意味です」


「喧嘩しーなや。ほら、このサンドイッチもきっと美味しいで」


 差し出されたサンドイッチは野菜しか入っていない。しけた店だ。


「ダリア、この男は一体、どういう経緯で一緒にいるんです?」


 ロイクの視線に火花が散ったのが見て取れた。得意気な顔で笑ってやった。


「男? ロイクは雄やけど。まあ、一緒におるんは、ロイクが旅をしたいって言うから一緒に行こうってうちが誘ってんよ」


「しゃべるライオンは珍しすぎると思いませんか?」


「お前、いい加減にしろ」


 ロイクがまた僕に飛びかかってきた。ライオンの着ぐるみ生活を続けているのはだてじゃないらしく、四本の足で本物の獣のように飛びかかってきた。僕も灰色の豹に変身して応戦する。冗談じゃないほど強い。押しのけるにもなかなか重い。客が、悲鳴を上げて出て行った。


「ヨリソリアが変身するとこ初めて見たわ」


 ダリアが関心している間に、ロイクに本物の牙で噛みついてやった。だが、ロイクも負けてはいない。悲鳴を上げたものの、拳で殴ってきた。ライオンが殴ってくるなんておかしいだろう。ダリアは閃いたように言った。


「もう喧嘩しいなや。落ち着いて聞いてや、一緒に都会国ジャメリカに行こうやってせっかく誘おう思っててんから」


 突然何を言い出すのやら、全く予想がつかない。ロイクも顔をしかめている。


「冗談じゃねぇ。こんな面倒くさい奴と一緒に旅するってのか」


 どういう神経をしているのだろう。僕は同じような生活を続けたいと願ってやまない。それしか策がないといえばそれまでだが、とにかく変化が嫌いだ。そのことを口にするでもなく横目でロイクを睨むと冷ややかに睨み返してくる。埃を払って席に着くとロイクも店で喧嘩をするのは控えて座りなおした。店員が恐る恐るロイクの席にパンを置いてキッチンに逃げたが、僕の方を盗み見たのを見逃さなかった。僕は目を細めて身も乗り出し、嫌らしいほど舌を回して滑らかに話した。


「ヨリソリアを見た人間はあんな風に怖がると思いますが? まして、旅なんて誘いますか?」

「鵜呑みにしてへんで。食人族って名づけたんは人間やろ」


 それにしたって、わざわざ今朝出会ったばかりの僕を誘うなんてどういうつもりだろう。


「もう気づいてる思うけどな、うちな、影が変やろ。だいたいうち女やしな。気味悪がられてな」


 嫌われ者同士仲良くしようとでも言いたいのだろうか。そんな憐れみなどごめんだ。


「仲良しごっこなんてまっぴらですよ」


 恨みなどないが、敵でもあるように仕返しだという顔をしてやると、かなりしょげてしまって俯いて黙々とサンドイッチを喉に押し込んでいる。何だ、つまらない。


「でもな、お節介かもしれんけど、あんたの顔見てると何か心配なるで。あたしのことやって助けに来てくれたやん。冷たくふるまってんやろうけど、嘘っぽいし。何て言うんか、疲れてんやろ。楽しいことしようや」


 僕はただじっと耳を傾けた。初対面の人間にここまで言い当てられたのは初めてだった。酷く情けない気分だが、悪い気もしていない自分がいる。ベルならきっと今の僕を見て心配するのだろう。恥ずかしながらもベルといれば万事解決するような気がする。もっともダリアがベルに取って代われるのならの話だ。


 都会国に行くということも気になった。大方この世には愛想もつきて、娯楽を求めていたところだ。都会国には中世国にはないものがたくさんある。その中でも銃に興味がある。特に、幾つかある都会国の中で一番気になるのは、神なき国、ジャメリカ。戦争なき平和な国。化学は発達し、あらゆる宗教が否定されたが、迫害とは違う方法で、自由が得られた。そこではどんな種族もいがみ合うことなく暮らしているという。


 何故都会国に行くのか理由だけでも聞いてみようと思った。ベルなら、掟や、神を純粋に信じただろう。故に都会国に興味を抱くことはなかった。かつての僕もそうだ。ベルとそっくりなダリアがきゃしゃな身体で鎧をまとって都会国を目指すのは滑稽だった。


「どうして旅を?」


 一瞬だが目を反らされたように思えたが、明るい調子で足を踏み鳴らして、ダリアは足下の影の少年がそれとは全く違う、走る動作をするのを見せた。


「うちの意志と関係のないところで、この子はここにおるんや。原因を突き止めてあげたくってな」


 確かに、少年は少年で意志を持つかのように自由に振舞っている。ダリアとは足の裏で繋がっており、切り離せないことにもどかしさを感じながら、前へ進もうと足を踏み出している。他人の事情には深く関わりたくなかったが、この少年を見ているととても懐かしさを覚えたので、手と足が同時に前に突き出る動作や、立ち止まって辺りを見回すそぶりを眺めていた。どこか昔の僕に似ている。かといって幼い頃の僕の姿を思い出せるわけもなかったし、まして影だけでは個人を特定するのは難しかった。せめて影に匂いでもついていればいいのに。


 ふと、視線を上げるとダリアは母のような瞳で少年を見守っていたが、左腕を握り締めて自分に何かを戒めるように辛そうな、優しい笑みを零すのだ。閉じた瞼を貝が開くように押し上げ、濡れたまつげが光る。


「ほな、早よう荷物まとめておいでや」


 あどけない表情に返ったダリアはまるで別人で、調子よくスキップして店を出る。ロイクも席を立つ。


「まだ行くと決めたわけじゃないですよ」


 文句をあれやこれや考えながら後を追おうとして、席に座りなおした。今追いかけたら、興味があると丸分かりだ。ああいう自分勝手な連中には、ぎりぎりまで興味がないように見せかけたほうがいい。落ち着こうと思って、コップの水を一気に飲み干した。


 生きているかのような少年の影と、ダリアの顔が瞼に焼きついている。ダリアは僕を過去に連れ戻しに来たのかと思ったほどだ。ベルと同じ顔で、あのような意味深な表情をされたら、ひとたまりもないのは分かっているが、どうにも理性では歯止めが利かない。


 忘れかけていた痛みが喉元まで這う。目にほとばしるのは雫か。こんなところで零れ落ちようものなら、鬼の目にも涙ではないか。誰にも見られないように足下ばかり見つめていると、緑の物体に目が止まった。鳥肌が立つ。こっちに飛んできた。蛙だ。あわてて間合いを三メートル取る。


「・・・・・・最後までやってくれます。こんなものがさっきからここにいたなんて信じられない。あの小娘は平気だったのか。これじゃあまるで」


(お兄ちゃん、見て見て。かわいいでしょ?)


(ベル、何を捕まえたんだ?)


(お兄ちゃんにプレゼントするね、はい)


 ベルガモットは、蛙と蛇が好きだった。僕が妹から受け取ったプレゼントは、この世のものとは思えないぬめぬめした感触の緑の蛙だった。幼い頃、身震いして、ひっくり返った。次にもらったプレゼントは、蛇の抜け殻で、その次は蛇そのもので、年齢と共にベルのプレゼントは、グロテスクになっていった。本人はそれをかわいいと呼んでやまなかった。今でこそ懐かしいが、やっぱり蛙は駄目だ。


 もしかして、ダリアの忘れものか? ベルと似ているんだから、もしかしたらダリアの蛙かもしれない。何か入れ物がないか。素手で触るのだけはごめんだ。銃で狙いをつけて動くなよと、脅しながら飲み干した空っぽのコップをまさぐる。


 捕獲に成功したのでダリアを呼び止めようと、表へ出ると、ダリアはもういなかった。


 やるせなくなって一気に脱力したせいで、家路についていた。


 ダリアから離れてみると人気のない林の中に佇む屋敷は、いかにも悪魔の屋敷らしく厳粛で、憂いを帯びていて心地よく迎え入れてくれる。一日にこんなに気分がころころ変わるのは何日ぶりだろう。部屋で横になって西日が真紅のカーテンを透かして部屋を赤く染めるのを哀れっぽく見守った。


 脳裏に浮かんだのはベルガモットの屈託のない笑顔だ。ベルと名を呼ぼうと、口を開くがいつも声にはならない。呼んだって返事は返ってこないことはとっくに承知しているし、永遠に何も得られないことだと理解している。


 部屋は依然として静かだった。寝返りをうって視野に入った、天井のシャンデリアに蜘蛛の糸がまた増えたことに愕然とした絶望を覚えた。


「そろそろ本気でメイドを雇わないとまずい」


 つい口走った言葉は敬語ではなかった。我ながら驚いた。自分の知らないところにジャンがいた。首を振ってシトリーに戻る。ベルガモットがいない今、ジャンは死んだんだ。

 瞼が熱くなってきておかしい。こんなことは一日に一度とあってはならない。ベルガモットの笑顔を思い浮かべる度、どうしようもなくなる。


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