鎧の少女とライオン着ぐるみ男
食人族というだけで、僕を嫌っている連中は大勢いる。こいつもその一人かもしれないが、寝込みを襲ってきたぐらいなのだからもう少し張り合いを見せて欲しいものだ。暗殺者が無言なので、仮面くらい剥いでやろうと、仮面を狙って撃とうとしたら、暗殺者は、マッチを一本灯して屋根にぽとりと落とした。
油がまかれていた民家はたちまち炎に包まれた。暗殺者は軽やかに民家の後ろ側へと後ろ宙返りをして消えた。全く不覚にも炎を使われるとは思わなかった。炎は見ているだけでも苦手だ。まして横をすり抜けるなんて、おっかなくてできやしない。焦げる臭いでもう、鼻はもげそうだし、耳はパチパチという音でさえ嫌がっている。回り込んで追い込むしかないと思ったが、早々と炎は隣の民家に燃え移っている。
「助けて!」
みんな寝ていたらしく、二階には逃げ遅れた少女がいる。誰かが助けるだろうと、焦りもせずに見上げていると、おかしなことに誰も助けに行く気配がない。火が点いて二分ぐらい経ったか。一階から宿屋の亭主がへっぴり腰で飛び出てきた。僕の顔を見上げておっかない顔をする。
「シトリーじゃないか。何しに来やがった。まさか、お前さんが火を点けたんじゃないだろうな」
「愚問ですね。僕は、その犯人を追いかけて来たんですよ」
「じゃあ、火を消すのを手伝え」
亭主は井戸まで走っていく。結局誰も、あの少女を助けないではないか。腹立たしげに二階を見上げた。飛び降りればいいものをと憎々しげに見上げると、少女は所持品を投げ落としてきた。甲冑の鎧だ。当たったらどうする気だ。今着ている寝巻きだって、どれだけ悪魔らしく見えるかと工夫して作った特注品なのに、汚れたら弁償してもらう。
「危ないですよ!」
「飛ぶで、どいてや」
少女の覚悟した顔を見て、心臓が早鐘を打っていた。髪は朝露を受けて輝くタンポポの綿毛のような優しく透き通る銀髪で、なみなみと輝く青い瞳。目の色が違えど、とてもベルガモットに似ていた。しとやかさに欠けていて話し方こそ奇妙だが、瓜二つと言ってもいい。瞬きして少女を見上げている自分がいる。少女は僕がベルガモットの姿を少女を通して見ていることにはお構いなしに飛び降りた。我に返った僕は、少女を受け止めるべく、飛び出した。何やらこの場に関係のなさそうな動物の臭いが近づいてきていることには気にしている暇はない。
「ダリア!」
ところが、僕はライオンに弾き飛ばされた。まさか、本当に獣がいて、しかも他の家にも助けを求める人や、火を消す人がいる中で僕だけを弾き飛ばすとは思わなかった。ダリアと呼ばれた少女は二本足で直立不動のライオンに抱きかかえられている。泥と、降り注ぐ灰を被って転ぶなんて、こんな屈辱的な出来事がこの十年であっただろうか? 親切にしようとするとすぐこれだ。
「ありがとう、ロイク助かったわ」
ロイクと呼ばれたライオンは明らかに人の匂いがする。ライオンの毛皮を被っているだけではないかと、訝しく眉根を寄せていると、ライオンが肉球の手を差し出してきた。何度も縫い合わせた痕がある。狩人か、着ぐるみか?
「大丈夫か。悪かったな。俺の連れを助けようとしてくれたんだな」
一体何の冗談だろう。突き飛ばしておいて、助け起こすとは、偽善者め。
「謝ったらどうですか」
「謝ったじゃねぇか」
頭一つ分ぐらい背が高くふてぶてしい態度も気に入らないし、柄の悪そうな声だ。
「だいたい何でライオンの着ぐるみ」
最後まで言い終える前に、口を塞がれた。
「お前、俺が人間だってことしゃべるんじゃねぇよ! 分かったな?」
意味が分からない、どう見たって人間じゃないか。
「どうしたんやロイク?」
初めて少女と目が合った瞬間、僕はどぎまぎしてしまった。逃げ出したい衝動も沸き起こったが、足はてこでも動かさなかった。目はどこまでも釘付けで息をするのも忘れたぐらいだ。
どこをどう見ても妹のベルガモットで、一歩でも近づいてこようものなら飛びついたかもしれない。実際にはそこまで行動に出なかったのは一重に馴れ馴れしすぎるぐらいの親近感のせいだ。僕はここ十年仕事以外、人間関係そのものが希薄だったし、赤の他人とはまして初対面では口を聞くのも億劫だった。突然どんな会話ができると思う? 妹の名を叫んで抱きつくか。そこまで思考できたのが奇跡だった。半ば放心状態で、夢でも見ている心地になってきた。一歩近づく勇気が出たとき、目を見張った。
彼女の足には彼女の影はなかった。彼女の姿とは別の少年が張りついている。少女の影は少女の意志とは関係なくうごめいている。この世のものとはとてもじゃないが思えない。あちこちで上がる炎を受けて幾重にも分身している影のどれもが彼女の姿と一致しない。ぞっとして、足下ばかり見ていたが少女は何のことなく楽しげに話しはじめる。
「ロイクは旅の途中で拾ったライオンやねん。ほんま、あんたもありがとうな。そや、お礼がしたいわ。あんた名前は?」
何で一度会っただけなのに名乗らないといけないのだ。この出会いはこれっきりだろう。とはいえ悪態をつきながらも僕は何度も少女の顔に感動しては、不気味な影に目を落とした。
ただ謎めいていただけでなく、今までしてきたように他人とすぐに縁を切るべきかどうかということを思い悩んだ。ベルガモットに会いたいと願ってやまなかったのではないのか。僕は決めかねていたが、結論を出すには疲れが溜まり過ぎた。
このロイクという大の男を本当にライオンだと思っているのだろうか? というつまらない問題まで疲れを誘った。嫌気がして屋敷に帰ることにした。一日中、外に出ない日が一週間続くような生活をしているのだから、今日は刺激が多すぎる。去ろうとして後ろを向いたら、ライオン男がのしかかってきた。不意討ちとはいえ、大の男に上に乗られるなんて屈辱的だ。
「何様のつもりですか? 着ぐるみ野郎!」
「貴様こそ何様のつもりだ? 俺は盗賊ロイク・ハルベルト様だ。名乗ったんだからてめーも名乗りやがれ」
ロイク・ハルベルトと言えば、数年前まで中世国を騒がせていた大盗賊だ。僕には関係ないことだったので、名前だけ覚えている程度だったが。盗賊が、何故ライオンの格好をして、純粋無垢そうな少女といるのだろう。
「盗賊? 最近聞かないと思っていたら、着ぐるみを着て何の遊びですか」
声を潜めてロイクは語気を強めた。
「うるせぇ。黙れ。着たくてやってるんじゃねぇ。丁度ライオンを食った後に、警官に見つかりかけて、とっさにこれを被って見つからずに済んだところをだ、ダリアがしゃべるライオンは珍しいとか言い出して、勝手に仲間にされちまったんだ」
「冗談でしょう?」
そんな意味不明な事態が起きるなんて考えられない。
「冗談じゃねぇのはこっちの台詞だ。とにかく、ライオンの中身のことは一切言うな。いいな!」
ロイクが盗賊だということは本当らしく、がっちりした腕の筋肉が僕の首を挟みこんで締め上げた。
「し、知りませんよ。お前の都合なんて。離せ!」
「何してんや?」
余りにも僕らが小声で罵り合っていたせいでダリアが不思議そうに尋ねてきた。
「いえ、別に。僕はシトリーです。とりあえず名乗りましたから」
やっと解放されて息ができる。全くとんだ朝だ。
「待ってや。待ってや。お礼する言うたやん。そや、朝ごはん食べたんか? まだやったら一緒に行こうや」
「お礼なんていらないです」
こんな口数の多い少女はベルガモットとは似てもにつかいないと思いなおした。どうしてろくでもない連中に関わってしまったんだろうと後悔した。
「そや、大変や。あっちの家も燃えてんで。消すの手伝わな」
彼女はせかせかと駆けて行ってしまった。少女の顔といい、影といい、目に焼きついて離れなかった。薄い雲がまだ暗い群青の空にいくつも帯を伸ばした。