居候
トントントン…
何かを叩く音がして、グレッグを薄らと目を開けた。
時計はまだ、午前5時を指している。
グレッグは聞き違いだと思うことにし、また目を閉じた。
トントントントントントントントントントントントントントン…
ーしつこっ!!
繰り返されるノックの音に辟易してグレッグは暖かい寝床から起き上がった。
名残惜しげにベッドを一瞥し、顔をしかめながら玄関に向かう。
トントントントントントントントントントン…
ノックはまだ続く。
ーどこのどいつだ、このクソ野郎!!
グレッグは罵詈雑言を浴びせかける準備をしながら、ドアを思いっきり押し開けた。
「てんめぇ、今何時だと…思っ…て?」
相手の眉間に向けて発射したはずの言葉の弾丸は、しかし虚しく空をきった。
誰もいない。
「いたたたたたた…」
声に釣られて、グレッグは視線を下げる。
そこには…
「何の用だ…クソガキ」
髪をツインテールにした可愛らしい少女が尻餅をついていた。
その髪から覗く耳は尖っており、彼女がエルフであることを物語っている。
「ひどいじゃないですか!!ボクの可愛いお尻に傷がついたらどうするんですか!」
「朝っぱらから人の家で騒ぐ奴に、文句言う権利はねぇ!で、何の用だ?テメェみたいなガキが、うちに来る予定はないんだがな。」
グレッグは仁王立ちで少女を見下ろしていた。
立ち上がっても少女の身長はグレッグの半分くらいしかないように見える。
「あれぇ?おかしいですね…メリンダから聞いてないのですか?」
「あん?メリンダ?なんでそこにメリンダが出てくる…」
グレッグは頭を捻った。
ーメリンダ…メリンダ…そう言えばなんか言ってたなあいつ…居候とかなんとか…それが今日からだっけか?…って…
「はあああっ!??お前があいつの言ってた居候!??」
「はいです!ボクはエリーゼ・エルウッド!よろしくお願いしますです!」
こうして、グレッグとエリーゼの奇妙な共同生活が、幕を開けた。
「ああっ!?聞いてねぇぞ女が来るなんて!知らん!!帰れっ!!」
「ええええっ!?ひどいですっ!ボク帰るところなんて無いんですからっ!!入れてくださいっ!」
「アホかっ!両親とこ行けっ!なんでお前みたいなガキを預からなきゃなんねぇんだっ!」
「失敬なっ!ボクはもう大人なんですっ!見た目で判断しないでください!!」
…たぶん、幕を…開けた。
*****
バッカスの酒場。
王都アンフォーラでも有名なこの店に、奇妙な3人組がいた。
1人は仏頂面をした厳つい男。
頬に大きな一文字の傷痕、日の光を跳ね返す銀髪。
盛り上がった僧帽筋や張り裂けそうな腕回り、ボロボロの拳。
その筋の者と間違われても何らおかしくない風貌だ。
その男、グレッグがおもむろに口を開いた。
「で、メリンダ。説明してもらおうか。」
話しかけられたのは青い髪をショートにまとめた美女。
スッと通った目鼻立ちと真っ直ぐに伸びた美しい姿勢。
ヤクザも逃げ出しそうなグレッグの不機嫌面を前にしても、その涼やかな表情は少しも揺らぐことがない。
「何をだ、グレッグ?」
メリンダは小首を傾げている。
「何をだ、じゃねぇぇっ!!なんだこのガキはっ!!聞いてないぞ!!」
「先週言ったじゃないか。私の友人を居候させて欲しいと。」
「その!情報が!足りてなさすぎるんだよっ!女で子供!!それを先に伝えとけよっ!」
「それは違うグレッグ。彼女は子供じゃない。」
「余計ダメだろうが!」
「何がダメなんだ?お前、彼女を襲う気でもあるのか?」
最後の1人、金髪の、少女にしか見えない女性が怯えるように肩を抱いた。
「いやんっ!このケダモノっ!!ボクのことをそんなやらしい目で見てたのねっ!」
「黙れクソガキ!!テメェみたいなガキに欲情するかっ!」
「すまないグレッグ…本当にすまない…君がロリコンクソ野郎だとは思わなくて…」
「お前マジではっ倒すぞ…?」
メリンダはため息をつきながら腕を組んだ。
豊かな双峰が苦しそうに盛り上がる。
「じゃあ何も問題なかろう。君は彼女を女として見ていないし、エリーゼもそのようだ。そしてエリーゼには家が無くて困っている。君は何だかんだ人情に厚いからほっとけないだろう。」
今度はグレッグが盛大にため息をついた。
「お前なぁ…倫理観というのがあるだろうが…」
「はて、君にそんなものがあったかな?だいたい私達が一緒に旅した時は、何度も同じ屋根の下で寝食を共にしたじゃないか。それと何が違う?」
「はあぁぁぁ…ていうか、それならお前が預かればいいだろうが!」
「すまないグレッグ…本当にすまない…私は他人の面倒なんて絶対見たくない、むしろ私の面倒を見て欲しいんだ。」
「最低かっ!」
そう突っ込みつつも、グレッグはメリンダの生活力の無さを思い出していた。
彼女は良い家の生まれで見た目は大層しっかりしてそうなのだが、その実およそ家事というものが全く出来ない人間なのだ。
当時、どれだけ彼女の後片付けをしたことか…
「だからこの通り!人助けだと思って暫く頼む!それにこれは、君にとっても良い話なんだ!」
「俺に?何のメリットがある?」
「君は長いこと古傷の痛みに悩まされてるだろう?彼女ならそれを取り除けるかも知れないんだ」
グレッグはほうっと声を上げた。
確かにそれは、長い間ずっとグレッグが願っていたことだが…
無い胸を突き出してドヤ顔をしているエリーゼを見ると、甚だ信憑性に欠けるように思えた。
「ホントかよ…」
「勿論なのです!何なら、ボクの腕前を見てから居候させてくれるか決めてくれてもいいんですよぉっ!」
なんだか鼻につく言い方だ。
乗せられていると分かってはいたが、グレッグは反射的に返事をしてしまっていた。
「いいだろう。そうさせてもらおうじゃないか。」
ぱあっとエリーゼの顔が輝いた。
その横で、メリンダもうんうんと頷いている。
今度こそ本当に、グレッグとエリーゼの奇妙な共同生活が幕を…
「よし!これでエリーゼを口実にして、私も自然にグレッグのご飯を食べに行くことができる!これぞWIN-WIN-WINの関係だなっ!」
「お前、それが本当の理由だろ!そういうのは漁夫の利っていうんだよっ!やっぱりこの話…」
「一度口にしたことを反故にする気ですかぁ?最低な男ですっ!」
「すまないグレッグ、本当にすまない…君がそんなヘタレクソ野郎だとは…」
「お前ら、マジで覚えとけよ…!!」
幕を…開けてないね…
*****
「さて、じゃあ早速見せてもらおうか。お前の実力とやらを」
ここはグレッグの屋敷。
己の鍛錬のために作った離れである。
グレッグはなんやかんやと謎の道具を広げているエリーゼに声を掛けた。
「仕方ないですねぇ。ボクの実力を見て度肝を抜かれても知りませんよ!」
「御託はいいからさっさと…」
「ではそこに座って、体に気を巡らせてみてくれませんか?」
グレッグは意外な申し出に眉を上げた。
「気を?何故だ?」
「いいからいいから!やって見せて下さい!」
「仕方ねぇなぁ…」
グレッグは座禅を組み、腹の底から力を捻り出すようなつもりで気を練りだす。
生み出された温かい力は、腹から胸、腕へ。また腹から腰、脚へと巡っていく。
やがて一巡した力をまた腹へ収め、今度はさらに勢いをつけてまた送り出した。
それを何度か繰り返す。
どんどん大きくなる力は、制御するのもどんどん難しくなっていく。
グレッグは額に汗をかきながら力を巡らせ続けた。
「なるほど…わかりました。もういいですよ!」
「…わかった?何がだ?」
グレッグはだんだんと胡散臭く感じてきていた。
こんな短時間で何が分かるというのか。
「グレッグさん、右肩を怪我したんですか?」
「…そうだが?」
うんうんとエリーゼは満足げに頷いている。
「まさかそれを言い当てて実力だとか言う気じゃないだろうな。そんなのメリンダに先に聞いてればいくらでも…」
「はいはい。そんなのはいいから、もう一度気を巡らせて」
エリーゼはグレッグの背中の方に回ってまた促す。
怪訝な顔をしつつ、グレッグがまた力を込めた。
そして…
「ぐおおおおおっ!????」
グレッグは激痛で悶絶した。
思わず振り返ると、そこには謎の細い棒を突き出しているエリーゼの姿。
「お前、何しやが…」
「どうですか?さっきより気の巡りがスムーズじゃないですか?」
そう言われてグレッグは気付く。
確かに気が巡っている状態なのに、いつも右肩に感じる疼痛が無い。
「これは…本当に何をしたんだ?」
グレッグは少し居住まいを正して聞いた。
「はいです。気の流れの滞っているところを刺激してあげたのです。」
「気の流れを刺激…整気術か…?でもこんなに効いたのは…初めてだ」
整気術。
読んで字の如しで、身体を巡る気の流れを整える術である。
気はどんな生物も元来持っているものなのだが、人間はそれを武器に変えた。
グレッグのような戦士は己の肉体を強化するのに、またメリンダのような魔術師は魔術を繰り出すのに用いる。
気は血液のように身体を循環している。
例えば身体が冷えたら血流が悪くなるように、気の流れも様々な要因で悪くなる。
それを外部からの刺激で整えてやるのが整気術だ。
どちらかといえば医療というより民間療法の類であり、疲れた時にマッサージと共に施術してもらうくらいのものだ。
マッサージ屋はそこかしこにあり、グレッグも当然整気術を受けたことは何度もある。
ただそれは、"何となく気分が良くなる"程度の効き目であって、決して劇的な効果のあるものでは無かった。
「ふふふふーん!そうでしょうっ!!ボクの整気術はそんじょそこらのとは訳が違うのですよ!」
鼻息荒く、エリーゼがグレッグに詰め寄った。
ふわりと花のような香りがする。
「気の流れを完璧に見極め、澱んでいるところをピンポイントで刺激する!言うのは簡単ですが、これほど難しいことはないのですっ!!」
確かにその通りなのだ。
気の流れというのは当然、目には見えない。
鍛錬を積めばある程度"見る"ことができるようになるものの、それも何となく感じられる程度だ。
多くの武術において究極の目標は、"相手の気を見極めて最小の力でそれを破壊する"ことだとされている。
そしてそれが出来る人間は、この世界でもほんの数人しかいないのだ。
エリーゼの言っていることは実はこれとほぼ同義であり、それが本当だとすれば途轍もない達人だという事になるのだが…
「どーですかっ!すごいでしょぉぉぉう?おや?どうしたんですかっ?悔しいですか?思ったより凄かったんで悔しいんでしょ?素直にボクを認めた方がいいんじゃないですかぁぁっ?」
ドヤドヤドヤ顔で詰め寄って来るエリーゼは、グレッグの目にはとてもそんな達人には見えないのだった。
ピシッとその頭にチョップを食らわせる。
「はぎゃっ!?な、なにをするんですかぁっ!ど、どめすてぃっくばいおれんすだぁっ!!」
「やかましい!さっさとその荷物を二階に持って行け!階段登ってすぐの部屋だ!」
「えっ!?じゃ、じゃあ…」
「ちっ!悔しいがお前の実力はホンモノだ。約束だからな。」
グレッグは憮然として言った。
それを聞いたエリーゼの顔が、マシュマロのようにふんわりと緩んだ。
「やっっったぁぁぁっ!!!ありがとうございますっ!!!」
こうして、グレッグとエリーゼの奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。