◇あなたが好き◆
その後、アヴェルスと同じベッドに潜りこんでエルトリーゼは頬を真っ赤に染めてうつぶせになっていた。
「おい、何、亀みたいになってんだよ」
アヴェルスの言葉に言い返す気力もない。恥ずかしくて顔があげられない。異性と、とはいっても夫なのだが、とにかく、一緒のベッドで眠るなんて。
せめてなんとも思っていない頃ならよかった、変に意識することもなかったし。
「は……恥ずかしくて……」
ぽつりと呟くと、しばらくの沈黙があった。不思議に思って顔をあげると、彼は薄っすら頬を染めて視線を逸らしていた。
「な、何よ、言いたいことがあるなら言いなさいよ!」
不満そうにエルトリーゼが言うと、アヴェルスはこほんと咳払いをして告げる。
「いや……おまえにもそんな可愛いところがあるんだなと」
意外とまともな言葉だった。また馬鹿にされるかと思っていたエルトリーゼは頬を熟れた苺のように赤く染めてまたシーツに顔をうずめる。
好きでもなんでもなかった頃はどうでもよかったのに。好きなのだと自覚してしまったとたんにこうなるとは。
エルトリーゼの豹変ぶりにはアヴェルスも少し戸惑っているようだった。
「怪我とか、本当にしてないんでしょうね」
話題を変えようと小さく呟くと、ふわふわとした淡い金色の髪を彼の手が撫でる。
「大丈夫だって言っただろ、医者にも診せたし問題ない。おまえこそ、どこか傷になってたりしないだろうな?」
「ないわよ。あなたが完璧に護ってくれたから」
エルトリーゼの返事に「そうか」と呟いて、アヴェルスは拗ねたような声で言う。
「いい加減、顔をあげたらどうなんだ。その体勢で寝る気じゃないだろうな」
「……しばらくでいいから……寝室、別にしていい?」
ぽつりと呟くと、髪を撫でていた手がぴたりと止まる。少しだけ嫌な予感がして顔をあげると、アヴェルスはそれはもう綺麗に、にっこりと微笑んでいた。
「てめぇ、まだ俺に側室取らせたいわけじゃねぇだろうな。ただでさえジジイどもがうるせぇんだよ、俺はおまえ以外に妻を取りたくねえってことくらい、分かるだろ」
「ユーヴェリー様に最低だと思われたくないからでしょ」
それだけ言ってまたシーツに顔をうずめる。瞬間、ぬくもりが近づいた気がした。ほどなくして首筋に彼の唇が触れる。
「ひっ……ちょっと、やめてよ!」
驚いて飛び起きようとするのに、背中から覆いかぶさられて身動きが取れない。
「ひとがどれだけ我慢してやってるか分かってんのか、おまえ」
「……我慢? 何を?」
不思議そうにエルトリーゼが言うと、空気が凍りつくのを感じた。
何か悪いことを言っただろうか、なぜアヴェルスが怒っているのだろうか? 一気に冷や汗が流れて目が回りそうだ。
「へぇー? なるほど、何も分かってねえんだな。なら、教えてやるよ」
低く、どこか意地悪な声が聞こえて嫌な予感が押し寄せる。
するりと背筋を撫でられて、こぼれそうになる悲鳴を堪えようとしたのだが、首筋をぬるりと熱い舌がなぞって今度こそエルトリーゼの小さな唇から甘えたような声がこぼれる。
「や……っ、な、何す……っ!?」
アヴェルスの大きな手がエルトリーゼの華奢な身体をなぞって、彼女は驚いて水色の瞳を丸くした。我慢とは、まさか。
「ちょっと、ばっ、馬鹿! は、離して……! 無理、まだ無理だから!」
逃げだそうとするエルトリーゼの真っ赤になった耳を軽く食んで、アヴェルスは囁く。
「こっちはおまえと昔の恋人のいろいろ見せられてイライラしてんだよ、少しはおまえも誠意を見せろ」
「せ、誠意って何よっ! も、もう少ししたらちゃんと、その、受けいれる、から……っ」
今そんなことをするなんて無理だと言い募るも、彼は気にしたふうでもなくエルトリーゼの夜着に手をかける。
「嫌なこった。おまえときたら無自覚にもほどがある。待ってやるのは今このときまでだ」
「ひ」
「それに……シヅルって男のことは受けいれたんだろ」
拗ねたようなアヴェルスの言葉に、そういえばそれも嘘をついたままだったとエルトリーゼは気づいた。
「そ、それは……その、そのぅ……シヅルとも、本当は……ない、の」
「……は?」
不思議そうに双眸をまたたくアヴェルスに、エルトリーゼは真っ赤になって叫ぶ。
「ないの! 死んじゃったから!! だ、だから本当に初めてで……その……こ、怖い……し……」
後半にゆくにつれてぼそぼそと喋る。アヴェルスは口元に手をあてて瞳を閉ざして、何か堪えているようだった。
「な、何よ! 笑いたきゃ笑えばいいわ!!」
思えば彼は経験があるのだろうしと、やけになって叫ぶとアヴェルスはエルトリーゼの髪にキスを落とした。
「可愛いと思ってただけだ。あと嬉しかった、純粋に。そして今日は絶対に逃がさねえ」
「――へ?」
結局、その日エルトリーゼがそこから逃れることはできなかった。
◇◇◇
翌朝、エルトリーゼは王城まで移ったメイドのロレッサに着替えを手伝ってもらうのを拒んだ。こんな恥ずかしい姿、見られたいものではない。
首筋や胸元に残る赤い跡が隠れるドレスを選んで纏うと、エルトリーゼは不機嫌そうに衣装部屋をでた。アヴェルスとの寝室に出ると、ちょうど彼は部屋を出て行こうとしていた。
「……なんだ、隠したのか」
少し残念そうな声にエルトリーゼは眉を顰める。
「当たり前でしょう!! 何考えてんのよこの馬鹿っ! どうしてくれんのよ! 恥ずかしくて外に出られないわ!!」
頬を真っ赤にして怒鳴るエルトリーゼに近づくと、彼は躊躇いもなく布に覆われていない彼女の細い肩にキスをした。嫌な予感がして慌てて視線を向ければ赤い跡。
「こ、この……! 何しくさってんのよ! 本当に!」
「結婚したとはいえ、おまえを狙ってるライバルは多いんでな。まぁ、こんなじゃじゃ馬だと知ってても寄ってくるかは知らないが、虫除けをしておくに越したことはない」
アヴェルスの言葉にエルトリーゼは目を丸くしていた。自分の容姿が好評を得ていることは知っていたが、彼が心配するほどなのだろうか。
だとしても、エルトリーゼはアヴェルス以外の誰も愛するつもりなどないというのに。
「私は浮気なんかしないわよ」
そう思って言うと、アヴェルスは額をおさえた。
「そんなことするやつだと思ってねーよ、ただ、おまえの意思に関係なく手をだしてくるやつは居るってこった。俺がおまえに興味を持ってないと思われれば、強硬手段に出るやつも居るだろう、お咎めなしだと思ってさ。女のおまえじゃあ、力ではどうしようもないだろ」
つまり、彼なりにエルトリーゼを守ろうとしてくれたのもあるのだろう。
そう思うとまた頬が熱くなってくる。
「あ……ありがとう。そんな可能性、考えてなかったわ」
「おまえ、もう少し自覚を持ってくれよ。おまえに手をだす輩が現れたら、俺も平静で居られるか分からない」
ぼっと音がしたのではないかと思うほど頬が赤くなって、耳まで赤く染めてエルトリーゼは視線を彷徨わせた。
「や、やめてよね。その……あなたにそんなふうに言われるの慣れてないから、は、恥ずかしいんだからっ!」
恥ずかしさのあまり涙目になっているエルトリーゼの髪にアヴェルスはキスを落とす。
「分かったなら、もっと首元の見えるドレスに替えてくれてもいいんだぜ?」
「む、無理! 絶対に無理!」
真っ赤になった彼女の頬を悪戯っぽく笑ってつつくアヴェルス。
そんな二人に穏やかな声がかかった。
「仲がよろしゅうございますね。本当によかった」
「ひっ」
今度はさーっと青ざめて、エルトリーゼが視線を向けるとドアの前にレディウスの姿があった。
どこから見られていたのだろうか? 恥ずかしさのあまり卒倒しそうだ。
「み、み、見て……っ!」
「さっきから居たけどな」
アヴェルスがさらっと言ったので、反射的に右ストレートをくりだしたがあっさり避けられる。
「分かってたなら教えてよ! どうして黙ってるのよ!」
「見せつけてやろうと思ってさ」
まだシヅルとレディウスの件を根に持っているのだろうか。レディウスにはまったくそんなつもりないだろうに。
「おやおや、殿下がここまで寵愛なされるとは」
「も、もう仕事に行きなさいよあんたたちは!!」
ぐいぐいとアヴェルスの背中を押して、エルトリーゼは二人を部屋から追いだすと扉の前に座りこんで顔を両手で覆った。なんて恥ずかしい。
しばらくそうしていると、ノックの音がしてロレッサの声が響いた。
「お嬢様、あ、こほん……エルトリーゼ様? 入ってもよろしいでしょうか?」
どうやらロレッサはいまだに「お嬢様」と呼ぶ癖が抜けないようだ。
さすがにそろそろエルトリーゼもそういうふうに呼ばれる年齢ではないし、結婚はいい機会だったかもしれない。
「いいわよ」
返事をする前に立ちあがって扉の前から離れる。入ってきたロレッサはしげしげとエルトリーゼを見つめて、頬に手をあててにっこり微笑んだ。まるで察したような顔で。
「まぁ、まぁまぁ! エルトリーゼ様――」
「それ以上何か一言でも言ってみなさい、追いだすわよ」
追いだすというのは冗談であるのだが、即座にそう言ったエルトリーゼにしゅんとしてロレッサが言う。
「もう、恥ずかしがり屋さんなんですから、エルトリーゼ様は」
「恥ずかしいに決まっているでしょう!」
少なくとも今日は絶対に部屋から一歩もでないと誓った。
こんな格好でうろうろしていたら、ロレッサのように目敏く察する人間がどれほど居るだろう。恥ずかしすぎる。